Tag Archives: 非難

福島ミエルカプロジェクト:福島県富岡町に帰還した板倉正雄さん via FoE Japan

「福島を見ていない人はこの現実を想定できないでしょう」 2017年に避難解除された福島県富岡町。東電福島第一原発からおよそ6kmのところに板倉さんの家があります。富岡町に帰還した板倉さんを福島県三春町に住む武藤類子さんと訪ねました。 放射線量が未だに高いことから、孫や子どもたちを呼ぶことはないと言います。利用できるお店やサービスが限られているため、90歳を超えても今なお車を運転しなければ生活ができないなど、旧避難指示区域の富岡町の様子を語ってくださいました。ぜひ、板倉さんのお話をおききください。 ▼他の方のインタビューやDVD販売もございます。 http://www.foejapan.org/energy/fukush… ▼見える化プロジェクトの再生リストはこちら https://www.youtube.com/playlist?list… ▼FoE Japanについてはこちら http://www.foejapan.org/ ※インタビューは2019年2月に行いました #311mieruka #fukushima

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福島ミエルカプロジェクト:福島県大熊町から新潟県に避難した大賀あや子さん via FoEミエルカプロジェクト

福島第一原発事故からまもなく9年半たちます。事故による痛みや苦しみ、事故により失われたもの、事故により負わされたもの、それでも立ち上がろうとする人たち…。 FoE Japanは、原発事故被害の「見える化プロジェクト」の一環として、こうした人たちのインタビュー映像を制作し、公開しています。 今回は、福島県大熊町から新潟県に避難した大賀あや子さんのお話です。チェルノブイリ原発事故後に原発の危険性を認識し、脱原発運動に参加するようになった大賀さん。福島第2原発の事故などもあり、福島に通ううち、福島のすばらしさにほれこんで、移住を決意。「原発がなければ、いや、原発があってもなんていいところなんだろう」と思ったそうです。農業を学び、友人の建築士に依頼し、阿武隈山地の木材をつかったこだわりの家を建てました。その家に入居する直前にあの事故が起こったのです。2013年末、新潟県に避難した大賀さんは「もう最初の春がすごい幸せで、もう見るもの、触れるもの、全てが大丈夫なんだ」と感じたそうです。それだけ、原発事故後の生活は苦しいものでした。2020年3月に大熊町の一部で避難解除されましたが…。ぜひ、大賀さんの話をおききください。

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原発事故時の避難先 ガイドマップで周知 日立市、全世帯に配布 via 東京新聞

東海村の日本原子力発電東海第二原発から三十キロ圏に入る日立市は、原発事故時の避難先や避難経路を周知するためのガイドマップ八万四千部を作製し、市内の全世帯に配布した。市は避難計画を策定中だが、避難先が分からない市民が多くいるとみられることから、「ガイドマップで課題を解消したい」としている。 日立市の広域避難計画の素案では、地区ごとに福島県の十七市町村に避難することになっている。 昨年十一月に、東海第二原発での事故を想定した避難訓練を実施した際、参加者にアンケートをした。回答した約百人のうち半数近くが、避難計画素案について「聞いたことがない」と答えた。 […] 市原子力安全対策室は「事故時に逃げる先を住民に知ってほしい」と話している。また、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、避難所での感染症対策も検討するとしている。(松村真一郎) 関連キーワード 全文

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