Tag Archives: 復興

オンラインセミナー:10年目の福島 ― 原発事故を見つめ直す・Sep 12th Webinar : 10 years after the Fukushima Nuclear Disaster – Listening to the Unheard via FoE Japan

FoE Japan September 12 at 5:43 AM ·  オンラインセミナー:10年目の福島 ― 原発事故を見つめ直す 2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く東電福島第一原発事故から9年半。事故は、自然のめぐみとともにあった人々の暮らし、生きがいやコミュニティ、家族との大切な時間を人々から奪いました。事故は今も多くの人に影響をあたえており、収束は見通せません。 一方で、「復興」のかけ声のもとに、今も続く事故の現状や原発の問題点が「見えない化」され、健康被害や不安を口にできない空気が醸成されています。 今回の国際セミナーでは、三春町在住の武藤類子さんや福島市在住のお母さんにご登壇いただき、原発事故被害の現状についてお話を伺います。https://www.foejapan.org/energy/fukushima/200912.html Next year marks 10 years since the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011 and the subsequent nuclear accident at TEPCO’s Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. The accident … Continue reading

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感染症パニックで忘れられた常磐線放射能汚染の恐ろしさ。現場を取材してきた烏賀陽弘道さんに一月万冊清水有高がインタビュー

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JR常磐線、全線で運転再開~無人駅も via OurPlanet-TV

[…] 式典の後の記者会見で、内堀知事は「復興五輪は復興が完了した五輪ではなく、10年20年長い期間をかけて様々な課題を解決していく一つのスタート」だと説明した。また、JR東日本の社員でつくる労働組合が、試運転で帰還困難区域を通過した車両のちりから、1キロ当たり2350ベクレルのセシウム137が検出したと発表し抗議の声が上がっていることについて、記者が「状況が整っていない中で五輪に合わせて早く再開した側面はあるのか?」と質問すると、赤羽大臣は「安全をないがしろにして東京五輪に合わせたのは事実誤認。風評被害につながる」と声を荒げた。 福島を経由し、東京から仙台を結ぶJR常磐線。東日本大震災後は、津波の被害や原発事故の影響を受けて一時全線運休となった。復旧が進む中で、放射線量の高い帰還困難区域にあった富岡駅と浪江駅間の約20キロが残されていた。全線開通にあたり、いわき駅から原ノ町駅間は、広野駅を除き全て無人駅となる。住民からは「スーパーや病院など町のインフラが整っていないから心配。駅員さんがいなくなるのは寂しい」との声が漏れた。 全文と動画

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「復興五輪」開催が福島の復興作業を遅らせる via Newsweek

