独世論背景に脱原発 via Tokyo Web

【ベルリン=弓削雅人】ドイツの連立与党は三十日、二〇二二年までに「脱原発」を実現することで合意し、主要国の中では初めて「脱原発」政策を進める姿勢を鮮明にした。福島第一原発の事故後も米国、フランス、ロシアのほか、新興国の中国などが原発推進の立場を堅持する中、独政府は“核アレルギー”が根強い国民世論を背景に、脱原発路線を加速させたといえる。

ドイツでは社会民主党(SPD)と緑の党の左派連立政権が二〇〇〇年、原子炉(十七基)を二二年ごろに全廃する政策を法制化。その後、政権は右派連立になり、廃止行程は変化したが、原発廃止の基本路線は維持されてきた。このため、メルケル政権の決断は福島の事故をきっかけに後戻りしつつあった行程が当初予定に戻っただけともいえる。

欧州諸国は二十五年前の旧ソ連・チェルノブイリ(現ウクライナ)原発事故による放射能汚染で、強い恐怖を体験した。ドイツは今も原発不信が強く、最新の世論調査では原発廃止を求める意見が80%以上と圧倒的だ。

ドイツの原発による電力供給量は現在22%ほどで、再生エネルギーは約16%とされる。しかし、隣国フランスは約77%を原発でまかない、原発輸出を基幹産業とするため、国民も現実的判断に傾く。経済発展途上の東欧諸国は電力需要の伸びから「脱原発」は難しい状況といえる。

これまで、平均十二年の延長としていた原子炉の稼働期間について、メルケル政権はより踏み込んで十年後の撤退という明確な期限を初めて示した。

世論調査では、五年以内の「撤退」に賛同する意見も六割以上あり、早期の脱原発は国民の望みといえる。原発の代替となる自然エネルギー開発のコストは膨大だが、産業界には新たなビジネスチャンスとの意識も高く、脱原発を後押しした側面もありそうだ。

独世論背景に脱原発

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