Tag Archives: 有機農業

「ふくしまオルガン堂」閉店へ 風評に立ち向かう農家の思いとは via FNN

東京・世田谷区にある小さなカフェ「ふくしまオルガン堂」。 3年前にオープンした、この店では、福島県産の有機野菜や、畜産物を使った料理を味わうことができるほか、野菜などを買うこともできる。 また、福島県から避難してきた人たちや、消費者らとの交流の場としてもにぎわっている。 佐藤達也店長は「福島の有機農家さんが、丹精込めて作った野菜を、丹精込めて調理させてもらって、お客様が来てくれるというのが、福島の食に対して、間接的に貢献できたかなと、実感が湧いてきたところです」と話した。 中でも、地元の食材にこだわったサラダや煮物、みそ汁などの日替わりランチは大人気だという。 客は、「とても、おいしいです」、「しっかり、お野菜の味がするっていうのがいいですね」などと話した。 ふくしまオルガン堂を経営しているのは、2009年に設立されたNPO(民間非営利団体)法人・福島県有機農業ネットワーク。 およそ100人の農家が所属している。 安心・安全を売りに、消費者や飲食店と関係を築き上げてきたが、原発事故による風評被害で、その信頼関係は一瞬にして崩れ去った。 NPO法人・福島県有機農業ネットワークの浅見彰宏事務局長は「ふくしまオルガン堂の目的というものが、どうしても福島の農産物を、怖くて買えないという人が多い中、農家自身が自分たちの作っているものを、こういうふうに食べてほしい、こう作っているから大丈夫だよということを伝えるための場として作りました」と話した。 このため、店で提供される全ての食材は、出荷前に現地で放射線量の測定を行い、その結果を表示して販売している。 有機農家の大河原 海さんは「(放射線量の)数値もちゃんと測って、なるべく品質のいいものを作りたいというふうに思っていますし、それがやっぱり、お客さんと生産者をつなげる近道なんじゃないかなっていうふうには思っています」と話した。 福島県有機農業ネットワークは、農家との交流会や、郷土料理の試食会など、さまざまなイベントを開催。 信頼回復を目指して、地道にPR活動を続けてきた結果、スーパーや飲食店など、新たな取引先も開拓した。 こうした中、震災から5年の節目を迎え、民間企業からの助成金も切れたことを機に、ふくしまオルガン堂は閉店することになった。 客は「ちょっと、残念ですね」と話した。 惜しまれつつも、3月20日をもって幕を下ろす、ふくしまオルガン堂。 それは終わりではなく、ここで培った交流を生かし、今後は農業体験ツアーなどを通して、福島県に直接、足を運んでもらいたいとしている。 続き、動画は 「ふくしまオルガン堂」閉店へ 風評に立ち向かう農家の思いとは

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農薬、化学肥料と決別 有機農業家・詩人 星寛治さん(77) via 東京新聞

[…] 86年のチェルノブイリ事故後、星には「脱原発の思い」はあった。有機農業の集会や講演なので、話題が原発におよぶと脱原発を訴えたが、反応は芳しくなかった。「科学文明を否定する遅れた考え方と思われました。安全神話があったから、異端者として見られた。」 […] 「日本人はエネルギーを確保しないと豊かになれない、という考えにからめとられている」と感じる。[…]「脱原発には脱成長が必要」と説く。 全文はこちら。 関連記事 時代を駆ける:星寛治/1 「共生」で震災から再生を via 毎日新聞

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時代を駆ける:星寛治/1 「共生」で震災から再生を via 毎日新聞

毎日新聞 2012年06月19日 東京朝刊 農の営みを通じ、人と自然、人と人の共生を考える山形県高畠町の「まほろばの里農学校」が今年、開校20周年を迎えた。その原点は約40年前、全国 に先駆けて有機農業に取り組んだ地域の若者たちのグループだ。先頭を歩んできた星寛治さん(76)は今、東日本大震災と原発禍に揺れる日本の再生は共生の 理念によるしかないと訴える。 […] 《地震と津波に追い打ちをかけた原発事故。影響は高畠町にも及んだ》 山形県内で放射能の影響は軽微でしたが、消費者の反応は厳しく、高畠町でも産直契約が半減しました。消費者の不安は当然で、私たち生産者が検査データなどを示し、丁寧に説明しなければいけません。顔の見える関係、生身の交流の大切さを改めて痛感しました。 《昨年7月に出版された「脱原発社会を創る30人の提言」に「原発と有機農業は共存できない」との一文を寄せた》 原発事故後、福島県二本松市で有機農業を営む知人と電話で何度も連絡を取りました。30年ほど前、私のところで研修した気骨ある農家です。彼は不屈 の精神で放射能と闘っていますが、食の安全を目指してきた有機農家には最大のダメージです。原発事故は、科学技術の進歩や経済成長が必ずしも人間を幸福に しないことを示しました。本当に大切なこと、真の復興とは何かを考えなくてはいけません。 ■人物略歴 ◇ほし・かんじ 1935年9月7日、山形県高畠町生まれ。有機農業のほか、町おこしや教育でもリーダー的存在(写真は5月下旬、田植え前の田んぼで) 全文は 時代を駆ける:星寛治/1 「共生」で震災から再生を  

