社説:ビキニ被ばく60年 核廃絶への決意新たに via 毎日新聞

1954年3月1日、第五福竜丸の乗組員は、水爆実験による大量の放射性物質「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡した。米政府 が「見舞金」として日本側に200万ドルを支払うことで政治決着したが、乗組員への十分な補償や調査は行われていない。米国はこの海域で46〜58年に計 67回の核実験を行い、延べ1000隻の日本漁船が被災したと言われるが、実態は今も解明されていない。

54年の核実験では、風下にあったロンゲラップ環礁の島民も被ばくした。強制移住後、いったん帰還した が健康被害が続出し、再び避難したままになっている。マーシャル諸島の首都マジュロでは1日、こうした被ばく者の追悼式典が開かれ、第五福竜丸の元乗組員 らも参加する。原発事故があった福島県からの参加者も予定されているという。

ストックホルム国際平和研究所によると、減少傾向にあるとはいえ今なお世界には1万7000発を超える核兵器がある。オバマ米大統領は5年前に「核なき世界」を目指すと演説したが、その実現への道のりはなお遠い。

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だが、非核保有国による核廃絶への粘り強い取り組みは続いている。2月にはメキシコで、日本など146カ国が参加して核兵器の人道的影響に関する国際会議が開かれた。4月には広島で、段階的な核軍縮を目指す「軍縮・不拡散イニシアチブ」の第8回外相会合が開かれる。

日本は一方で米国の「核の傘」に依存するというジレンマを抱えているが、核廃絶を目指す国際的な取り組みと積極的に連携し、少しでも「核なき世界」へ前進できるよう、核保有国への訴えを重ねたい。

全文は社説:ビキニ被ばく60年 核廃絶への決意新たに

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