Tag Archives: 弾圧

なんと! 検察が 控訴 ★ via 関西大弾圧救援会

< 「JR大阪駅前街宣弾圧(事後逮捕)」裁判 > 7月4日に韓基大さんに「無罪判決」が出ていた 「JR大阪駅前街宣弾圧」で、検察は控訴してきました。 7月16日付。 この恥知らずな控訴に、抗議の声をとどけましょう!! もうひとつの「2012年11.13大阪市がれき説明会弾圧」有罪判決 については、7月15日に、韓基大さんが控訴しました。 これで、両裁判とも、舞台は高裁に移ります。 詳細は なんと! 検察が 控訴 ★

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韓基大さん 「無罪」! 判決文 (全文) via 関西大弾圧救援会

< 「JR大阪駅前街宣弾圧(事後逮捕)」裁判 > 韓基大さん 「無罪」! 判決文 (全文)から判決文全文のPDFファイルへのリンクがあります。

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被害届けで どんなことでも事件にする 司法の腐敗 ・・(最終意見陳述) via 関西大弾圧救援会

以下、6月2日、第4回公判(結審)における 韓基大さんの最終意見陳述(後半)です。 ★ 韓基大さん 最終意見陳述書(後半)★ 駅職員による表現の自由に対する侵害の実態は、日常的なものである。彼らは、駅の敷地でビラを配布すること、特にそれが政治的なビラであるほどに、過敏に反応し、排除しようとする。ビラ配布を制止しようとするときに必ず、「通行するお客様に迷惑です」と言うことを理由にするが、誰の通行も妨害していないことを告げると、すぐに、「とにかくビラ配布は禁止です」「鉄道営業法35条でビラの配布は禁止です」と居直り、根拠が無くてもビラ配布を制止出来ると主張する。そして本件のように、単に移動をするだけであるにも関わらず、表現活動を終えた者にだけ、敷地内を通行させないという、とんでもない人権侵害までする。 公共の福祉を知らず、表現活動をする人間を奇異なものとして、差別する姿勢があるからこそ、JR大阪駅職員は、警察が弾圧を目的にして情報を与えてきても、それに何の疑いもなく乗ってしまうのだ。 JR西日本が表現活動を規制することには、別の理由もある。もともと分割民営化前の国鉄時代は、許可を必要としていたものの、基本的には申請さえすれば、如何なるテーマの表現活動であっても、許可を出さないということは無かった。しかし、JR西日本となってからは、駅構内にあるテナントと子会社などの協力会社や、大手新聞5社が号外を出す場合に限ってビラ等の配布を許可し、それ以外は許可の申請すら受け付けていない。 続きは 被害届けで どんなことでも事件にする 司法の腐敗 ・・(最終意見陳述)

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警察は 「事件にする」構え でいた ・・(最終意見陳述) via 関西大弾圧救援会

< 「JR大阪駅前街宣弾圧(事後逮捕)」 韓さん裁判 > 6月2日、第4回公判(結審)における 韓基大さんの最終意見陳述を、2回にわけて掲載します。 ★ 韓基大さん 最終意見陳述書(前半) ★ まず始めに言わなければならないのは、2012年10月17日の午後3時から4時までの間、ルクア東広場で行われた街頭宣伝は、マイクアピールとビラ配布をしただけのもので、全くの平穏に行われた。事件など起こりえるはずもなかった。 私は、駅職員によって表現の自由が侵害されるのを見なければ、抗議することは当然なかったし、抗議するということ自体、それをする理由がある限りは、表現行為として、本来憲法に保障された権利であるはずだ。 曽根崎署がこの日の行動が書かれたチラシを入手し、「ルクア東側で集会とデモが行われる」とJR大阪駅職員に対して連絡した。近くには機動隊まで配備して、警察はその日の行動がどんなものであっても「事件にする」構えでいた。 続きは 警察は 「事件にする」構え でいた ・・(最終意見陳述)

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鵜飼哲さん(一橋大学)インタビュー 私たちはいまどこにいるのか、どこへ向かうべきなのか 私たちはどうすべきか、未来に向けて③ via 人民新聞