[…] 白い防護服に長靴姿の大沼勇治さん(43)は、傷んで雑草がはびこる自宅の前に立ち、あたりを見回しながら、つぶやいた。「住居の墓場に来たみたい」 2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所からの放射能流出により、壊滅的な被害を受けた福島県双葉町。同町では夏の東京五輪の聖火リレーを想定し、駅前の道路の補修や町中の除染が急ピッチで続いている。 しかし、大沼さんは、その作業を指さし、「ここで(東京五輪の)聖火リレーをやって欲しくない」と話した。原発事故で7000人を超す双葉町民が失ったものを伝えるには、荒廃し、廃墟となった地域も聖火リレーの通過点として含めるべきだ、との思いが大沼さんにはある。 […] 歴史を塗り消そうとしている 日本政府にとって、今夏の五輪は被災地域の再建が順調に進んでいる姿を内外に誇示する機会となる その演出として、今月26日から予定されている東京五輪の聖火リレーは、同原発事故の対応拠点だった福島県沿岸のスポーツ施設「Jヴィレッジ」からスタートする。 東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は2月13日、双葉町を聖火リレーの初日の通過点にすると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大への懸念から、同委員会は聖火リレー計画の修正を検討しているが、双葉町は通過点として残る見通しだ。 しかし、聖火リレーのスタートが秒読み段階に入った今もなお、「復興五輪」開催への熱気がすべての被災者に共有されているわけではない。双葉町を福島復興の象徴にしようと、その形作りを最優先する政府の姿勢に批判的な見方も少なからずある。 […] 思い起こせば12歳の時、福島原発PRのキャッチフレーズを競う地元のコンテストで優勝した事があった。「原子力 明るい未来のエネルギー」という大沼少年の作品は、双葉町が訪れる人々を歓迎するアーチ広告に大きく描かれた。 その広告板は福島事故の数年後に撤去された。町の歴史を正しく見つめるべきだ、として広告板の存続と一般への展示を主張した大沼さんの訴えは通らなかった。 「この町の歴史がすべて消されているような気がします。修正液で塗った感じがする」と大沼さんは語る。大沼さんは現在、太陽光パネル事業で生計を立てている。 […] 復興作業は後回しに 福島復興を前面に掲げている政府の姿勢とは裏腹に、東京五輪の開催が本当に地域の再建に役立っているのか、という疑問も被災者や住民たちにはある。 福島原発に近い浪江町で飲食店を経営する新妻泰さん(60)は、五輪開催によって工事の人件費や資材コストが上がり、地域の再建プロジェクトは大きく遅れていると指摘する。 「家ひとつ立てるにしても、職人がいないから2年も3年も待たされる」と新妻さんは言う。「こちらは後回しにされているんです」 県の農業や水産業に関与する人々も、政府の対応には批判的だ。 「『アンダー・コントロール』って、何を言ってるんだと思いました」と、同原発から南に50キロ離れたいわき市の漁業協同組合の柳内孝之理事は話す。「復興をネタにオリンピックを勝ち取ったみたいな印象はありますよ」 地元漁業再生への支援を願う柳内さんの思いとは反対に、経済産業省は2月初旬、福島第1原発の汚染水の処理について、海洋放出と水蒸気放出を「現実的な選択肢」とした小委員会の報告を公表した。 同省は今後、地元自治体や漁業関係者などの意見を踏まえて具体的な対策に動く方針だが、柳内さんは風評被害がさらに広がり、地元漁業再生の可能性はさらに打撃を受けると懸念する。 被災者らからのこうした批判に対し、田中和徳復興相は記者会見でロイター通信の質問に答え、東京五輪を念頭に「地域住民に前向きな見方を持ってもらえるよう、関係各県、市町村、各種団体と力を合わせていきたい」と語った。 また、双葉町の伊澤史朗町長は「チェルノブイリと違って、私たちは住民の帰還が目的だ」とし、3月4日の双葉町の避難指示一部解除を「大きな進歩」と述べた。 怒りよりも、あきらめがあるだけ しかし、解除の対象となるのはわずかな面積にとどまっており、困難区域の大半では帰還のめどが立たない状況が続く。 養蜂業を営んでいた双葉町からいわき市に転居し、レストランを開いている小川貴永さん(49)がかつて住んでいた場所は、コンクリートの瓦礫で覆われ、野生のイノシシなどの汚物も散らばる。昔の名残をとどめているのは庭にある小さなカエルの置物程度だ。 昔の友人や近所の人たちがこの町に戻ってくることはないだろうと小川さんは思っている。妻や子供たちを説得できず、ついに住居の取り壊しに踏み切った。 「もう怒りを感じる段階は過ぎました。ひたすら、あきらめがあるだけです」と小川さんは言った。 (編集:北松克朗) 全文

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双葉町、4%だけの避難指示解除 大半なお見通せず via 朝日デジタル(Yahoo!ニュースJapan)

東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町で4日、「帰還困難区域」の避難指示が初めて一部解除される。放射線量が高く、立ち入りが厳しく制限されてきた場所だ。ただ今後、解除される予定の面積はわずかで、帰還困難区域の大半では解除の見通しがたたないままだ。  駅とその周辺約5・6平方キロメートルは、放射線量が高い「帰還困難区域」だが、人が住めるよう除染する「特定復興再生拠点区域」に指定されている。ただ4日に避難指示が解除されるのは、駅前広場など拠点区域の3%にとどまる。 住めなくなって9年近くが経つ家並みが広がる。第一原発から北西約4キロにある福島県双葉町のJR常磐線・双葉駅前。14日の全線再開に向けて再建された駅舎の近くで、舗装工事が急ピッチで進んでいた。  駅とその周辺約5・6平方キロメートルは、放射線量が高い「帰還困難区域」だが、人が住めるよう除染する「特定復興再生拠点区域」に指定されている。ただ4日に避難指示が解除されるのは、駅前広場など拠点区域の3%にとどまる。 […] このほか、県内では5日に大熊町、10日には富岡町でも、常磐線の全線再開にあわせて帰還困難区域内の駅や駅前道路などの避難指示が解除される。 ■「故郷喪失の慰謝料」  国は原発事故後、13年8月までに福島県内の11市町村の避難区域を再編し、放射線量が高く、帰還の見通しがたたない地域を帰還困難区域と定めた。全町民約7千人が町外に避難した双葉町では、全体の96%がこの区域となった。  町民には東電から土地や建物の賠償のほか、「故郷喪失の慰謝料」として1人あたり700万円が支払われた。伊沢史朗町長は「(慰謝料を受け取ったことで)もう町には戻れないと考えた住民が多かったかもしれない」と話す。 全文

