Tag Archives: 武藤類子

福島ミエルカプロジェクト:福島県富岡町に帰還した板倉正雄さん via FoE Japan

「福島を見ていない人はこの現実を想定できないでしょう」 2017年に避難解除された福島県富岡町。東電福島第一原発からおよそ6kmのところに板倉さんの家があります。富岡町に帰還した板倉さんを福島県三春町に住む武藤類子さんと訪ねました。 放射線量が未だに高いことから、孫や子どもたちを呼ぶことはないと言います。利用できるお店やサービスが限られているため、90歳を超えても今なお車を運転しなければ生活ができないなど、旧避難指示区域の富岡町の様子を語ってくださいました。ぜひ、板倉さんのお話をおききください。 ▼他の方のインタビューやDVD販売もございます。 http://www.foejapan.org/energy/fukush… ▼見える化プロジェクトの再生リストはこちら https://www.youtube.com/playlist?list… ▼FoE Japanについてはこちら http://www.foejapan.org/ ※インタビューは2019年2月に行いました #311mieruka #fukushima

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東京電力旧経営陣強制起訴裁判 2日に控訴審 via TVF福島

原発事故の刑事責任を追及する裁判が、新たな段階に入ります。東京電力の旧経営陣3人が強制起訴された裁判は、2日から控訴審が始まります。初公判を前に、経営陣を告訴した女性が、「事故の責任を明確にすべき」と訴えました。 (略) おととしの一審の判決で、東京地裁は3人に対し、無罪の判決を言い渡し、検察官役の指定弁護士が、判決を不服として控訴していました。2012年に告訴団の団長となり、一審の公判をすべて傍聴してきた武藤類子さん。一審の無罪判決について、納得できないと話します。(武藤類子さん)「原発事故の被害者はほぼ誰も納得してなかったと思うんですね。そのときの悔しさとかですね、納得できない思いを引きずっていました」 そして、判決の問題点を次のように指摘します。(武藤類子さん)「原発事故の被害について本当に取り上げていない」「双葉病院の方たちの死亡された方とか」「きちんと裁判所は評価していなかったんじゃないかと感じています」 原発事故の責任を問うことは、福島で起きている課題と向き合うことにも通じると武藤さんは話します。(武藤類子さん)「なぜこの事故が起きたのか責任を追うべき人はいったい誰なのかということがやっぱり明確にならないと本当の被害者の救済に繋がらないような気がしています」  原発事故から10年半。控訴審は2日東京高裁で開かれます。 全文は東京電力旧経営陣強制起訴裁判 2日に控訴審

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福島ミエルカプロジェクト:福島県富岡町に帰還した板倉正雄さん via FoE Japan

「福島を見ていない人はこの現実を想定できないでしょう」 2017年に避難解除された福島県富岡町。東電福島第一原発からおよそ6kmのところに板倉さんの家があります。富岡町に帰還した板倉さんを福島県三春町に住む武藤類子さんと訪ねました。 放射線量が未だに高いことから、孫や子どもたちを呼ぶことはないと言います。利用できるお店やサービスが限られているため、90歳を超えても今なお車を運転しなければ生活ができないなど、旧避難指示区域の富岡町の様子を語ってくださいました。ぜひ、板倉さんのお話をおききください。 ▼他の方のインタビューやDVD販売もございます。 http://www.foejapan.org/energy/fukush… ▼見える化プロジェクトの再生リストはこちら https://www.youtube.com/playlist?list…

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Protect Our Ocean from Radioactive Water Dumping: Four Messages via Manhattan Project for a Nuclear-Free World/海を汚染水から守ろう!4つのメッセージ 核兵器のない世界を目指すマンハッタン計画

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被爆76周年原水爆禁止世界大会 国際シンポジウムⅡ 脱原発・エネルギー政策 via 原水禁

国際シンポジウムⅡ(脱原発・エネルギー政策課題)「原発事故から10年~エネルギー政策転換~」 日 時 2021年8月6日(金) 16:00~18:00 配 信 YouTube原水禁チャンネル 主 催 被爆76周年原水爆禁止世界大会実行委員会 登壇者 コーディネーター:藤本泰成(原水爆禁止日本国民会議共同議長) パネリスト:松原弘直(環境エネルギー政策研究所(ISEP)理事)、Stefan Wentzel(ドイツ・緑の党)、金賢雨(韓国・脱核新聞運営委員長) 基調提起:武藤類子(福島原発告訴団代表) 内 容 国際社会に先駆けて「脱原発」という課題に向き合ってきたドイツと、日本同様に米国の影響の下、原発社会を構成してきた隣国の韓国からゲストを迎え、福島原発事故の反省にたって、今日本の進むべき道がどのようなものかを考えていきます。

