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<東海第二原発 再考再稼働>(25)被ばく情報の透明化を 映画監督・鎌仲ひとみさん(62)via 東京新聞

原子力防災をテーマに、ドキュメンタリーの新作を制作している。タイトルは、ずばり「原子力防災」。新型コロナウイルス禍で撮影は中断しているが、東海第二原発(東海村)の再稼働を目指す日本原子力発電(原電)の住民説明会や、東海村が原発事故を想定して実施した避難訓練などは既に取材した。  原子力防災を考える上で鍵になるのは、情報の透明性だ。原電が開催する住民説明会に行っても、来ている人はごく少数。しかも技術的な話ばかりだ。東海第二の三十キロ圏に住む九十四万人に、必要な情報を届ける努力がなされているとは言えない。  核燃料サイクル施設がある青森県六ケ所村を舞台にした映画「六ケ所村ラプソディー」(二〇〇六年)などで、核や原子力の問題を世に問うてきた。東京電力福島第一原発事故より前に、こういう映像作品を発表していたのは私くらいだろう。テレビではできなかった。  それが3・11を境に、テレビも含めて一斉にやり出した。原発について語ることがマスコミのタブーでなくなったのは、福島事故がもたらした大きな変化と言える。だが、また新しいタブーが席巻している。被ばくの問題だ。  メディアに原発の情報はあふれるようになったが、エネルギーとして必要かどうかの議論に矮小(わいしょう)化され、被ばくのリスクを伴う発電方法をなぜ選択し続けるのかという本質が抜け落ちている。  被ばくがないなら、原発と他の発電方法は何が違うのか。被ばくがあるからこそダメなんですよ。そこを語らなくてはいけない。実際、福島では今も多くの人々が被ばくに苦しんでいる。そうした情報も欠落している。 福島の事故後、原子力ムラは公衆の被ばく限度を引き上げ、被ばくは大したことではないという情報を流した。被災者のふるさとを愛する気持ちを逆手に取り、避難者支援をどんどん打ち切った。「避難は悪いことだ」という心理作戦に成功してしまった。 (略) 東海第二のすぐ近くに(日本原子力研究開発機構の)再処理施設があるのも気掛かりだ。保管中の高レベル放射性廃液を全てガラス固化するには、まだ時間がかかる。その間に巨大な地震や津波が来て廃液が漏れたら、原発事故より悲惨なことになる。  高レベル廃液がどれだけ放射能が強く危険なものか、九十四万人に情報が届いていない。東海第二について語るなら、必ず再処理施設にも言及しなければならない。  東海村の人々自身は、二人の犠牲者を出したジェー・シー・オー(JCO)臨界事故(一九九九年)も経験し、被ばくの問題には敏感なはず。だが、村の中だけで閉じてしまって、周辺自治体の住民と当事者意識が共有されていない。情報が本当の意味で透明化されていないからだ。 (聞き手・宮尾幹成) 全文は<東海第二原発 再考再稼働>(25)被ばく情報の透明化を 映画監督・鎌仲ひとみさん(62)

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過酷な被ばく…今も 事故収束作業10年<東電福島第一原発ルポ> via東京新聞