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福島の聖火出発地で五輪に抗議 「原発事故の被害は続く」 via Yahoo!ニュースJapan (Kyodo)

東京五輪の国内聖火リレー出発地となる福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)周辺で29日、政府が大会の理念として掲げる「復興五輪」に抗議する市民らがデモ行進を行った。参加者たちは「表面的な復興だけを強調するのではなく、原発事故の被害が続く実情を知ってほしい」などと訴えた。  デモには東京電力福島第1原発事故の県外避難者や、被害者団体メンバーら約50人が参加。午前11時ごろから「福島は五輪どころじゃない」などと英語やフランス語、韓国語など計8カ国語で書かれた横断幕やプラカードを持って練り歩いた。 原文

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共同声明「福島はオリンピックどごでねぇ」via 風のたよりー佐藤かずよしブログ

2月13日午後、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)と脱原発福島ネットワークは、福島県庁の県政記者室で「福島はオリンピックどごでねぇ」、「これでいいの?!原発事故と復興五輪」に関する共同声明を公表し記者会見を行いました。 ●共同声明 オリンピック聖火リレーを前に          「福島はオリンピックどごでねぇ」 (略) メルトダウンした核燃料は所在すらつかめていません。壊れたままの原子炉建屋には毎日百数十tの地下水が流れ込み、ALPS処理汚染水は溜まり続け、漁民や住民の意思を無視して海洋への放出が画策されています。40~50年と言われた廃炉計画は見通しすら立っていません。1400万tに及ぶ除染土の多くは、福島県内760カ所の仮置き場に野積みされたままです。国は汚染土を「再利用」の名の下に全国に拡散しようとしています。子どもの甲状腺がんは、公表されただけでも237人。心筋梗塞、周産期死亡率が上昇しているという報告もあります。健康問題は、「今までも、現在も、将来も」多くの人々を脅かしています。 国はオリンピック招致決定直後に「福島復興加速化指針」を決定、「2020年までの復興」を至上命令とし、福島県も「復興ビジョン」で「2020年避難者ゼロ」を掲げました。それに従って避難指示は次々と解除され、賠償は打ち切られ、帰還困難区域からの避難者に対する住宅提供までも、この3月末で打ち切られようとしています。そればかりか、県は昨年4月以降、国家公務員宿舎に残っている避難者に、「退去せよ」「家賃2倍相当の損害金を払え」という通告書を毎月送りつけ、未契約の5世帯を被告として立ち退き訴訟を起こすというのです。これが福島の現実です。 事故から9年。今も避難生活を余儀なくされている4万8千を超える人々、県内に残って生業と生活、地域の再興懸命に取り組んでいる人々のすべてが、人として生きる権利が保障された、一日も早い「本当の復興」を願っています。しかし、被害の実相を覆い隠し、傷の癒えない被害者を蔑ろにする「偽りの復興」は認められません。 (略) 2020年2月13日                    原発事故被害者団体連絡会                   脱原発福島ネットワーク 以下は、会見で発表された原発事故当時小学5年生だった少女にによるメッセージです。大学生になった少女が、過去と現実に向き合い、丁寧に言葉を紡ぎました。 全文は共同声明「福島はオリンピックどごでねぇ」 大学生になった少女のメッセージは当サイト:<3.11から9年>小2で福島から京都に避難した女子高生が語る9年とは via YAHOO! ニュースJapan