「9・11原発やめろデモ」弾圧と統制型市民運動への転換 私は原発事故以降、「デモと広場の自由のための共同声明」「街頭行動の自由を考える実行委員会」「関西大弾圧救援会・東京の会」「秘密法弾圧救援会」などに関わりつつ、今後の社会運動のあり方を考えてきました。2011年9月11日に東京・新宿の「原発やめろデモ!!!!!」では12人もの仲間が不当に逮捕されました。この大弾圧は、権力側の意図がどのように貫徹されたかという角度から繰り返し想起されなければなりません。あの弾圧を機に反原発運動の主軸が「素人の乱」から「反原連」に移っていったことは、今から振り返れば明らかです。アナーキズム的な思想と感性が主流だった「素人の乱」から、弾圧の回避に高い優先順位を置く、言わば「統制」型の市民運動に、なぜ、どのように転化したのか、あの弾圧を抜きに説明することはできません。一人も起訴されなくてもあの弾圧の効果は絶大だったのであり、権力側も相当なプロが関わって計画を立てたのだと思います。 1970年代には「弾圧は分断されたものを一つにする」というスローガンがありました。この間の運動では必ずしもそうなっていないのはなぜか。私は2000年代前半、友人たちと「連続ティーチイン沖縄」を企画していました。誰もが発言できる雰囲気のなかで、世界や運動、生活のあり方を話し合える場が民衆運動には必要です。2011年9・11の反弾圧闘争をティーチインに開いていけていたら、もう少し違う質の社会空間が形成されていたかもしれません。今回の問題はまず、それがサイバースペースで代替されてしまったことです。ツイッター上の論争で対立と分岐ばかりが生まれていったことは非常に深刻です。「新しい言葉」の発明には、それを可能にする空間そのものが発明されなければなりません。それはけっして与えられるものではないでしょう。 大飯闘争と「関西大弾圧」─実力闘争と救援運動 そうした中で「関西大弾圧」が起きます。2012年初夏の大飯原発再稼働阻止闘争(オキュパイ大飯)では、現在の日本の民衆運動としては突出した実力闘争が貫徹されました。自家用車をバリケードがわりに用いるなど、通常の市民運動の限界を突破する戦術が行使されました。権力は実際に恐怖したと思います。権力が東京の運動を抑え込みはじめ、福島から遠い西日本から原発を再稼働する戦略を立てていたところに、大飯闘争はその出鼻をくじく形で相当の打撃を与えました。現在まで再稼働が阻止されているのは、主としてその成果であり、安倍政権成立以後も状況を規定しています。実力闘争は、それだけの成果を実際に生むのであり、だからこそ大弾圧がかけられたのです。 2012年秋以降の弾圧以前に、下地真樹さん、韓基大さんを直接、間接に知っていたこともあり、東京での救援運動に加わることにしました。初めて運動に参加した個人が弾圧される時代になったという認識があり、「反弾圧運動の原則を、今の時代なりに立て直したい」という抱負をもっていました。関西大弾圧に対する抵抗運動のなかでは、旧来の原則の立て直しにとどまらず、権力に保釈金や保釈条件をつけられない「勾留取り消し請求」を弾圧当事者が行いました。関西の救援会や当事者の人たちは、さまざまな困難に直面しながら、新しい運動の地平を切り開いてきたと思います。大飯の直接行動と合わせてこれは関西の運動の力量でもあるでしょう。東京の運動が学ぶべき多くの貴重な経験が蓄積されてきたと思います。 続きは 鵜飼哲さん(一橋大学)インタビュー 私たちはいまどこにいるのか、どこへ向かうべきなのか 私たちはどうすべきか、未来に向けて③ 1〈安倍的なもの〉との対決―安倍政権の全体像とは? 2:世界の中で、歴史の中で―軍事問題と歴史的レイシズム 3:アジアの中で私たちはどうすべきか、未来に向けて--生きる欲求を豊かに表現できる場と関係性を

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えーっ、 懲役8カ月の有罪!? ・・がれき説明会弾圧 via 関西大弾圧救援会