 太平洋沿いにある東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)は、2011年3月11日に起きた巨大地震と大津波により、世界最悪レベルの事故につながった。あの日からもうすぐ10年、事故収束作業が続く原発構内に18日、入った。新型コロナウイルス禍で作業員の感染が相次ぐ中、事前にPCR検査で陰性を確認した上での取材となった。(小野沢健太) ◆がれき消えるも 依然高い放射線量  高濃度の放射性物質を含む汚染水問題で現場が混乱していた13年以来、8年ぶりの原発構内。当時は防護服と顔全体を覆うマスクが必須で、原子炉建屋周辺には津波で流された自動車などが残り、がれきも散在していた。放射線量は海側敷地で毎時1080マイクロシーベルトと、そこに1時間いるだけで一般人の年間被ばく線量に達する水準だった。  ところが今回は、普通のマスクとゴーグルという身軽な装備。がれきはすっかり片付けられ、最も高線量だった2、3号機の間も毎時150マイクロシーベルトと大きく下がっていた。 ただし、その値は放射能で汚染されていない場所の約3000倍。そんな中で多くの作業員が働いている。ここで3、4日働けば一般人の年間被ばく限度(1ミリシーベルト)に達する。労働環境の過酷さは変わっていない。 ◆ひしめくタンク、よぎる8年前の光景  汚染水を浄化処理後の水をためたタンクがひしめく一角では、対策の要だったボルト締め型タンクがさびつき、解体が進んでいた。8年前、タンクを見上げた時の光景が頭によぎる。  当時、東電は日々増える汚染水の保管先を何とか確保しようと、工期が短いボルト締め型タンクを次々と造った。しかし、タンクからの水漏れ事故の発生で、耐久性のある溶接型タンクに置き換えざるを得なくなった。今では、タンク周囲に外部への水漏れを防ぐ堰も二重に設けられていた。 残り少なくなったボルト締め型タンクの手すりに命綱をかけ、作業員が「ドドドド」と大きな音を響かせて1基で1400個もあるボルトを外す。東電の甘い見通しで、現場の人たちが無用な被ばくを強いられる現実が目の前にあった。 […] 全文

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過酷な被ばく…今も 事故収束作業10年<東電福島第一原発ルポ> via 東京新聞

太平洋沿いにある東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)は、2011年3月11日に起きた巨大地震と大津波により、世界最悪レベルの事故につながった。あの日からもうすぐ10年、事故収束作業が続く原発構内に18日、入った。新型コロナウイルス禍で作業員の感染が相次ぐ中、事前にPCR検査で陰性を確認した上での取材となった。(小野沢健太) ◆がれき消えるも 依然高い放射線量  高濃度の放射性物質を含む汚染水問題で現場が混乱していた13年以来、8年ぶりの原発構内。当時は防護服と顔全体を覆うマスクが必須で、原子炉建屋周辺には津波で流された自動車などが残り、がれきも散在していた。放射線量は海側敷地で毎時1080マイクロシーベルトと、そこに1時間いるだけで一般人の年間被ばく線量に達する水準だった。 ところが今回は、普通のマスクとゴーグルという身軽な装備。がれきはすっかり片付けられ、最も高線量だった2、3号機の間も毎時150マイクロシーベルトと大きく下がっていた。 ただし、その値は放射能で汚染されていない場所の約3000倍。そんな中で多くの作業員が働いている。ここで3、4日働けば一般人の年間被ばく限度(1ミリシーベルト)に達する。労働環境の過酷さは変わっていない。 ◆ひしめくタンク、よぎる8年前の光景  汚染水を浄化処理後の水をためたタンクがひしめく一角では、対策の要だったボルト締め型タンクがさびつき、解体が進んでいた。8年前、タンクを見上げた時の光景が頭によぎる。 (略) 残り少なくなったボルト締め型タンクの手すりに命綱をかけ、作業員が「ドドドド」と大きな音を響かせて1基で1400個もあるボルトを外す。東電の甘い見通しで、現場の人たちが無用な被ばくを強いられる現実が目の前にあった。 ◆21年夏にはタンクの容量が不足  構内のタンクは22年夏には容量が足りなくなるという。政府は、処理水に海水を混ぜて海に放出処分することを検討しているが、漁業者を中心に風評被害を懸念する声が強い。菅義偉首相は「適切な時期に責任を持って決める」としているが、出口は見えない。 今回は構内を5時間取材し、記者の被ばく量は約50マイクロシーベルト。8年前は4時間半で99マイクロシーベルトだった。 全文は過酷な被ばく…今も 事故収束作業10年<東電福島第一原発ルポ>

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水爆実験が残したもの マーシャル諸島で暮らした映画監督が伝えたいこと via 毎日新聞

