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福島第一原発事故、拙速すぎた避難指示解除 政府と南相馬市の住民への対応は「約束違反」via東洋経済

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「今回の避難指示の解除をどう受け止めていますか」と質問を向けたとたんに、松倉さんの表情が曇った。
「俺の場合は何一ついいことはないな。解除だけされても、生活が成り立たないんだもの」
7月12日午前零時、福島県南相馬市の小高区(旧小高町)では、原発事故から5年4カ月にわたって続いてきた政府による避難指示が解除された。早朝にはJR常磐線の原ノ町駅-小高駅間の運転が再開され、桜井勝延・南相馬市長自らが始発列車に乗り込んだ後、小高駅前での式典で復興への誓いを述べた。原発事故前に約1万3000人が暮らしていた町に再び住民が戻れるようになった。

だが、除染の完了や農業など生活基盤再建を後回しにして政府が避難指示解除に踏み切ったことが、大きな問題をもたらしている。

[…]」しかし、「コメ作りはどう見ても無理だ」とあきらめている。田んぼの水は沢から引いているが、その源流の山林が放射性物質で汚染されたままなのだ。[…]兄と一緒に経営していた浪江町の建材販売会社は、避難指示を機に休業に追い込まれた。2015年2月には東電による休業賠償も打ち切られた。農業に関する賠償も来年以降の方針がいまだに決まっていない。
[…]神山の西隣に川房という集落がある。ここは空間線量が年間20ミリシーベルトを超えていたことから、地区全体が2012年4月に居住制限区域に指定された。それが今年7月12日には、一段階下の避難指示解除準備区域を経ることなく、一足飛びに避難指示が解除されることになった。地区ではいまだに住宅周りに高い汚染が残るうえ、田畑の除染も終わっていないにもかかわらずである。

横田芳朝さん(71歳)は南相馬市でも指折りの梨農家だが、5年以上にわたって手入れができなかった梨畑は放射能に汚され、荒れるに任せている。
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避難指示解除に反対したのは川房地区の住民だけではなかった。5月15日から22日にかけて市内で4回にわたって開催された小高区の住民向け説明会でも、「避難指示解除は時期尚早だ」「農地や道路、墓など除染が完了していないところがあちこちにある」といった意見が相次いだ。また、「解除の時期を国と市長で決めることには反対だ」「解除時期についてアンケートを採ってほしい」という声も上がった。

だが、桜井市長はそうした意見に耳を貸さず、説明会の終了からわずか5日後の5月27日には政府による解除方針の受け入れを決定。県外に避難している住民への説明会はその後の6月4日から12日にかけて実施されるなど、後回しの対応になった。

南相馬市と対照的なのが、川俣町の対応だ。7月7日の町議会全員協議会で川俣町は、「山木屋地区については8月末までの避難指示解除目標を正式に撤回する」と表明。古川道郎町長は、山木屋地区自治会から要望されている2017年3月末も視野に入れて解除時期を延期する考えを明らかにした。宅地周りの線量引き下げや帰還後の生業の確立など、抱えているテーマは南相馬市小高区と同じだ。

避難指示解除前日の7月11日、小高区の住民有志が南相馬市役所内の記者クラブを訪れて「福島第一原発事故の避難指示解除に当たって、桜井勝延市長の歴史的責任を問う」と題した文書を記者に手渡した。有志の一人である國分富夫さん(71歳)は、「住民の叫びを真摯に受け止めずに、事実上切り捨てたこと」など3点にわたって桜井市長には判断の誤りがあると批判する。国分さんは12日には市にも文書を提出しようとしたが、受け取りを拒否された。

南相馬市は避難指示解除後の復興の取り組みについて国、県との間で合意文書を取り交わすことにより、国が復興をおろそかにすることがないように歯止めをかけたという。解除を遅らすことは復興の営みを妨げるというのが桜井市長の考えだ。

だが、性急な解除によって住民との間に生まれた溝は深く、多くの住民が国や南相馬市に不信感を抱く結果になっている。南相馬流のやり方が正しかったのか、検証すべき点は多い。

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