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福島を語る(1)「東北の鬼」に会いに行く via imidas

三浦英之(新聞記者、ルポライター) 武藤類子(福島原発告訴団団長) 東京電力福島第一原発の事故発生から10年。原発事故にまつわる問題は多様化・複雑化する一方であるのに対し、メディアがそれを扱う機会は徐々に減りゆき、人々は原発事故を「過去のもの」だと捉え始めてはいないか。そんな潮流に抗うためにも、10年が経過した今だからこそ、福島の現実を知る人たちと議論を重ねていきたい。 私はこの春までの約3年半、新聞記者として福島に勤務した。過酷な現実の中を必死に生き抜こうとする人々を取材する一方で、この未曽有の原子力災害を今後、どのようなかたちで未来に語り継いでいくのか、ということが大きな関心事の一つであった。つまり、福島における「石牟礼道子」は誰なのか、という問いである。3年半に出会った関係者に聞くと、彼らの多くが「それは類子さんだと思う」と口をそろえた。「武藤さん」ではなく、彼女は被災地で暮らす人々に「類子さん」、あるいは「東北の静かなる鬼」と呼ばれていた。(三浦英之) (略) 武藤 2011年に原発事故が起きたときに抱いたのは、「悲しみの中にある怒り」でした。それを表現したのがあの言葉だったのです。東北の民はかつて、中央政府から「鬼」にたとえられました。荒々しくて、きちんと統治されていない、恐ろしいものとしてずっと扱われてきたのです。ところが、東北に伝えられている民族舞踏の中で表現される鬼というのは、また違った一面があります。例えば岩手の鬼剣舞(おにけんばい)は、鬼のような恐ろしい形相の面をつけた迫力のある踊りですが、実は不動明王などの仏の化身を表現したものなのです。「鬼」というのは、東北の人たちが中央政権にどのように扱われてきたかという、悲しい一面を象徴していると思うのです。 (略) 武藤 蝦夷の時代の抵抗や、戊辰戦争、明治の自由民権運動など、東北の人々は中央政権に対して常に従順だったわけではなく、激しく抗ってきたという歴史もあります。東北の人の血の中には、そうした静かに燃える怒りが、今でもあるんじゃないかと思っています。 原発裁判に見る東京電力の二面性 三浦 武藤さんは、福島原発告訴団の団長として、東京電力の幹部らに対して2012年に刑事告訴をして闘ってこられました。現在は控訴中ですが、2019年の東京地裁での無罪判決は、どのように受け止めましたか。 武藤 私は38回の公判をすべて傍聴しました。法廷では、今まで隠されていたメールや議事録が証拠として次々に出てきました。例えば、東電社内では文科省の地震調査研究推進本部が2002年に発表した「地震発生可能性の長期評価」を取り入れる前提でシミュレーションをして、15.7メートルの津波が襲来する可能性があることがわかりました。そこでは、津波が来た場合に何メートルの防潮堤が必要になるかを示す図面も作られていた。3人の被告人たち(東電の勝俣元会長、武藤元副社長、武黒元副社長)は大津波が来る可能性があるという報告を受けていたのに、結局、対策は取られなかったのです。 (略) 武藤 でも、個人として訴えるしか、手段がないのです。無罪判決が言い渡されたときには、「ああ、この国は誰も責任を取らない。司法までもがそうなのか」という、非常に深い絶望を感じました。被害者の誰がこんなことで納得できるでしょうか。 三浦 僕も、誰も納得はできないだろうな、と思いました。東電は、テレビや被災者の前では土下座までして「申し訳ありませんでした」と謝るのに、最終的に責任を迫られるADR(裁判外紛争解決手続)や裁判などでは絶対に譲らない。言っていることとやっていることがまるで違う。被災した多くの方々は、東電のそうした二面性を知り抜いているわけですから……。 武藤 私は、「脱原発福島ネットワーク」(1988年創設)という市民団体で、プルサーマル計画の中止や相次ぐ事故・トラブルの原因追及などについて、東京電力との交渉を30年近く続けてきました。事故後の2年半ぐらいは、中断していましたが、今も2カ月に1回くらい2時間、東電の広報担当者と市民とで交渉をしています。彼らは、毎回「申し訳ありませんでした。ご迷惑とご心配をお掛けしています」と言うのですが、事故後の対応や言動を見てもほんとに彼らが反省しているなという感覚は、とても持てないんですよね。その繰り返しで胃が痛くなるし、本当にイヤになるんです。 (略) 武藤 原告の福島の人々が何を失ったのかということが、まったく理解されていないのだと思います。