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【106カ月目の福島はいま】「原発事故を忘れないで」「済んだ話では無い」。色とりどりの絵手紙に込められた9年間の苦悩や葛藤 via 民の声新聞

原発事故後の怒りや哀しみ、苦悩や葛藤を絵手紙として描き続けている「うつくしま絵手紙の会」。19日まで郡山市内で開かれた絵手紙展では、事故から間もなく9年を迎える現在の心境が綴られた絵手紙もあった。前向きな想いと漠然とした不安や哀しみが交錯する中で、作者たちは異口同音に「決して済んだ話では無い」と話す。夏の〝復興五輪〟を頂点として「原発事故から立ち直った姿」を世界中に発信しようと国も福島県も躍起になっているが、実際に福島に暮らす人々は「手放しで喜べない」、「事故を忘れないで」と胸の内を明かした。 【「自分に言い訳しながら食べる」】 二本松市に生まれ育ち、現在は川俣町で暮らす女性(69)は、絵手紙に「今はもう忘れて」と綴った。<原発事故のあと放射能の恐ろしさに、兄から野菜持っていきなと言われても何もいらないと断った。一生懸命に作ったのに。なのに今はもう忘れて車いっぱいに貰って来る。やっぱり取りたてはおいしいからと言い訳しながら> 原発事故直後の危機感などすっかり「忘れた」のだろうか。展示された自身の絵手紙の前で女性に尋ねた。 「いえいえ、忘れてなどいません。全然忘れてはいなくて、でも美味しいから食べたいという気持ちもあるし、一方であの時の気持ちよりは引いているというか…。もうすぐ9年ですしね。そういうのもあって、二本松産の野菜を兄からもらってくるんですよね。何て言ったら良いのかな、難しいね。忘れてはいないけれど、忘れようとしているという気持ちかな。年齢も年齢だから、だったら食べた方が良いかなっていう想いもあります」 そもそも原発事故が無ければ、地場産の野菜を避ける避けないなど考える必要も無かった。自分の中の相反する気持ちに「言い訳」などする必要も無かった。女性は今後も、原発事故後の想いを描き続けるという。 「『いつまでそんな事を気にしているの?』って言われちゃうから、あんまり口には出来ないし、いつまでも原発事故の事を考えていても疲れちゃうんだけどね。でも言い続けなければいけない事でもあります。全国にはまだ原発がたくさんあって、いつ同じような事故が起きるか分からないですから。ただ大人しくしているだけではいけない気もします」 […] 【「当事者だから描き続ける」】 筆者が初めて絵手紙展を訪れたのは2015年9月だった。「うつくしま絵手紙の会」を主宰する安達アツ子さん(73)は、教え子たちには当時から一貫して原発事故後の心境を絵手紙に綴るよう背中を押してきた。今回の展示会にあたり、自身もキノコの絵とともに山の幸の現状を書いた。<台風たら、こんなきのこをニョキニョキと土に生えるように言ったようだけど、福島ではダメダメ食べられないのよ> 「山のものは駄目ですよね。会津地方なら良いかもしれないけれど。つまり、土が駄目なんだと思いますよ。年々こういう話題を口にしにくくなっていますが、現実ですからね。そのうち、山の幸を食べる食文化が無くなってしまうのではないかとさえ思います。キノコ類や山菜類は何十年も駄目だっていうんですから」 3月の聖火リレー、そして7月の東京五輪では「原発事故から立ち直った福島の姿」が世界中に発信される。一方で、例えば福島市ではコゴミやタケノコ、フキノトウ、タラノメ、ワラビ、コシアブラ、野生キノコ、露地栽培の原木シイタケが依然として出荷制限中だ。郡山市も「郡山市産の野生きのこは出荷できません!」、「無償配布なども“出荷”に当たります」として注意を呼び掛けている。もっと言えば「原子力緊急事態宣言」はいまだ解除されていない。 「私たちは当事者だから、これからも伝えて行かなきゃいけないと思います。だからこういう取材も続けて欲しいし、私たちも描き続けます。確かに難しい問題で、描いたところで何が変わるわけでは無いけれど、月日とともに流してしまってはいけないんだと思うから」 安達さんはこうも言った。 「排気筒をはじめ、廃炉工事だってこれからどうなるか分からないですよ。原発事故は終わっていないんです」 全文