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放射能汚染は生産者の暮らしをどう変えたか 漁師&農家が語る「原発事故」と「生産者のいま」 via Diamond online

――“見えない敵”と闘い続ける漁師×農家対談【前編】 まもなく、東日本大震災から1年が過ぎようとしている。あの日から失われた「職」と「食」の安定は、いまだ取り戻せないままだ。 農林水産省のホームページによると、震災関連の被害農地推定面積は2万3600ヘクタール、 農林水産関係の被害額は2兆3704億円に上る。福島第一原子力発電所の事故に伴う食品中の放射性物質に対する漠然とした不安は、今も消えない。時間が経 つにつれ、西と東の温度差は広がり、被災地から遠く離れた首都圏や北関東の生産者たちにも影響は広がり続けている。 今回は、特別企画としてベテランの漁師と農家に話を伺った。ご登場いただくのは、江戸時代か ら代々続く東京湾の漁師で船橋市漁業協同組合組合長でもある大野一敏さん(73歳)と、茨城県石岡市で約40年間に渡り有機農業を続けてきた魚住道郎さん (62歳)だ。今なお、”見えない敵”と闘い続ける生産者2人の声に、まずはじっくりと耳を傾けたい。 魚の買い控えに、農園サポーターの減少 原発事故がもたらしたこの1年の変化 東京都心から電車に揺られること約30分。JR船橋駅で下車し、15分ほど歩いた先に大野一敏さん率いる「大平丸」の事務所がある。 続きは放射能汚染は生産者の暮らしをどう変えたか 漁師&農家が語る「原発事故」と「生産者のいま」

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秋山豊寛 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ- via 六耀社

◆内容紹介 わたしたちとこどもたちの未来を考えるために 宇宙ステーション「ミール」から帰還後、 福島・阿武隈山系滝野町で有機農業栽培に従事していた著者は、 3・11東日本大震災と福島第一原発崩壊に見舞われ、 原発難民となった。 本書はその体験と、 農人としての生きざまを語った宇宙飛行士のリアルな警鐘である。 ◇秋山豊寛 1942年東京生まれ。1966年東京放送入社。 外信部、政治部記者を経てワシントン支局長。 1990年日本初の宇宙飛行士として旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗、 宇宙ステーション「ミール」から地球の模様を中継した。 1992年熱気球による世界初のベーリング海峡横断に成功。 1995年東京放送退社。翌年から福島県で有機農業に勤しむ。 目次、注文は 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ-

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【長野】福島から移住した有機農家、上田で再始動 via asahi.com

原発事故後、福島県二本松市から上田市に移ってきた農家が再始動した。「丹野農園」にとって加工品第1号となる「にんじんジュース」が先週末、上田市の 松尾町商店街であったイベントで並んだ。再出発の地に上田を選んで約5カ月。農園の丹野喜三郎さん(70)は「上田の土はいい。ここを拠点にやっていく」 と話した。 約40年にわたって有機農業に取り組んできた丹野さん。二本松ではコメや野菜、小麦などを栽培し、地元にとどまらず、首都圏や名古屋、大阪などの消費者に届けてきた。 しかし、3月11日の大震災や原発事故で、すべてが奪われた。作った野菜はキャンセルされて出荷できず、大半は廃棄するしかなかった。 移転先を探し、山形や山梨県などを見て回った。上田は、長野大学環境ツーリズム学部の古田睦美教授が窓口となり、有機農業者の受け入れを掲げていたことから、候補地となった。 続きは【長野】福島から移住した有機農家、上田で再始動

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それでも種をまく via 国際有機農業映画祭

  2011年/日本/30分 日本語 構成:小池菜採 制作:国際有機農業映画祭運営委員会 有 機農業は、生命のつながりの中にある。生産者と消費者のつながり、生産者と地域のつながり、そして、循環する生態系とのつながり。しかし、福島第一発事故 とそれによる放射能汚染は、こうしたつながりを暴力的に断ち切った。その痛みの中で、なお「つながり」を取り戻すための種をまこうとしている人びとの姿を 追う。続きはそれでも種をまく  

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