失われたものの深さは、金額に換算することはできません。いろんな裁判の中で、「ふるさと喪失」は失われたものとして認めらないことが多いです。 福島とオリンピック 三浦 武藤さんは、2020年の福島での集会のスピーチで、オリンピックについてこのように話していました。 「莫大なお金がこのオリンピック、聖火リレーにつぎ込まれています。さまざまな問題がオリンピックの陰に隠され、遠のいていきます。オリンピックが終わった後に、何が残るのかとても不安です。私たちは、うわべだけの『復興した福島』を知ってほしいのではなく、たった9年では解決できない問題が山積した、とても苦しい、とても大変な原発事故の被害の実情こそを、世界の皆さまに知ってもらいたいです」(武藤類子『10年後の福島からあなたへ』大月書店、2021年) (略) 武藤 最初は、復興五輪と言っていたのに、復興なんかどっかにいってしまった。そのあとのコロナ克服にしても、何も解決していません。最初から全部嘘なんだなと思いますね。 (略) 武藤 福島の原発も東京オリンピックも、最も大切にされるべき命や健康というものが、まったく顧みられていないというのが、一番大きな共通点だと思います。原発もオリンピックも、巨大な力で実現していくために、誰かを犠牲にすることをまったく厭わない。特に私が怒っているのは、子どもを動員するということです。事故後に原発作業員たちの中継基地となったJヴィレッジが、聖火リレーの出発地点に決まり、地元の子どもたちが芝を植え替えるために動員されました。フレコンバッグ置き場だった福島市の運動公園も、野球とソフトボールの会場に決まり、小学生たちが花植えの作業に動員されられたりしました。福島では安全を宣伝するための一番の広告塔に、ずっと子どもが使われてきたんです。オリンピックでも、このコロナ禍の中であっても「学校連携チケット」で子どもを動員しようとしていたことが驚きでした。 (略) 武藤 今、福島第一原発の周辺には、「福島イノベーション・コースト構想」の一環で国際教育研究拠点の設置が計画されています。これは、アメリカ、ワシントン州の「ハンフォード核施設」(ワシントン州)の周辺地域をモデルにすると言っているんです。ハンフォードは、マンハッタン計画において長崎に落とされた原爆の材料であるプルトニウムを製造した施設ですが、その周辺は、深刻な放射性物質の漏洩や実験的な拡散によってアメリカで最も汚染された地域です。廃炉や除染技術の研究所や関連する企業によって発展をしましたが、周辺住民を犠牲にすることを厭わずにやってきた歴史があります。 三浦 ハンフォードに倣って、産学官民の調整役となる「福島浜通りトライデック」という民間組織もできました。今までのように官製ではなくて、市民団体に見えるようになっている……。原子力ムラが市民団体のような顔をして国の原発政策を後押しするという、今までにはなかった新しいやり方にならないか、懸念しています。 武藤 イノベーション・コースト構想は「浜通りの輝かしい未来をつくりましょう」と夢を見せながら、実際には原子力産業が支配をし、やがてまた住民が犠牲にされていくのではないかという不安が、私にはどうしてもあります。原発事故直後から、福島県には「夢」とか「希望」とか「安全」とか「絆」という言葉が氾濫して、みんなで前を向いて進んでいかなければいけないという風潮がありました。私たちは絶望すらさせてもらえなかったのです。 (略) 武藤 本当は、人々の中に不安がないわけではないのです。でも、何かに背中を押されるように、口をつぐみ「あきらめの境地」へ連れていかれたんじゃないかな。食品汚染や健康被害、あるいは汚染土や汚染水にしても、一見それぞれ別の問題であるように見えますが、実はそうではありません。それらはすべて、「放射能というものは怖くないんだ」という一つの考え方に行き着くのです。放射能が怖くないと思わせることで、現実を見させないようにしている。原発事故から10年たった今から見ると、それらは放射線防護の基準や考え方を大幅に緩め、原子力産業の復活を狙って仕組まれたのではないか、と感じています。まやかしの「夢」や「希望」に惑わされないためには、一度この絶望を、目を凝らして見つめなければいけないと思うのです。生きていく中で大きな出来事に出会ったときには、その事実に絶望して打ちのめされるという過程が必要なんです。絶望をしっかりと見つめるという過程を経てはじめて、私たちは少しずつ立ち直っていくことができるのだと思います。 全文は福島を語る(1)「東北の鬼」に会いに行く