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「五輪で復興にくぎりでしょ」 福島の被災者、国に疑念 via 京都新聞

[…] 昨年12月。野球・ソフトボールの会場となる県営あづま球場から約7キロ離れた福島市の復興公営住宅を訪ねた。  4階建て鉄筋コンクリートの建物にはエレベーターもあり、整然としている。「私たちには関係ない」「何とも思っていません」。住人に声を掛けても言葉は少ないが、飯舘村出身という男性(75)が、思いを打ち明けてくれた。  「オリンピックに合わせて国は(復興に)区切りをつけるという考え方なんでしょ」。東日本大震災後、居住制限区域になった自宅を離れ、避難生活は8年を超える。3年ほど前からこの復興住宅で妻と暮らす。団地内には交流スペースもあって不便はないが、望郷の念は積もる。  かつてソフトボールのチームを作るほどスポーツは好き。五輪は楽しみだが、心からは喜べない。「何を言ったってあんまり意味がない。不平不満があっても、オリンピックを境に全てを打ち切りたいっていうのが国の本音でしょう」と諦めた様子で語った。地元である五輪の試合を見に行く予定はないという。 ■東京が福島利用し金儲け  1964年の東京五輪が敗戦からの復活をアピールしたように、2度目の祭典は震災からの復興が旗印とされる。「他に取り組むべき問題は多いのに、五輪なんて役に立たない。名ばかりのパフォーマンスだ」。福島県南相馬市の市長を2018年まで8年務めた桜井勝延(64)の口調は厳しい。  福島原発の使用済み核燃料の搬出は遅れ、増え続ける処理水を保管するタンクにも限界がある。招致の際、首相が確約した「状況はコントロールされている」という言葉からは、ほど遠い。五輪関連の建設ラッシュが資材高騰や作業員不足に拍車をかけ、桜井は「五輪が逆に復興を遅らせている面もある。原発も五輪も、東京が福島を利用して金儲けする構図は変わらない」と指弾する。  震災年は30万人を超えた避難者が、昨年は5万人以下に。3月にJR常磐線が全線復旧する予定で、仮設住宅から復興公営住宅への移行も進んだ。ただ、震災時に福島大で教えていた立命館大准教授の丹波史紀(46)らが17年に実施した双葉郡5町2村の住民アンケートによると、64歳以下の3割が無職という結果が出た。避難者の6割近くは「元の居住地に戻る気はない、戻れない」と回答。[…] ■東京が福島利用し金儲け  1964年の東京五輪が敗戦からの復活をアピールしたように、2度目の祭典は震災からの復興が旗印とされる。「他に取り組むべき問題は多いのに、五輪なんて役に立たない。名ばかりのパフォーマンスだ」。福島県南相馬市の市長を2018年まで8年務めた桜井勝延(64)の口調は厳しい。  福島原発の使用済み核燃料の搬出は遅れ、増え続ける処理水を保管するタンクにも限界がある。招致の際、首相が確約した「状況はコントロールされている」という言葉からは、ほど遠い。五輪関連の建設ラッシュが資材高騰や作業員不足に拍車をかけ、桜井は「五輪が逆に復興を遅らせている面もある。原発も五輪も、東京が福島を利用して金儲けする構図は変わらない」と指弾する。  震災年は30万人を超えた避難者が、昨年は5万人以下に。3月にJR常磐線が全線復旧する予定で、仮設住宅から復興公営住宅への移行も進んだ。ただ、震災時に福島大で教えていた立命館大准教授の丹波史紀(46)らが17年に実施した双葉郡5町2村の住民アンケートによると、64歳以下の3割が無職という結果が出た。避難者の6割近くは「元の居住地に戻る気はない、戻れない」と回答。丹波は「暮らしの再建は途上にある」と指摘する。 ■被災地を知る端緒に  復興五輪とは何だろう。被災地でのイベントに積極参加し、福島で聖火ランナーも務める元サッカー女子日本代表の海堀あゆみ(33)=京都府長岡京市出身=に尋ねると、悩みながらも話してくれた。「心の傷は癒えないだろうし、本当に復興が進んでいるかは無責任に言えない。でも復興五輪とすることで、東北のことを考えてもらうきっかけにはなると思う。海外の人も含めて、本当の意味で被災地を知ってもらいたい」=敬称略 全文