大川史織さん(32)は南洋・マーシャル諸島を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作して戦争の爪痕を伝えてきた。マーシャルには米国が水爆実験を行ったビキニ環礁があり、3年間移住した際には、今も現地の人々の心身に深刻な影響を及ぼしていることを感じたという。核兵器がもたらすものを見つめてきた大川さんの思いを聞いた。【聞き手・竹内麻子】 (略) 戦争の記憶伝える理由  7歳の時にビキニの水爆ブラボー実験を体験した60歳(当時)の女性は「いつも体調が悪くたくさんの薬が手放せない」と話していました。死産を何度も経験し、養子をもらったそうです。おしゃれで笑顔がすてきな女性でしたが、いくら核をなくしてほしいと訴えても変わらない現状に無力感を覚えているようでした。その姿が印象に残っています。  この地が核実験場にされた理由の一つは、戦時中にマーシャルを統治していた日本が戦争に負け、戦後に米国の統治下となったためです。私は、マーシャルに残された砲台や日本語の歌に触れて「なんで何も知らなかったのだろう」と感じました。そういった過去を忘れてしまった日本で教育を受けた立場から、マーシャルに残る戦争の記憶を伝える映画を作りたいと思いました。  大学卒業後の3年間、マーシャルに移住しました。いまだ放射能に汚染されている地域があり、核実験の影響は続いています。ふるさとに帰りたいかどうか、補償を受けられるかどうかなどで、人々の間に分断がうまれ、見えないけれど深い痛みを抱えています。その痛みが被ばく体験の継承がされにくい要因にもなっているようです。 (略) 核兵器の使用はもちろん、全面的に実験も禁止する核兵器禁止条約はとても意義深いと思います。ただ同時に、条約ができるまでの背後にある、個人が強いられてきた犠牲を知り、自らのこととして受け止め、想像することが求められていると感じます。  人類史上で原子核が発見されてから100年あまりで、すでに何万発もの核兵器ができてしまい、誰も未来に責任が持てない状態です。核政策は国と国の話であっても、犠牲となるのは必ず個人。今や核と無関係に生きられる人はほとんどいません。  個人の体験がより広く共有された上で、なぜ社会が核を容認してしまっているのか、もっと根本的なところから一人一人が考え直し、日常的に語っていく必要があるのではないでしょうか。 全文は水爆実験が残したもの マーシャル諸島で暮らした映画監督が伝えたいこと

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プレスリリース:福島県飯舘村に住む伊藤さんのお話を7言語で公開「被ばくのリスクは一切語らない」「本当に腹立たしい限りですvia FoE Japan

国際環境NGO FoE Japanは、NGOピースボートの協力のもと、福島原発事故の今を伝える動画を多言語で順次公開しています。  今回は福島県飯舘村の”農民見習い”の伊藤延由さんの声をまとめた映像を英語、フランス語、中国語(繁体字・簡体字)、韓国語、ドイツ語、スペイン語の7言語に翻訳して公開しました。インタビュー映像を多言語に翻訳するのは、これで8作目になります。  「2010年、1年だけ農業やるんですよ。米8トンも取れて。だから私『農民見習い』になっているんです」と語るのは福島県飯舘村に住む伊藤さん。  伊藤さんは飯舘村や国の政策について、「被ばくのリスクは一切語らない」「本 当に腹立たしい限りです」 と憤ります。今も線量の高いのにも関わらず、認定こども園が新設されるなど、飯舘村の複雑な問題を抱えているそうです。ぜひ、伊藤さんの話をおききください。 各言語の動画はこちら(8分45秒) 英語 https://youtu.be/jpkzQnei7kE フランス語  https://youtu.be/hTmh4XRzuyY 韓国語 https://youtu.be/9d7Q-9MWrQQ 繁体字 https://youtu.be/O3Ag0RbqPk8 簡体字 https://youtu.be/cThf7oxK5V0 ドイツ語  https://youtu.be/qdrCCDC6_RE スペイン語  https://youtu.be/3F2LgmGhYa0 日本語 https://youtu.be/H1Jtebz09Dw 「見える化プロジェクト」その他のインタビュー(日本語)は こちら

