Tag Archives: 原子力資料情報室

規制庁と経産省が「事前調整」 原発運転延長で、市民団体が批判 via 河北新報

 NPO法人・原子力資料情報室は21日、原発の運転期間を延長する制度改正を巡り、原子力規制委員会が正式な検討を開始する前に、事務局の原子力規制庁と経済産業省が事前調整していたことを示す内部文書を入手したと発表した。松久保肇事務局長は「規制と推進を分離するという福島第1原発事故後の原則に反し、非常に由々しき事態だ」と批判している。  情報室によると、内部通報者から資料を入手。8月時点で作成されたとされる文書に、経産省が検討を進めていた最長60年の運転期間の上限廃止など制度見直しの内容や、改正法案の国会への提出方法が具体的に記されていた。 原文 ◆2022年12月21日 緊急記者会見  原子力規制庁の運転期間延長事前検討問題と関連情報

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核燃料サイクル政策の曖昧さ露呈 「高速炉は維持」に疑問の声も via 福井新聞

[…] 元県原子力安全対策課長の来馬克美・福井工大教授は「高速増殖炉の開発や原子力政策は、将来を見据え長期的な視点で考えるべき国家プロジェクト。地元として足をすくわれるのは困る」と語る。「もんじゅを巡って煮え切らない状況が続いてきた。政府はもっと早く抜本的な見直し議論をすべきだった」とも感じている。  2014年に閣議決定したエネルギー基本計画で、もんじゅは「国際的な研究拠点」と位置付けられたにもかかわらず、廃炉方向へ転換したことには「計画策定時に核燃料サイクルの総合的な議論をやってこなかったことが露呈している」と批判した。 […] 一方、1997年の原子力委員会の高速増殖炉懇談会メンバーだった吉岡斉・九州大教授(科学史)は、今回の政府方針について「福島第1原発事故後の(厳しい世論にさらされている)原子力政策を少しでも原状復帰させるため、余計者のもんじゅを廃炉にしたいという認識に至った」と推測する。  政府は軽水炉をまず第一に考え、原発から出る使用済み燃料を再処理し軽水炉で燃やす「プルサーマル」を重視しているとみる。その上で「高速炉研究の継続はリップサービスに過ぎず、最終処分場さえ決まれば最終的にはコストが高い再処理事業からも撤退するというシナリオではないか」と話す。  NPO法人「原子力資料情報室」(東京)共同代表で、もんじゅ廃炉を提言した市民検討委員長の伴英幸氏は「核燃料サイクルを一気に止められず、激変緩和が必要なのだろう」と分析する。  「常陽の活用やフランスとの共同研究で仕切り直しても、その先がうまくいかない。核燃料サイクルは事実上破綻している」と強調。将来的に原発の使用済み燃料は直接、最終処分する時代になるとし、「処分量そのものを減らすためにも、速やかに原子力そのものから撤退すべきだ」と語った。 もっと読む。

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匿名 陰から 脅し 盗撮 大量メール 「反原発」に続く嫌がらせ via 北海道新聞