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【101カ月目の浪江町はいま】家屋解体4000軒、町内で生活する「住民」は1095人~子どもたちの姿は無く、幹線道路を行き交うのは汚染土壌運ぶダンプカー。via 民の声新聞

019/08/07 梅雨もようやく明け、福島県双葉郡浪江町にも夏がやって来た。しかし、そこに子どもたちの歓声は無かった─。今月5日、JR浪江駅から町役場、そして立野地区にある「希望の牧場」までを、2時間かけて歩いてみた。町民と会う事は無く、家屋解体と更地とダンプカーが目立った。聖火リレーの出発を7カ月後に控え、地元メディアは〝復興五輪〟を盛り上げるような報道であふれているが、現実はまだまだ厳しい。「こわす 解体」は解体予定の家屋に貼られたステッカーだが、原発事故が「こわしたもの」、「解体したもの」を見せつける浪江の夏。これが全てでは無いが、これもまた、福島の1つの現実だ。 【「イオン」で避難町民の帰還狙う】 「祈 常磐線全線再開」と書かれた七夕飾りが風に揺れるJR原ノ町駅(南相馬市)。ホームの一角には、福島駅や郡山駅、新白河駅と同じように、2020年東京五輪に向けたカウントダウンの電光掲示板が置かれている。ここから常磐線で約20分で終点の浪江駅に到着する。現在、浪江駅から富岡駅(富岡町)までは帰還困難区域を通るため代行バスが運行されているが、聖火リレーが始まる2020年3月末までに全線開通する予定。浪江駅でも工事が進められている。 改札の近くには、放射線量が掲示されている。0・294μSv/h。十数人が下車したが、放射線量を確認する人はいなかった。駅から福島第一原発までは南南東に約9キロメートル。高濃度に汚染された排気塔の解体工事が始まっている。 駅前ロータリーに出ると、バスが来た。町が福島交通に委託し、南相馬市と町を結ぶ小型の循環バスを週3日(平日のみ)運行している。運賃は無料。飛び乗ったら乗客は筆者のみだった。 数分で町役場に着いた。乗客のいないバスが南相馬市に向けて走り去った。 役場の正面には、7月14日にイオン浪江店がオープンした。これまで町内にはコンビニや仮設商店街しか無かったため、「帰還促進」の役割を担う。「常磐もの」コーナーでは、相馬市・原釜漁港で水揚げされたホッキガイやカレイが売られていた。原発や中間貯蔵施設などで働く作業員のために平日は午前6時に開店する。イオンリテール東北カンパニーによると、24時間営業の店舗を除けば、午前6時に開店するのは浪江店だけという。「売り上げや来客数は公表していない」。 […] 子どもの歓声無き夏休み】 国道114号線を西に進み、「ローソン浪江下加倉店」を右折。請戸川に架かる「加倉大橋」を渡った。この辺りで、手元の線量計は0・51μSv/h。橋を渡ると0・6μSv/hを上回った。「浪江町中央公民館苅野分館」に設置されたリアルタイム線量測定システムの数値は0・674μSv/hだった。近くには町立苅野小学校や町立苅野幼稚園があるが、子どもたちが遊ぶ声は聞こえない。 立野行政区に入ると、オリーブの栽培実験をしている畑が広がっていた。太陽光パネルもあるが、町民のは無い。常磐道の上を通ると、手元の線量計は0・7μSv/hを超えた。農地の一角に大きな看板が設置されていた。住民の大きな写真とともに、次のような言葉が添えられている。 「都市と農村の交流、地域性を生かした田圃、農村づくりの為、夢と希望の持てる豊かな地域づくりの為、人と人の触れ合いがしっかりと息づき共に支え合う絆をもとう! 立野地域環境保全会」 自然豊かな田園地帯に放射性物質が降り注いで8年。お盆を控えた夏休みだが、子どもたちに出会う事は無かった。家屋解体で更地が増え、広大な帰還困難区域も残る。7カ月後には聖火リレーが始まり、常磐線が全線開通する。「浜通りもあれだけの原発事故から立ち直った」と世界中に発信される。少しずつ前に進もうと努力している人もいる。しかし、現実は厳しい。原発事故が奪ったものの大きさを見せつけられた2時間だった。 全文

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