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医療従事者 過去の被ばく量 引き継がれないケース多数 via NHK News Web

医療従事者の被ばくが正確に把握できていない問題が大学の調査で明らかになる中、医療従事者が他の医療機関に移る際、過去の被ばく量が引き継がれていないケースが多くあることが分かりました。調査した専門家は積算の被ばく量が分かっていなければ健康影響も把握できないとして、国などの一元的な管理が必要だとしています。 医療機関は、新たに医療従事者を雇用し放射線業務に就く場合は、健康診断で過去の「被ばく歴の有無」を確認することになっています。 これについて東京医療保健大学などのグループは、5000の医療機関に過去の被ばく歴をどう把握しているか調査を行い、899の機関から回答を得ました。 その結果、54%にあたる486の医療機関が「何もしていない」と回答し、他の勤務先での過去の被ばく量が引き継がれず、積算の被ばく量が正確に把握されていないことが分かりました。 調査をした東京医療保健大学の名誉教授で日本放射線看護学会の理事長も務める草間朋子さんは、健康にも影響する可能性のある積算の被ばく量が把握されないと安心した勤務ができないとして、一元的な管理の仕組みを国や業界が検討すべきとしています。 (略) 皮膚がん発症の医師「管理する仕組み必要」 長年の被ばくで皮膚がんを発症し、現在、病院で被ばく対策に力を入れている市立函館病院副院長の佐藤隆弘さんは、医師の勤務の状況について「転勤が多い医師だと1年や2年で勤務先が変わるほか、医師はアルバイトもあるので出先の医療機関で被ばくすることもある」と話し他の病院で働いたり、移ったりするケースはしばしばあるとしています。 全文は医療従事者 過去の被ばく量 引き継がれないケース多数

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<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(2)失職恐れ、線量隠すvia 東京新聞

原発作業員の被ばく線量の上限は「五年間で一〇〇ミリシーベルト」かつ「年間五〇ミリシーベルト」と法令で決められている。重大事故最中の東京電力福島第一原発(イチエフ)でも事故直後以外はそのルールが適用され、実際には年間二〇ミリシーベルトとする下請け企業が多かった。 その値を超えそうになると、作業員はイチエフを出ることになる。雇用先が他の仕事を確保できていればいいが、小さな下請け企業ほど状況は厳しく、解雇者が出た。 […] 厚さ五ミリほどの鉛板を箱型に成形して下着の胸ポケットに隠し、線量計を鉛箱の中に入れて現場に出た。この作業員は線量の低い場所に線量計を置いていく手法も併用。鉛箱は上部が開いていたため、効果は小さかったという。 線量計を適切に着けているかチェックは強化されたが、線量隠しが起きた根本原因の改善はなされなかった。作業員たちは「高線量と低線量の仕事を合わせて発注したり、除染など他の仕事を確保し、安定してイチエフで働けるようにしてほしい」と訴えた。 全文

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<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(3)人海戦術 3号機囲う via 東京新聞

(抜粋) 「高線量のがれきがある建屋上部に行くほど、線量がどんどん上がる。放射線量は低くても二八ミリシーベルト。(被ばくを低減する)タングステン入りベストを着て現場に駆け上がり、ボルトを一個締めて駆け降りるのがやっと。作業は移動を含めて十五分。うち作業ができるのは五分とか。被ばく線量上限は三ミリシーベルトに設定されたが、あっという間に上限に近づく。人海戦術でやるしかなかった」  作業員の言葉通り、3号機原子炉建屋の放射線量はすさまじかった。使用済み核燃料プールのある五階で毎時五〇〇ミリシーベルト、一階の格納容器搬入口で最大値の四七八〇ミリシーベルトを記録している。別の作業員も「一カ月もたたないうちに人が入れ替わった。毎週のように送別会をしていた」と語る。  囲いが完成した後、四年がかりで建屋上部のがれきなどが遠隔操縦の重機で丹念に取り除かれた。囲いを土台として使用済み核燃料を取り出す装置が設置された。取り出しは八割近くまで進んだ。 全文は<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(3)人海戦術 3号機囲う

