水俣「語り部」教訓伝える 「原発事故に一人一人が向き合わなければ」via 産經新聞

(抜粋)

福島県を訪れたのは水俣病患者で水俣市立水俣病資料館語り部の会会長の緒方正実さん(57)と同じく語り部で漁師の杉本肇さん (53)と親族らだ。昨年、南相馬市や飯舘村で被災した人々が、水俣病からの教訓を学ぼうと熊本県水俣市を訪問してから交流が続いている。何度も水俣市に 足を運んでいる南相馬市の高村美春さん(46)が、水俣での出来事を多くの人に聞いてもらいたいと講演を依頼した。

福島との共通点

水俣病はチッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀による有機水銀中毒。昭和31年に公式確認された後、被害者への差別や風評被 害、補償や認定などをめぐる被害者同士の対立や分断が起きた。現在も症状に苦しむ人や補償をめぐる訴訟が続いている。原発事故後、経済が優先された背景や 補償をめぐる分断や差別など、水俣と福島の共通点が注目されてきた。

杉本さんの両親は水俣病の症状に苦しみながらも、水俣病を「のさり(天からの授かり物)」と受け止め、精いっぱい生き抜いた。その亡き母の思いや自身の経験を伝えている。弟や親類とバンド「やうちブラザーズ」も結成し、水俣の人たちに笑顔を届けようと奮闘している。

緒方さんは網元の家に生まれ、家族とともに幼いころから水俣病の症状に苦しんだが差別を恐れ、約40年間も隠し続けた。救済策に申請して認められなかったが、あきらめずに何度も申請を出し続け、平成19年に患者認定を勝ち取った。

(略)

豊かさと引き換え

長い間1人で闘い続けてきた緒方さんは、水俣病の原因企業であるチッソを「赦(ゆる)す」という心境にまでたどり着いた。その経験や思いを伝えている。緒方さんは足の具合が悪かったが、足場の悪いところを歩き、浪江町の様子をしっかりと見て回っていた。

緒方さんは「水俣病の発生当時を思いだした」と話す。その上で、こう力を込めた。「戦後復興を目指す中、経済優先をして水俣病は起きた。原発事故も同じく 豊かさを求める過程で起き、その引き換えに町を一瞬で破壊してしまった。この原発事故にきちんと向き合い、一人一人が日本の国家がどう対応していくのか しっかりと見ていかなければならない」(大渡美咲、写真も)

全文は水俣「語り部」教訓伝える 「原発事故に一人一人が向き合わなければ」

 

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