 「子供は家に一人だよな」と脅す。がんで闘病中なのにお悔やみのはがきをばらまく。陰険な手口は今も昔も変わらない。名も名乗らない手合いによる反原発運動に対する攻撃だ。犯人が捕まることはまれで野放しに近い。 「子供たちに放射能の危険を残したくない」。元アイドルで情報会社社長の千葉麗子さんは反原発の思いを自己規制しない。首相官邸前デモで、ツイッターで、訴える。 経営者としての損得を考えると、沈黙が無難だろう。だが、福島県出身。福島市職員だった父から「あぶない」と聞かされていた東京電力福島第1原発が 2011年3月11日、本当に凶器になった。政府、東電の発表は、後でうそと分かることの繰り返し。自分なりにできることをやろう、と決めた。 13年7月2日朝。登校しようと玄関を出た子供が「母ちゃんっ」と叫んだ。外に出て息をのんだ。マイカーにペンキで「原発推進」の大文字。窓ガラスは粉々で、タイヤがぺしゃんこだった。 6日、ツイッターに書き込みが来た。「毎週金曜18時から20時前は官邸前に行ってるんだろう。その間、子供一人だな、イヒヒ」 引っ越した。防犯カメラをつけた。警備を頼んだ。「母親の一番弱いところをついてきた。なんて陰湿」。犯人はまだ、捕まらない。 ◇68人に合計4千通 昨年8月と今年1月、東京新宿区立区民ギャラリーで「反原発への嫌がらせの歴史展」が開かれた。弁護士や市民運動家でつくる実行委員会(代表・海渡雄一 元日本弁護士会連合会事務総長)が1980年代から今に至る、嫌がらせの実例を展示した。民主主義と表現の自由に対する犯罪だ。 例えば、原発の危険性を専門的に分析している民間団体、原子力資料情報室(新宿区)の女性スタッフが、子供と一緒に歩いている写真がある。誰かが、こっそり撮り、自宅に郵送してきた。「いつも見張っているぞ」とでも言いたいのか。 「コンビニで後ろにいたの気づかなかった?」という別の手紙もある。トイレで使ったような紙、たばこの吸い殻から昆虫まで、判明しているだけで反原発派68人に約4千通の郵便物が届いた。 ◇資金力ある組織か 反原発運動の支柱的存在だった故高木仁三郎元東京都立大助教授は1992年、地方講演の際、会場に知らない贈り主から花輪がずらり届いた。共産党の名前入りは豪華だった。全てニセ。「アカ」と印象づけたかったらしい。 実行委員会は、これらの犯人像をこう分析する。 《1》郵便の消印は全国、海外にまたがる《2》個人の自宅住所、出張先まで調べ上げ、写真を撮ったり器物を破壊したりしている《3》全国の集会参加者や 反対運動家のリストをばらまいている《4》反対運動の内部資料や、反対運動家の郵便箱から盗んだとみられる書類もあった―、こんなことができるのは、強力 で資金力のある大きな組織に限られる、と。 (略) とはいえ脅し、嫌がらせがこれだけのさばる社会とは一体何か。福島県知事時代、いったんは原発を容認したものの、東電のトラブル隠しなどで反原発に転じた佐藤栄佐久さんは断罪する。「これはもう原子力帝国だ。日本の劣化だ」(徃住嘉文) 全文は匿名 陰から 脅し 盗撮 大量メール 「反原発」に続く嫌がらせ

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手紙で「あなたはダニ」 反原発への嫌がらせの数々展示 via 朝日新聞

反原発運動に参加する人たちに届いた嫌がらせの手紙などを集めた風変わりな展示会「反原発へのいやがらせの歴史展」が10、11両日、東京・新宿のギャラリーで開かれる。主催者は「原発が推進されてきた裏で、陰湿な圧力があった事実を知ってほしい」と話している。 […] 「意味不明のものもあれば、明確な意図を感じるものもあった」。原子力資料情報室共同代表の西尾漠さん(66)は、自分が差出人の「ニセ年賀状」が出回った。文面は、自らを過激派だと思わせる内容だ。「参加者やメンバーの分断を狙ったものだろう」とみている。 同情報室スタッフの澤井正子さん(60)のもとには1日数十通の手紙が束になって届く日が2~3年続いたという。子どもと歩く姿を撮られた写真のコピーもあった。「資金も人手もある大きな組織が背後にあったのではないか」 こうした手紙やはがきは全国各地で確認され、95年には同情報室をふくむ5団体と個人66人が日本弁護士連合会の人権擁護委員会に人権救済を申し立てた。その当時に確認されたものだけで約4千通あったという。 企画した海渡雄一弁護士は長く原発の運転差し止め訴訟などに関わり、こうした資料を集めてきた。「原発再稼働をめぐる攻防は、これから本格化する。今後また、過去のような反対運動への妨害工作が起きる可能性がある」と話す。 10日は午後1時~5時、11日は午前10時~午後4時、新宿区西新宿2丁目の区立区民ギャラリーで。入場無料。 全文は 手紙で「あなたはダニ」 反原発への嫌がらせの数々展示 (無料登録が必要です) 関連記事 8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 via CNIC 原子力資料情報室 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

