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折り鶴に祈る「心の終戦」 真珠湾に渡ったサダコの鶴 via 朝日新聞

6月18日、広島平和記念資料館。ピンクや青が鮮やかな折り鶴を一目見ようと長蛇の列ができていた。

 その中に、佐々木雅弘(75)の姿があった。広島原爆で一家5人が被爆。妹の禎子(さだこ)は10年後、突然、白血病を発症し、わずか12年の生涯を閉じた。回復を願い、千羽鶴を折り続けた逸話が日米で広く知られる。
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米ハワイ・真珠湾。

 1941年12月7日(日本時間8日)、日本軍の奇襲攻撃を受け、戦艦アリゾナがエメラルドの海に沈む。75年たっても船体から重油が漏れ、臭いが漂う。「黒い涙」と呼ばれる。

 そばにある国立の追悼施設アリゾナ記念館ビジターセンター。ここにも、サダコの折り鶴がある。キャラメルの包み紙で折られ、大きさは1センチほど。拡大鏡をのぞき込んで見る。

 2013年秋、その公開式典が開かれた。アリゾナの乗組員1177人の犠牲者の名を刻んだ壁の前で、佐々木はローレン・ブルーナー(95)と抱き合った。

 ブルーナーは生き残った元乗組員。スピーチに立った。「サダコも私も、戦争の恐怖を体験した。『平和の夢』を共有しています」「。。。」米国に「屈辱の日」として刻まれた真珠湾攻撃。その地に折り鶴を贈ろうとしたのは佐々木の側だった。

 太平洋戦争を語るとき、繰り返す「ノーモア・ヒロシマ」「リメンバー・パールハーバー」の応酬。佐々木は、その先へ進みたかった。核兵器は「絶対悪」だと理解し合える場へ。

     ◇

 「真珠湾攻撃で戦争を始めた日本は、その何倍もの報復を受けた」。原爆投下を認めた米大統領ハリー・トルーマンは、当時の声明で正当性を強調した。

 その孫クリフトン・トルーマン・ダニエル(59)。祖父から原爆のことを詳しく聞いた記憶はない。日本への本土侵攻が避けられ、多くの米兵の命も救われた――。米国で広く支持される解釈を長く信じてきた。

 それが17年前、小学生だった息子(27)が学校から持ち帰った一冊の本を読み、変わり始めた。

 児童文学作家エレノア・コア著「サダコと千羽鶴」(77年刊)。米国の小学校で副読本に広く採用されてきた。子どもたちは太平洋戦争の歴史を学ぶより先に、サダコの物語を知る。

 それがきっかけでダニエルは2010年、佐々木ら遺族と出会う。その後、広島、長崎を訪れ、被爆者の話にも耳を傾けてきた。

 「戦争が終わっても、広島、長崎の人々の苦しみをぬぐい去ることはできない。国家を代表して謝罪はできなくても、市民としてできることがあるはず」

 そうして、サダコの折り鶴の展示をアリゾナ記念館に持ちかけた。9・11テロの現場、ナチスのホロコースト展示施設など全米5カ所に広がる。
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癒やし、平和、和解の象徴」。アリゾナ記念館の展示パネルは、サダコの折り鶴をそう説明する。

 だが、禎子はその最期、顔が腫れ、髪は抜け、体重は12キロ減った。「原爆を許すまじ」を病の床で歌う。苦しみ抜いて、逝った。
[…]

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