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原発汚染水海洋放出について 経済産業省の説明を聞く会 via 「汚染水の海洋放出に反対する」実行委員会

※ライブ配信時、冒頭の音声が欠けてしまいましたので、完全版としてアップロードしました※ 2021 年 7 月 10 日(土) 13:30~16:30 会場:三春交流館まほら 大ホール 説明者: 経済産業省資源エネルギー庁 原子力発電所事故収束対策室 奥田修司室長 東電福島第一原発事故により発生した汚染水の処分について、今年4月 13日に政府は海洋放出により 処分を行うと決定しました。海洋放出に関しては多くの疑問点や問題点がありますが、菅総理は決定後、 「今後国民にしっかり説明して、御理解いただけるようにしていきたい」と述べています。 国には私たちの納得のいくまで説明して頂きたいと思います。 会に参加できない方もYouTubeからぜひ視聴ください。 ***プログラム*** 13:30~13:40 あいさつ 実行委員長・三春町長・三春町議長 13:40〜14:00 説明 奥田修司室長 14:00〜16:30 会場からの質疑応答 (途中休憩あり) 主催:「汚染水の海洋放出に反対する」実行委員会 後援:三春町

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今や「復興五輪」でも「コロナ克服五輪」でもない…福島から期待の声が上がる五輪中止の仮処分申請 via 東京新聞

東京五輪の開会式が迫る9日、市民有志が東京地裁に大会中止の仮処分を申し立てた。緊急事態宣言下の開催で新型コロナウイルス感染拡大を懸念し、「復興五輪」に疑問を抱く人たちは、土壇場の行動に注目する。国民の最大の関心事となっている五輪リスクに、裁判官はどんな判断を下すのか。(佐藤直子) […] ◆「中止は当然」  元蔵前協立診療所所長で、福島県立医科大・災害支援講座助教を務める原田文植医師は「中止は当然。司法は受け止めて決定を出してほしい」と語る。もともと、下町の人たちが五輪で客が増えるのを見込んで店を改装したり、1964年東京五輪を知る高齢者が楽しみにしている様子を見て、「できるなら開かれたらいい」と思っていた。 「でも、この期に及んで感染対策に有効としたワクチン接種も在庫不足でストップした。安心・安全の目標はクリアできなかったのだから中止しかない。感染者が増えて緊急事態宣言下で五輪を開くなど非科学的だ」 申し立ては、東京電力福島第一原発事故の原子力緊急事態宣言が現在も発令中で、「復興五輪」を掲げながら福島県外への避難者がまだ多数いることも強調。「福島原発告訴団」の武藤類子団長は「市民の声にこたえ、裁判所は中止決定を出してほしい。原発事故の状況がコントロールされているという安倍晋三前首相のうそから始まって、今や『復興五輪』でも『コロナ克服五輪』でもない」と憤る。 ◆「弱い者から犠牲は同じ」  腹立たしかったのは、聖火リレーの出発地として使われた楢葉町・広野町のスポーツ施設「Jヴィレッジ」で、東電が除染しきれなかった場所に芝生を植えるボランティアに子どもらが「動員」されたことだという。 「原発事故と五輪は大切な命や健康が脅かされ、弱い者から犠牲になる点で同じです」 申し立ては新国立競技場周辺の都営アパートから住民を退去させたことや、建設用地とされた明治公園から野宿者を排除したことも挙げ、「たった二週間の開催のための人権侵害は許されない」と問題視している。「明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟」原告代理人の山本志都弁護士は、「だれかが仮処分(申し立て)をやらないかと思っていた」と話す。 明治公園では2016年3月、日本スポーツ振興センター(JSC)が申し立てた「土地明け渡し断行の仮処分」によって、野宿生活者が強制退去させられた。「退去を求めるには本来は正式な裁判手続きが必要だが、野宿者なら何をやってもいいといわんばかりに、警察力も使われて一方的に公園から追い出された」 ◆都と組織委「まだ書面受け取らず」  訴訟では、精神的苦痛への慰謝料などをJSCや国、都に求めている。「五輪を巡る政府や行政の薄汚なさがコロナ禍で可視化された。命や人権の問題は司法が判断すべきこと。裁判所は国民の最大関心事になった五輪のリスクを検討すべきだ」と仮処分の行方に注目している。 申し立てに対し、都と組織委は「まだ書面を受け取っていない」としている。 全文