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8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 via CNIC 原子力資料情報室

8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 日時 ○2013年8月10日(土)午後1時~5時    ○2013年8月11日(日)午前10時~午後4時 両日とも午後2時から主催者メンバー(海渡雄一・弁護士、西尾漠・原子力資料情報室共同代表、西村トシ子・元動燃職員の妻)による展示についての説明、懇談があります。 場所 新宿区立区民ギャラリー (新宿区西新宿2-11-4 新宿中央公園内 エコギャラリー新宿1階) 新宿駅から徒歩15分 丸ノ内線西新宿駅2番出口から10分 大江戸線都庁前駅A5出口から5分 新宿西口バスターミナル17番からバスに乗り、バス停「十二社池の下」下車1分 展覧会の開催に寄せて 原発反対運動への異常ないやがらせ 1986年4月にチェルノブイリ原発事故が起きました。その数年後日本でも、原発反対運動が大きく盛り上がったことがありました。1988年2月に 伊方原発の出力調整試験の反対運動が空前の盛り上がりを見せ、1988年4月には日比谷公園で2万人の集会が成功しました。1992-3年にはあかつき丸 によってフランスからのプルトニウム輸送が行われましたが、これに対しても、世界的な反対運動のネットワークが作られました。 この展覧会で明らか にしようとしている原発反対運動へのいやがらせは1980年代の終わり頃から見え隠れし、1993年ころがピークで、2000年頃まで続きました。あまり にも卑劣なやり方に全国の活動家たちが集まり、1994年から準備して1995年7月には日弁連に人権侵害救済の申し立てをしました。 私はその申立人らの代理人でした。 […] 今年の秋から、原発の再稼働、新増設への動きに拍車がかかるでしょう。これに対応して反対の活動も活発となることでしょう。その とき、手紙や写真という伝統的な形とは変わるかもしれませんが、1990年頃と同じような目的で、ネットなどを使ったより巧妙な反対運動への攪乱工作が行 われるのではないかと強い危惧を感じます。 この展覧会の目的は、このような活動を未然に防止するために、過去の嫌がらせの歴史を正確に多くの市民 に知っていただきたいということです。さらにこの反倫理的な犯罪的行為に荷担したおそらくは数百人に上る者の中から、過去の行為を認め、詳細を明らかにす る者が名乗り出てくれることを願うところにあります。 私たちは、このような行為に手を染めた個人の責任を追及したいわけではありません。すでに法 的には時効にかかっているでしょう。しかし、どのような機関が責任を問われるべきかを明確にしておくことが、今後おなじような嫌がらせが起きないようにす るため、何よりも重要であると考えるからです(展覧会実行委員会代表 海渡 雄一)。 全文、チラシ画像は 8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 関連記事 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