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<つなぐ思い 震災10年>(4)原発事故 影響忘れない 「ホットスポット」点在 東葛地域 via 東京新聞

 東京電力福島第一原発事故で、比較的高い放射線量が観測された「ホットスポット」が点在する東葛地域。事故から十年近くたっても、放射性物質に汚染された指定廃棄物の処分方法が決まらず、柏市は県内市町村別で最多の千六十四トンを保管し続ける。住民たちは今なお、健康被害の救済や、脱原発を呼び掛ける活動に取り組む。  被ばくによって生じる小児性甲状腺がんの疑いを調べるため、エコー検査をする市民団体「関東子ども健康調査支援基金」は、茨城県守谷市の常総生協に事務局を置く。共同代表を務める木本さゆりさん(51)=松戸市在住=と佐藤登志子さん(49)=我孫子市同=は「子どもたちをどうすれば守れるのか。それが活動の出発点」と振り返る。  事故当時、木本さんは長男が小学校三年生、長女が二歳、佐藤さんは長男が小学校二年生。県内の一部浄水場で乳児の摂取制限の指標値を超える放射性物質が検出されたため、松戸市などで応急給水が行われたり、小学校校庭で土壌汚染が判明したりしていた。各地で自然発生的に行動を起こした母親らがつながって「放射能から子どもを守ろう関東ネット」を結成、二〇一三年に基金が発足するきっかけとなった。  同年十月以来、茨城、千葉、栃木、埼玉、神奈川の五県と東京都で、震災時に十八歳以下だった人を優先対象に巡回検診を行い、二〇年二月までの受診者は延べ一万九百七十人に及ぶ。現在は新型コロナウイルスの感染防止対策で休診中だが、今年三月の再開を目指して準備を進めている。防止対策を施した「模擬検診会場」を設営し、受け付けの様子を紹介する画像を作成、運営協力団体に発信するなどの工夫もこらす。 休診期間中には、受診者のうち、病院での治療を勧めた人を対象にアンケートを実施。三人が甲状腺の手術をしていたことが分かった。木本さんは「原発事故との因果関係は不明だが、検査の必要性があらためて分かった」と話す。各地からは検診再開を望む声が寄せられている。 (略) 東葛地域で脱原発を訴える住民グループが最も注目しているのは、国から再稼働が認められ、およそ八十キロしか離れていない日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)だ。  再稼働を巡り、同原発から三十キロ圏内の市町村で実施された住民説明会を、東葛でも開くよう求めている団体の一つ「エナガの会」代表の若井正幸さん(63)=柏市同=は「私自身は再稼働に反対。ただ、それ以前に賛否を議論する判断材料を提供したい」と話す。  会は震災後、国会周辺でのデモに参加したJR常磐線沿線の住民ら十人で一五年に結成。一九年は九千人以上の署名を集め、東葛六市に提出、二〇年十一月には要望・質問書に対する回答を各市から得られた。 (略) 全文は<つなぐ思い 震災10年>(4)原発事故 影響忘れない 「ホットスポット」点在 東葛地域

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原発事故で天皇避難を打診 via Reuters

 2011年3月11日に発生した東京電力福島第1原発事故の直後、当時の民主党の菅直人政権が、天皇在位中の上皇さまらに京都か京都以西に避難するよう非公式に打診していたと、元政権幹部が29日までに証言した。宮内庁側は上皇さまのご意向として「国民が避難していないのに、あり得ない」と伝え、政権側は断念したという。複数の元官邸幹部は皇位継承資格者である秋篠宮さまの長男悠仁さまの京都避難も検討したと明かした。 続きは原発事故で天皇避難を打診

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