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「国は国民守らない」静かに怒る鬼が見た原発行政10年 via 朝日新聞

聞き手・飯島啓史 私たちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です――。東京電力福島第一原発事故の発生から半年後、福島県三春町の武藤類子さん(67)は群衆であふれる東京都内の公園で、事故への戸惑いや悲しみ、怒りを「鬼」という言葉に込めて訴えた。事故からまもなく10年。その思いは届いたのか。 (略) むとう・るいこ 1953年8月、福島県矢吹町生まれ。1歳から福島市で育ち、大学卒業後、印刷会社に就職するも、教育大に再入学。その後は養護学校の教員として20年働き、2001年に中途退職した後は福島県田村市船引町で喫茶店「里山喫茶燦(きらら)」を営む。12年から福島原発告訴団長として、東京電力の旧経営陣の刑事責任を追及し、全国各地での講演は計300回を超える。  ――原発に関心を持ったきっかけは何ですか。  「1986年のチェルノブイリ原発の事故が起きるまで、福島に原発があることすらほとんど気にしていませんでした。しかし、事故で周辺に住めなくなり、その悲惨さを伝えるニュースを見て、原発の危険性を認識し、県内にも多くの原発があるということに目を向けました。そして、『原発は無いほうがいい』と思い、反原発運動に参加するようになりました」  「その後はできるだけ電気を使わず自然の中で暮らしたいと思い、2003年からは実家近くの山あいで喫茶店を始め、裏山には自分で山小屋を建て、ソーラーパネルや薪ストーブを設置し、できるだけ省エネで暮らしていました」 (略) ――事故から約半年後、東電の旧経営陣の業務上過失致死傷罪での起訴を目指し、活動を始めました。  「事故の後、福島第一原発がメルトダウンしていることの公表は約2カ月遅れ、国は放射線被曝(ひばく)の基準を緩和しました。そうした中で原発の再稼働の話もあり、『このままでは、原発の問題は事故前と何も変わらない』と思い、これまでの運動の仲間や弁護士などの力を借りて刑事告訴・告発を呼びかけました」 「国策の犠牲になった東北、福島」  ――11年9月に6万人が集まった東京での集会で、「私たちは、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」と訴えました。  「とにかく福島の現状を知って欲しいという思いでした。福島の報道もだんだん減り、国は事故が収束に向かっているとアピールする中、福島県民の不安や原発への危機感を理解して欲しかった」  「また、自分も含めて東北の人間は、怒りを内に秘めることが多いと感じています。歴史における東北は中央に対する辺境で、原発政策においても、東北は首都圏に電気を供給する役割を負ってきたと感じます。その国策の犠牲となった東北や福島の怒り、中央にあらがう気持ちを、東北各地にたくさんある『鬼伝説』を踏まえ、鬼という言葉で表現しました」  ――12年には東電の旧経営陣の刑事責任を追及する「福島原発告訴団」の団長になりました。  「最初は県内の約1300人が告訴人になり、12年末には全国の1万5千人が告訴・告発人として集まりました。年長ということと、喫茶店も事故後から営業していなかったので、私が団長になりました」  ――告訴・告発を受け、検察は2度、元幹部らを不起訴としましたが、検察審査会が2度、元会長ら3人を「起訴すべきだ」と議決し、16年に強制起訴されました。  「検察は当然起訴すると思っていたので、不起訴はびっくりしました。これだけの事故を起こしているのに、罪に問われないのかと。原発のあり方を問い直すためには被害者が声を上げるしかないと思い、全国を奔走(ほんそう)しました」  ――しかし、東京地裁は昨年9月、旧経営陣3人全員に無罪判決を言い渡しました。  「37回の公判全てを傍聴しました。21人の証人が出廷し、東電内の議事録やメールなど新証拠も出され、有罪だと私は確信していたので、無罪判決を聞いて心底がっかりしました。判決主文のあと、3時間にわたる判決理由をずっと聞いていました。『(福島県沖で津波地震が起きる可能性を指摘した国の)長期評価の信頼性には疑いが残る』『原発には絶対的な安全性が求められているわけではない』といった判決を聞き、がくぜんとしました」 ――検察官役の指定弁護士は「(一審判決は)重大な誤り」と控訴し、東京高裁で改めて旧経営陣の刑事責任が判断されます。何を求めますか。  「旧経営陣に責任を取って欲しい、ということです。何が間違っていたのか正しく認識し、同じ悲劇が起きないように、どういう経営、どういう社会を作っていけばいいのかと考えることが、責任を取るということだと思います。東電の廃炉資料館に行くと、『反省と教訓』という言葉が繰り返されていますが、本当に反省をして教訓を生かすのであれば、まずは事故の責任を自ら認識して欲しいと思います」  ――事故後の東京でのスピーチでは事故への怒り、国の対応への不信感を訴えました。状況は変わりましたか。  「あの場所で危機感を持って言った『国は国民を守らない、莫大(ばくだい)な放射能のゴミは残る』などの言葉が、実現してしまっていると感じています。国の原発事故や行政をめぐる姿勢はこの10年でむしろひどくなっている。処理水の海洋放出や、汚染土の再利用などはその象徴だと思います。一方、復興予算は『イノベーション・コースト構想』をはじめとする、新しい箱もの作りに使われ、本当の復興とは何か、見えなくなっています。本当の復興とは、長い時間がかかっても、もとの住民がふるさとで安全に暮らせることではないでしょうか」(聞き手・飯島啓史) 全文と「さようなら原発集会」でのスピーチ要旨は「国は国民守らない」静かに怒る鬼が見た原発行政10年