<ぱぉんさん、Uさん に不当な有罪判決> 「(2012年)11.13大阪市がれき説明会弾圧」の判決公判が 本日(11.28)大阪地裁でひらかれ、 第9刑事部・長井秀典裁判長は、2人に ●懲役8カ月 ●未決算入は、ぱぉんさん50日、Uさん140日 ●執行猶予2年 の、有罪不当判決を出しました。 国と大阪府・大阪市が強行した放射能汚染がれきの焼却 (これ自身が殺人未遂・傷害に匹敵)を不問に付し、 抗議した市民を一方的に犯罪者扱いするという 国策裁判=判決でした。 傍聴券の抽選をめぐっては、当選したにもかかわらず 特定の人物に傍聴券を交付しないといういやがらせをおこない 法廷内では、判決に抗議した傍聴者1人に退廷命令を発し 廷吏が両手両足をかかえて連れ出すという暴挙をはたらきました。 続きは えーっ、 懲役8カ月の有罪!? ・・がれき説明会弾圧

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「裁判公開の原則」はどこに? ~傍聴人らを締め出す東京高裁の暴走~ via Jan Jan Blog

 たとえば、あなたが重大な環境汚染を引き起こすかもしれない汚染物質の搬入をめぐって、市役所や焼却施設に陳情や話し合いのため訪れたとする。申し入れや話し合いを求めても、市や施設の職員は、こちらの言うことに耳を貸そうとせず、あるいは担当者が「居留守」を使って出て来ようとしない。当然、そういう場では、押し問答や小競り合いはつきものだ。  そうした時に、こちらの言うことに耳を貸そうともしない市側が、陳情や話し合いのために訪れた市民を〈威力業務妨害罪〉等で訴えるという異常な対応が各地で見られている。  たとえば、2012年12月に富山県では震災がれきの焼却灰問題をめぐって焼却施設前で抗議した主婦を、富山市長が年明けの2月に刑事告訴した。また富山での抗議活動が行われたのと同じ2012年12月、大阪では、やはり震災がれきに関する抗議活動で〈威力業務妨害罪〉による逮捕者も出ている。それ以前の2007年には、沖縄でオスプレイのヘリパッド建設に反対する市民が、やはり〈道路交通法〉違反で国にSLAPP訴訟も起こされている。 そういう流れの中で、19日、東京高裁での裁判判決日に、裁判所が被告人本人や傍聴券の当たった支援者らを「法廷」のみならず、「裁判所」の敷地から締め出し、被告人不在、傍聴席もほとんど人がいない状態で判決(注:控訴棄却)が言い渡されるという“珍事”があった。裁判所によれば、被告人男性や支援者らが着ていたトレーナーのロゴにあると言うのだが、そのロゴは下の写真にある程度のものである。結局、抽選で当たりながらも、ロゴを理由に締め出されたまま閉廷となり、支援者らは裁判所正面で抗議の声をあげた。 続きは 「裁判公開の原則」はどこに? ~傍聴人らを締め出す東京高裁の暴走

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手紙で「あなたはダニ」 反原発への嫌がらせの数々展示 via 朝日新聞

反原発運動に参加する人たちに届いた嫌がらせの手紙などを集めた風変わりな展示会「反原発へのいやがらせの歴史展」が10、11両日、東京・新宿のギャラリーで開かれる。主催者は「原発が推進されてきた裏で、陰湿な圧力があった事実を知ってほしい」と話している。 […] 「意味不明のものもあれば、明確な意図を感じるものもあった」。原子力資料情報室共同代表の西尾漠さん(66)は、自分が差出人の「ニセ年賀状」が出回った。文面は、自らを過激派だと思わせる内容だ。「参加者やメンバーの分断を狙ったものだろう」とみている。 同情報室スタッフの澤井正子さん(60)のもとには1日数十通の手紙が束になって届く日が2~3年続いたという。子どもと歩く姿を撮られた写真のコピーもあった。「資金も人手もある大きな組織が背後にあったのではないか」 こうした手紙やはがきは全国各地で確認され、95年には同情報室をふくむ5団体と個人66人が日本弁護士連合会の人権擁護委員会に人権救済を申し立てた。その当時に確認されたものだけで約4千通あったという。 企画した海渡雄一弁護士は長く原発の運転差し止め訴訟などに関わり、こうした資料を集めてきた。「原発再稼働をめぐる攻防は、これから本格化する。今後また、過去のような反対運動への妨害工作が起きる可能性がある」と話す。 10日は午後1時~5時、11日は午前10時~午後4時、新宿区西新宿2丁目の区立区民ギャラリーで。入場無料。 全文は 手紙で「あなたはダニ」 反原発への嫌がらせの数々展示 (無料登録が必要です) 関連記事 8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 via CNIC 原子力資料情報室 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

