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秋山豊寛 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ- via 六耀社

◆内容紹介 わたしたちとこどもたちの未来を考えるために 宇宙ステーション「ミール」から帰還後、 福島・阿武隈山系滝野町で有機農業栽培に従事していた著者は、 3・11東日本大震災と福島第一原発崩壊に見舞われ、 原発難民となった。 本書はその体験と、 農人としての生きざまを語った宇宙飛行士のリアルな警鐘である。 ◇秋山豊寛 1942年東京生まれ。1966年東京放送入社。 外信部、政治部記者を経てワシントン支局長。 1990年日本初の宇宙飛行士として旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗、 宇宙ステーション「ミール」から地球の模様を中継した。 1992年熱気球による世界初のベーリング海峡横断に成功。 1995年東京放送退社。翌年から福島県で有機農業に勤しむ。 目次、注文は 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ-

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ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん via 毎日jp

日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲がどんどん伸びて、びっくりします」。ハウスではアスパラガスやカボチャ、ピーマンなどの野菜も栽培。避難先とはいえ、ようやく「農のある暮らし」を取り戻し、秋山さんもホッと一息という表情だ。 東京放送(TBS)記者だった秋山さんが、旧ソ連カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ったのは、90年12月2日のこと。生中継で東京のスタジオからの呼びかけに、「これ、本番ですか?」と聞き返したのが、宇宙からの第一声となった。その後、国際ニュースセンター長となったが「管理職になって、現場を離れるのは耐えられない」と95年に退社。福島・滝根に移り住み、自給自足を目指して有機農業を始めた。現在も月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動を続けている。 続きは ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん

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