レッテルとしてのフクシマ via 日経ビジネス

月末に福島を訪問しようと思っている。
 この話をすると
「え?」
 という反応が返ってくる。
「大丈夫なの?」
 大丈夫に決まっている。福島の人たちは毎日そこで暮らしている。外から出かける人間が、2日か3日現地の空気を吸って土地の食べ物を食べたからといって何が危険だというのだ?
 もちろん、「大丈夫なのか」と尋ねた知人も、本気であぶないと思ってそう言ったのではない。「福島」という言葉を聞いて、反射的にそういう反応をしてしまったというだけのことだ。

 この反応はわりあいに一般的だ。というよりもむしろ、ほとんどの人は、ちょっと驚いた態度を示すことになっている。
「えっ、フクシマ?」
「フクシマ? ヤバくないのか?」
「取材だよな?」
「どうしてよりによってフクシマに?」
「おお、チャレンジャーだな」

悪気があるわけではない。差別しているのでもない。ただ、現状の日本では、会話の中に出てくる「フクシマ」という言葉を、自然に受け流しにくい空気が流れている。だからわれわれは、驚いてみせたり、混ぜっ返したり、冗談を言おうとすることで「フクシマ」という言葉を、なんとか消化しようとしている。そういうやっかいな状況なのだ。

続きは レッテルとしてのフクシマ

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