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8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 via CNIC 原子力資料情報室

8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 日時 ○2013年8月10日(土)午後1時~5時    ○2013年8月11日(日)午前10時~午後4時 両日とも午後2時から主催者メンバー(海渡雄一・弁護士、西尾漠・原子力資料情報室共同代表、西村トシ子・元動燃職員の妻)による展示についての説明、懇談があります。 場所 新宿区立区民ギャラリー (新宿区西新宿2-11-4 新宿中央公園内 エコギャラリー新宿1階) 新宿駅から徒歩15分 丸ノ内線西新宿駅2番出口から10分 大江戸線都庁前駅A5出口から5分 新宿西口バスターミナル17番からバスに乗り、バス停「十二社池の下」下車1分 展覧会の開催に寄せて 原発反対運動への異常ないやがらせ 1986年4月にチェルノブイリ原発事故が起きました。その数年後日本でも、原発反対運動が大きく盛り上がったことがありました。1988年2月に 伊方原発の出力調整試験の反対運動が空前の盛り上がりを見せ、1988年4月には日比谷公園で2万人の集会が成功しました。1992-3年にはあかつき丸 によってフランスからのプルトニウム輸送が行われましたが、これに対しても、世界的な反対運動のネットワークが作られました。 この展覧会で明らか にしようとしている原発反対運動へのいやがらせは1980年代の終わり頃から見え隠れし、1993年ころがピークで、2000年頃まで続きました。あまり にも卑劣なやり方に全国の活動家たちが集まり、1994年から準備して1995年7月には日弁連に人権侵害救済の申し立てをしました。 私はその申立人らの代理人でした。 […] 今年の秋から、原発の再稼働、新増設への動きに拍車がかかるでしょう。これに対応して反対の活動も活発となることでしょう。その とき、手紙や写真という伝統的な形とは変わるかもしれませんが、1990年頃と同じような目的で、ネットなどを使ったより巧妙な反対運動への攪乱工作が行 われるのではないかと強い危惧を感じます。 この展覧会の目的は、このような活動を未然に防止するために、過去の嫌がらせの歴史を正確に多くの市民 に知っていただきたいということです。さらにこの反倫理的な犯罪的行為に荷担したおそらくは数百人に上る者の中から、過去の行為を認め、詳細を明らかにす る者が名乗り出てくれることを願うところにあります。 私たちは、このような行為に手を染めた個人の責任を追及したいわけではありません。すでに法 的には時効にかかっているでしょう。しかし、どのような機関が責任を問われるべきかを明確にしておくことが、今後おなじような嫌がらせが起きないようにす るため、何よりも重要であると考えるからです(展覧会実行委員会代表 海渡 雄一)。 全文、チラシ画像は 8/10-11 反原発へのいやがらせの歴史展 関連記事 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

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【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)via 大友涼介です。