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「間違った道、刑事裁判で直す」福島原発告訴団の武藤さん問い続ける via 西日本新聞

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「日本と原発 4年後」(上) 福島第1原発事故関連のドキュメンタリー映画の監督と主な出演者にインタビューする連載「あの映画 その後」は、第3シリーズとして「日本と原発 4年後」(河合弘之監督)を取り上げる。弁護士である河合監督が事故の教訓を踏まえ、脱原発を訴えるドキュメンタリー。国と東京電力の関係者を刑事告訴した「福島原発告訴団」の団長で、映画に登場する武藤類子さん(66)は今、東電旧経営陣の強制起訴裁判を支援する。なぜ刑事責任を問い続けるのか聞いた。 「間違ってる、この判決」 「事故の後、福島の住民は不誠実な国と、無責任な東京電力の対応に怒り、悲しみ、深く傷つきました。なぜ、こんな理不尽なことが次々起きるのか考えた時に、事故の責任を負うべき人の責任が問われていないからだと気づいたんですね」。武藤さんは、告訴当時を振り返る。「大事故があれば警察、検察は自ら動いて現場検証し、強制捜査して起訴する。それがないから、告訴という形を取りました」 事故1年後の2012年3月に福島原発告訴団を結成。同年6月、国と東電の関係者ら33人を告訴した。検察は不起訴処分を重ねた。市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された東電旧経営陣3人の一審・東京地裁判決は無罪となり、今は東京高裁での責任追及を待つところだ。 「日本と原発 4年後」では、武藤さんが15年7月、強制起訴の決定後の記者会見で思いを語る場面がある。「検察審査会の審査員の方々は検察庁が不起訴とした処分は間違いであったと断じ、きちんと罪を問うべきだと判断したのです。やっとここまできたという思いで胸がいっぱいです」 強制起訴後は、検察役の指定弁護士らを支援する立場となった。新たに「福島原発刑事訴訟支援団」を結成し、裁判を傍聴し内容を広く伝えてきた。 (略) 19年9月の判決公判は、いつもの手荷物のエックス線検査に加え、手で触れられて身体検査をされた。ノート一枚一枚をめくられ、財布の中も見られた。警備職員が傍聴席を取り囲んで、睥睨(へいげい)する。裁判長は最初に「無罪」を言い渡した。傍聴席がざわつく。「え?」「ひどい」などの声が上がる。警備職員たちはその声の方に駆け寄っては制止する。傍聴人を敵視するかのような裁判長の訴訟指揮だった。 38回を数えた公判では21人が証言し、多くの東電社内のメールや議事録が証拠提出された。「東電の(旧経営陣)3人は大津波を予見できたのに対策を怠ったと立証されたと、有罪を確信していました。がっかりし、ありえない判決だと思いました」 閉廷が告げられると同時に声を上げずにいられなかった。「間違ってる、この判決」 深いところで傷ついている 武藤さんは事故時、福島県三春町の山中で里山喫茶「燦(きらら)」を経営していた。チェルノブイリ原発事故後、脱原発運動を始めたが、人々の関心は薄れていった。喫茶店は「自分の暮らしから変えよう」と、養護学校教員を辞め山林を開墾して2003年に開店した。 三春町は避難指示区域ではないが、放射能で汚染され、行政の除染事業はあった。だが、山は対象外。畑での野菜栽培は難しい。山菜やクワの実、みそやパンに加工したり、カレーの具材にしたりしたドングリなど山の幸も食べることはできなくなった。