防護服もなく除染に従事
ロシアから参加したアレキサンダー・ベリキンさん(61)は、1986年4月のチェルノブイリ原発事故の半年後から約3カ月間、放射能汚染物質の除染作業に従事した。防護服などはなく、作業員は咳(せき)をしながら作業していたという。「僕らは無知だった。だからこそ、福島では同じ過ちを繰り返してほしくない」
事故当時、ソ連政府(当時)の情報統制は徹底していた。事故を伝える報道は、「原発で事故、部分的損傷あり」と数行の新聞記事のみだった。浄水技術の研究者だったベリキンさんは86年9月に招集された。「(モスクワの)赤の広場に置いても安全」と言われた原発建屋が崩壊し、巨大な原子炉容器のふたが吹き飛んだ姿にがくぜんとした。
周囲の土をはぎ取り、穴を掘って埋める作業を繰り返しながら、作業員の被ばく線量を計測する勤務管理を担った。
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89年に元作業員らで「チェルノブイリ同盟」を結成。国会議員を通じて原発労働者の社会保障を政府に求め、91年のチェルノブイリ法制定につなげた。しかし、実際は医療支援などは原発労働者に行き届いておらず、今も要望を続けている。東日本大震災後、日本で原発労働者を守る法律制定の動きがないと知り、今回のフォーラム参加を決めた。「生きる権利を確保するための戦いは、決してあきらめてはならない」と訴えた。【山田尚弘】
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