【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞) <書き起こし開始→ かつて、反原発運動に携わっていた人たちに対して数々の嫌がらせが繰り広げられた。犯人は分かっていないが、弁護士や市民団体のメンバーが、中傷文書など の証拠品を集め、真相究明に向けた作業を続けている。安倍政権が原発再稼働に向けて旋回する中、「陰湿な嫌がらせが、再び横行しかねない」との危惧がある からだ。 (上田千秋記者) ※デスクメモ さまざまな市民運動の中でも、反原発運動に対する嫌がらせ は、陰湿さを極めた。政官財学に一部マスコミも加担した強大な権力が相手だった。権力の側は運動の広がりを懸念し、恐れていた。運動する側の言い分に理が あった。それが、卑怯な嫌がらせをするしかなかった本当の理由だと思う。(国デスク) ◇真相究明へ証拠集め ~ 隠し撮り、1日150通の郵便 「昔はこんなものが、あちこちに送りつけられていたんですよ」。机の上に山積みになった手紙はハガキなどを前に、海渡雄一弁護士は声を落とした。海渡氏は、高速増殖炉もんじゅや浜岡原発など数多くの原発訴訟に関わってきた。 手紙やハガキ類は、反原発運動を誹謗中傷したり、事実無根の内容を記したりしているものだ。 「組織的犯行と考えられているのに、いまだに誰がやったのかまったくわかっていない。あらためて証拠品を集めることで、真相究明につながるきっかけを見つけられればと考えた」と話す。 嫌がらせは反原発運動が始まった当初から少なからずあったとみられる。顕在化したのは、一九八〇年代後半だ。一九九〇年代にかけて数が増え、だんだんと手口も悪質化していった。 事務所やメンバーの自宅に、活動を中傷するハガキ、手紙が届くのはまだマシな方。英会話の教材や金の延べ棒、ベッドなどの通信販売に代金着払いで勝手に申し込まれたこともある。中には一日百五十通もの郵便が届いたメンバーもいた。 卑劣なやり口も少なくなかった。自宅の様子やメンバーの姿を隠し撮りした写真や昆虫の死骸などが送られたり、メンバーの名前に加えて、子どもの名前と年齢 を一緒に記した名簿が出回ったことまであった。海渡氏は「『リストアップして何でもわかってるんだぞ』という脅しの意味だったんだろう。非常に嫌な感じ だった」と振り返る。 一九七五年に発足し、反原発運動の草分け的存在として知られる原子力資料情報室(東京)も多くの被害を受けた。 一九九二年三月に事務所で、男性メンバー一人が死亡する火災があった。その後、カンパを求める偽の文書が関係先に送られた。そこには、「損害賠償で一千万円必要」「場合によっては資料室の一時閉鎖も」などとありもしないことが書かれていた。 同室の設立者で、日本の反原発運動を引っ張ってきた高木仁三郎代表が二〇〇〇年に亡くなった際には、故人を冒涜するような文書が出回ったことすらあった。西尾漠共同代表は「事務所に届いた郵便物は一時、段ボール何箱分にもなった。いずれも許し難い行為だった」と憤る。 嫌がらせが運動に与えた影響は少なくない。西尾氏は「確信を持って活動していた人はともかく、こんなおかしなものが送られてきたら気軽な気持ちで参加して いた人は嫌になっただろう。仮に本人は気にしなくても家族は堪らない。何も言わずに黙って運動から離れてしまった人も大勢いたのではないか」とみる。 ◇陰湿化し再び横行を懸念 ~ 安倍政権 再稼働へ旋回 郵便物の消印は全国各地にわたり、なかにはロンドンやドイツ・フランクフルトから送られたものもあった。大量の文書を何年にもわたって送り続けていたことなどから、資金力を持った一定規模の組織が背後にあったとの見方がある。 「運動を混乱させ、内部の対立を煽るような内容の文書が多かったので、原発を推進したと考える勢力が関わっていたと考えられる」(海渡氏)との推測もあった。だが、民間の立場では、それ以上調べる術はなく、犯人は最後までわからずじまい。 一九九五年七月、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てたが、日弁連も「人権侵害は明らかでも、勧告を出すべき相手がわからないので不処分とする」との見解を出して終わった。 続きは 【こちら特報部】「反原発運動への嫌がらせの歴史」2013/05/26(東京新聞)   関連記事 使用済みタンポン送付も 反原発への悪質な嫌がらせ via 週刊朝日 ★拡散★反原発へのいやがらせの歴史展★ ★拡散★反原発へのいやがらせの歴史展★ 8月10日(土)午後1時〜17時 11日(日)10時〜16時 新宿区民ギャラリー 新宿区西新宿2-11-4 問い合わせは東京共同法律事務所 1988年、反原発運動の高まりの頃から、個人への嫌がらせが始まりました。その資料など展示

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