山から調達する薪もストーブで燃やせない。廃業せざるを得なかった。 草花や昆虫に親しむ自然の中の暮らしが一気に奪われた喪失感は大きかった。しばらくは訳もなく涙がこぼれ出した。いかに自分が傷ついたか思い知る。「生き物」として深いところで傷ついている気がした。「みんな日々の選択に苦しんだ。避難するか避難しないか、食べるか食べないか、洗濯物を外に干すか干さないか。しだいに選択に疲れてきて、『もう聞きたくない』と被ばくの怖さを語るのがつらくなる人も出てきて、人々の間に分断が生まれました」 (略) 「無主物」の主張、恐るべき無責任 事故から1年間、被ばくを恐れつつ先が見えない日々にあって、東京電力と国の対応は「驚き、あきれ、そしてまたがっかりして傷ついていく、そういうことの繰り返し」だった。 東電の「無責任」とは何か。「二本松市のゴルフ場が除染を求めたら、東電は放射性物質は『(誰のものでもない)無主物』だと主張し、除染もせず賠償もしなかった。原因企業なのに『自分たちの責任で除染しない』と言う。恐るべき無責任さに驚きました」 (略) 「不誠実」な安全キャンペーン 国などの「不誠実」とはどんなことか。事故当初、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を隠し、多くの人たちを安全で適切な避難方向へ導かず無用な被ばくをさせた。 大学の専門家を「放射線健康リスク管理アドバイザー」として被災各地に派遣し、安全キャンペーンを展開。一般公衆被ばく限度は法令で年1ミリシーベルトと定めているのに、「年に100ミリシーベルト被ばくしても心配ない」などと説いて回らせた。 「福島市や郡山市、二本松市などでは、キャンペーンを信じた保護者たちが事故1カ月後には自主避難先から子どもを連れて戻り、入学させたり、通学させたりしてしまった。国は緊急時の暫定値として年20ミリシーベルトという目安を持ち出し、学校では(事故前なら問題となる放射線量下であっても)風で砂ぼこりが舞うような屋外で、子どもたちに運動させたんですね」 (略) 責任をはっきりさせて、尊厳を取り戻す 福島原発告訴団の呼び掛けで集まった県内の告訴人は1324人。告訴後、全国各地を回り、最終的な告訴・告発人は計1万4716人に達した。 「告訴を通じて踏みつけにされ台無しにされた人間の尊厳を取り戻したいと思いました。私たちの世代はこんなにものすごい量の核のごみをこの世に残し、若い世代や子どもたちに押しつけている。せめて刑事裁判で原発事故の原因と責任の所在をはっきりさせて、間違った道を直したい。それなしには被害者の完全救済はなく、本当の意味で福島の復興はあり得ない。同じような事故がまた起きかねません」。その思いは変わらない。 脱原発を訴える。「人の被ばくが前提の発電方法だから反対です。ウラン鉱石の採掘段階から被ばくは免れず、運転に必要な定期点検は現場の人たちが被ばくする。いったん事故が起きれば、家を失い、生業(なりわい)を失い、地域を失い、甚大な被害を及ぼす。使用済み燃料の捨て場も決まらない。さらに、再処理もできず、核燃料サイクルは破綻している。経済優先で原発再稼働されるたびに、福島でこんなにたくさん放射能を浴びて被ばくしているのにそれが教訓に生かされないことを悲しく感じます」(吉田昭一郎) 全文は「間違った道、刑事裁判で直す」福島原発告訴団の武藤さん問い続ける

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