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【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞) <書き起こし開始→ かつて、反原発運動に携わっていた人たちに対して数々の嫌がらせが繰り広げられた。犯人は分かっていないが、弁護士や市民団体のメンバーが、中傷文書など の証拠品を集め、真相究明に向けた作業を続けている。安倍政権が原発再稼働に向けて旋回する中、「陰湿な嫌がらせが、再び横行しかねない」との危惧がある からだ。 (上田千秋記者) ※デスクメモ さまざまな市民運動の中でも、反原発運動に対する嫌がらせ は、陰湿さを極めた。政官財学に一部マスコミも加担した強大な権力が相手だった。権力の側は運動の広がりを懸念し、恐れていた。運動する側の言い分に理が あった。それが、卑怯な嫌がらせをするしかなかった本当の理由だと思う。(国デスク) ◇真相究明へ証拠集め ~ 隠し撮り、1日150通の郵便 「昔はこんなものが、あちこちに送りつけられていたんですよ」。机の上に山積みになった手紙はハガキなどを前に、海渡雄一弁護士は声を落とした。海渡氏は、高速増殖炉もんじゅや浜岡原発など数多くの原発訴訟に関わってきた。 手紙やハガキ類は、反原発運動を誹謗中傷したり、事実無根の内容を記したりしているものだ。 「組織的犯行と考えられているのに、いまだに誰がやったのかまったくわかっていない。あらためて証拠品を集めることで、真相究明につながるきっかけを見つけられればと考えた」と話す。 嫌がらせは反原発運動が始まった当初から少なからずあったとみられる。顕在化したのは、一九八〇年代後半だ。一九九〇年代にかけて数が増え、だんだんと手口も悪質化していった。 事務所やメンバーの自宅に、活動を中傷するハガキ、手紙が届くのはまだマシな方。英会話の教材や金の延べ棒、ベッドなどの通信販売に代金着払いで勝手に申し込まれたこともある。中には一日百五十通もの郵便が届いたメンバーもいた。 卑劣なやり口も少なくなかった。自宅の様子やメンバーの姿を隠し撮りした写真や昆虫の死骸などが送られたり、メンバーの名前に加えて、子どもの名前と年齢 を一緒に記した名簿が出回ったことまであった。海渡氏は「『リストアップして何でもわかってるんだぞ』という脅しの意味だったんだろう。非常に嫌な感じ だった」と振り返る。 一九七五年に発足し、反原発運動の草分け的存在として知られる原子力資料情報室(東京)も多くの被害を受けた。 一九九二年三月に事務所で、男性メンバー一人が死亡する火災があった。その後、カンパを求める偽の文書が関係先に送られた。そこには、「損害賠償で一千万円必要」「場合によっては資料室の一時閉鎖も」などとありもしないことが書かれていた。 同室の設立者で、日本の反原発運動を引っ張ってきた高木仁三郎代表が二〇〇〇年に亡くなった際には、故人を冒涜するような文書が出回ったことすらあった。西尾漠共同代表は「事務所に届いた郵便物は一時、段ボール何箱分にもなった。いずれも許し難い行為だった」と憤る。 嫌がらせが運動に与えた影響は少なくない。西尾氏は「確信を持って活動していた人はともかく、こんなおかしなものが送られてきたら気軽な気持ちで参加して いた人は嫌になっただろう。仮に本人は気にしなくても家族は堪らない。何も言わずに黙って運動から離れてしまった人も大勢いたのではないか」とみる。 ◇陰湿化し再び横行を懸念 ~ 安倍政権 再稼働へ旋回 郵便物の消印は全国各地にわたり、なかにはロンドンやドイツ・フランクフルトから送られたものもあった。大量の文書を何年にもわたって送り続けていたことなどから、資金力を持った一定規模の組織が背後にあったとの見方がある。 「運動を混乱させ、内部の対立を煽るような内容の文書が多かったので、原発を推進したと考える勢力が関わっていたと考えられる」(海渡氏)との推測もあった。だが、民間の立場では、それ以上調べる術はなく、犯人は最後までわからずじまい。 一九九五年七月、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てたが、日弁連も「人権侵害は明らかでも、勧告を出すべき相手がわからないので不処分とする」との見解を出して終わった。 続きは 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)   関連記事 使用済みタンポン送付も 反原発への悪質な嫌がらせ via 週刊朝日 ★拡散★反原発へのいやがらせの歴史展★ ★拡散★反原発へのいやがらせの歴史展★ 8月10日(土)午後1時〜17時 11日(日)10時〜16時 新宿区民ギャラリー 新宿区西新宿2-11-4 問い合わせは東京共同法律事務所 1988年、反原発運動の高まりの頃から、個人への嫌がらせが始まりました。その資料など展示

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