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福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか via 誠

原発事故後、3年半ぶりに「国道6号線」が開通した。除染作業の人員や物資を輸送するために道路部分だけが開通したが、住民が戻らないままのエリアはどんな姿に変わり果てたのか。筆者の烏賀陽氏が現地リポートする。

(略)

これまで、私がフクシマの原発被災地を取材するとき、ルートは2つあった。ひとつは、今回のようなコース。北から南へ福島第一原発方向に向かうかっ こうになるので「北回り」と呼んでいた。もうひとつは、バスやJRでいわき市に行き、やはりクルマを借りて被災地に向かうコース。これは南から北へ原発方 向へ向かうので「南回り」と呼んでいた。

なぜこんな2つに分かれたのかというと、太平洋岸にある福島第一原発を中心にした半径20キロの被災地域の半円が「浜通り(福島県の太平洋岸)」 地方をふさぎ、南北に分断していたからだ。ここは高濃度の汚染地帯でもあるので、道路は封鎖され、南北に抜けることができなかった。そんな状態が原発事故 から3年半ずっと続いていた。

それが昨年9月15日に、突如「開通」した。別に汚染が劇的に減ったからではない。区間内の平均空間放射線量は毎時3.8マイクロシーベルト。最 大値は毎時17.3マイクロシーベルト(原発がある大熊町)あった。相変わらず高線量である。原発内外の除染作業が本格化して、人員や物資の輸送が劇的に 増えたので、その便宜のために無理に道路を通したにすぎない。

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かつて封鎖ラインで線量計をかざすと、毎時0.2~0.3マイクロシーベルトだったのを覚えている。それでも中に入ると逮捕された。今は平均毎時 3.8マイクロシーベルト、最大値は毎時17.3マイクロシーベルトを自由に通れる。このへんの政府の規制の無意味さは、あまりにバカバカしい矛盾の積み 重ねで、もう笑う気すら起きない(詳しくは拙著『原発難民』PHP新書参照)

(略)

この異様な風景を記録しておかねば。そう思って道路脇にクルマを止めた。カメラを手に国道沿いを歩く。すると、5分も経たずに「福島県警」と書いたパトカーがやってきた。若い制服の警官がつかつかと歩み寄る。

「おたく、何をしているんですか」

――すみません。東京から取材に来た記者です。

「ここは駐停車禁止ですよ」

――ほんの数分で終わりますから。

「すぐにクルマに戻ってください。線量が高いんですから」

――そんなに危険なんですか。

「バイクも自転車も歩行者も禁止です。知らないんですか」

ふと道路の反対側を見ると、防護服でも何でもない、白いヘルメットに花粉症マスクをしているだけの警備員がバリケード前に立っている。警官の言うことと目の前の光景がまったく矛盾して、頭が痛くなってきた。

まあ、いい。こんなところで警官と議論しても意味がない。レンタカーに戻ってエンジンをかけた。

要するに「止まるな」「横道に入るな」ということである。ひたすら国道を駆け抜けろ。原発事故の被害で街が廃墟になっていることなど、見るな。関 心を持つな。そう命令されているような気がした。私のような報道記者が見ることができなければ、街の荒廃を読者が知ることもないのだが。

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Uターンしてクルマを止めた。福島第一原発から1キロだった。それにしても警備員が軽装だ。こんなに線量の高い場所に1日立っていて、大丈夫なのだろうか。などと思いは千々に乱れた。

線量計を見る。毎時8、10、12と数字が激しく動く。風が強い。原発側から風が吹くと数字が上がる。心臓がばくばくした。線量計を地面に近づけると数字が上がるのは、まったく除染が入っていないからだろう。枯れ草がひどく邪悪なものに思える。

全文は福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか 

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