Tag Archives: 広島・長崎

在外被爆者にも医療費支給へ 最高裁が判決 via 朝日新聞

海外に住む被爆者にも被爆者援護法に基づく医療費の支給が認められるかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁は8日、支給を認める判決を言い渡した。第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は「在外被爆者が国外で医療を受けた場合も法は適用される」と判断。医療費の支給を認めた二審・大阪高裁判決が確定した。 最高裁が援護法に基づく医療費の支給を認めたのは初めて。判決を受け、厚生労働省は原告に医療費を支払うほか、広島、長崎地裁で支給を認めない判決が出て控訴中の原告にも同じ対応をとる方針。さらに、4千人以上いるとされる在外被爆者らに対しても、医療費支給に向けて見直しを検討するという。 原告は、広島で胎内被爆した李洪鉉(イホンヒョン)さん(69)と被爆者の遺族2人。いずれも韓国に住む。医療費の支給を大阪府に申請したが、海外にいることなどを理由に却下されたため、この処分の取り消しを求めて2011年に提訴。13年の一審・大阪地裁判決は医療費の支給を認めて処分を取り消し、昨年の二審・大阪高裁判決もこれを支持したため、府が上告していた。 (略) 厚生労働省によると、被爆者健康手帳をもつ在外被爆者は4284人(3月末現在)。国は援護法の枠外で、医療費の一部を助成している。医療費をめぐる同様の訴訟では、米国や韓国に住む被爆者ら計16人が広島、長崎地裁で敗訴し、いずれも高裁で争いが続いている。(河原田慎一、福宮智代) 全文は在外被爆者にも医療費支給へ 最高裁が判決 関連記事: 韓国政府 在外被爆者援護の最高裁判決を歓迎 via Yonhap News  

Posted in *日本語 | Tagged , , , , | Leave a comment

日本人の原子力贔屓を煽ったマンガ via #原子力発電_原爆の子 ブログ

How comic books helped fuel Japan’s love for the atom via Aljazeera 日本語訳 アストロ・ボーイ(鉄腕アトム)のようなキャラクターが核エネルギーの利点をほめたたえ、2011年に惨事が勃発したさい、衝撃をなお過酷なものにした。 (略) 1冊目のストーリーはこうである―― はるか遠くにあるジャングルで、動物たちが困っています。母なる自然が動物たちを見放したのです。気候が寒冷になり、植物が枯れようとしており、動物たちは飢えようとしています。 そこで、動物たちはアストロ・ボーイに助けてくださいと頼みました。住処を暖めるにはどうすればよいか、熱心な話し合いがはじまりましたが、水が凍っているので、水力は使えません。石油はなくなろうとしています。動物たちに必要なものは、核発電所でした。 アストロ・ボーイが空を飛んで、日本から反応炉をジャングルに運んできましたので、動物たちはみな力を合わせ、張り切って反応炉の周りに発電所を建てはじめました。 ハイエナでさえも、協力しようと決心しました。小さなネズミは、青写真が巻き上がらないように、必死になって押さえています。公益である核エネルギーのために、一致団結しています。 動物たちはみるみるうちに、彼らの気候問題に対する、輝くばかりの安全な解決策を実現し――さらに一歩前進して、植物がふたたび育つのを助け、おまけに健康に必須なビタミンDの生成にも必要な人工太陽に電力を供給した。 アストロ・ボーイの生みの親、手塚治虫は常々、日本の核産業にイメージ・キャラクターを提供するつもりはなかったし、このジャングル物語にかかわったことはないと主張していた。 それなのに、このマンガは学校の発電所見学会のさいに無料冊子――キュートな小動物に込められた「原子力は安全」メッセージ――として配られていた。 (略) 2011年に地震と津波が福島第一原発を襲ったとき、反応炉建屋は爆発し、炉心はメルトダウンし、世界はチェルノブイリ以降で最悪の民間核産業災害に直面した。 楽しい物語を大量にばらまいていた産業の実態は、自画自賛していただけであり、規制も貧弱だった。 アストロ・ボーイの物語は極端な例かもしれないが、日本の国民が心配せずに、原子力を愛するように常に説得されていた様相を反映している。 この宣伝は、ヒロシマが原爆で完全に破壊されてから、ほんの11年後、広島市内で原子力平和利用博覧会が開催された時にはじまり、ついには日本が50基以上の核反応炉を保有するようになるまでつづいた。 反応炉はフクシマ核惨事の余波で、順次、運転を停止した。川内原子力発電所における最初の再稼働が2日後に実施されることになっている。 日本の核監視機関、原子力規制委員会は8月8日、新しい手続きのもとで、フクシマ惨事の規模の事故の再来は考えられないと述べた。 だが、絶対的な安全はないとも付け加えた。 ビデオ日本語トランスクリプト: アルジャジーラ【動画】日本人の原子力贔屓を煽ったマンガ via #原子力発電_原爆の子 当サイト既出関連記事: How comic books helped fuel … Continue reading

Posted in *日本語 | Tagged , , , , , , , | Leave a comment

米元長官ら広島・原爆資料館見学 賢人会議、被爆体験も聞く via 西日本新聞

核爆発を伴う核実験禁止を目指す包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効を促進するための「賢人会議」に参加している各国の閣僚経験者らが25日、広島市中区の原爆資料館を見学した。被爆者の小倉桂子さん(78)の証言も聞いた。 ペリー元米国防長官や英国のブラウン元国防相らメンバー10人が被爆時の状況の説明を聞きながら、黒こげの弁当箱など被爆遺品に見入った。 8歳のときに爆心地から約2・4キロで被爆した小倉さんは「皆さんは政策を決定する力があり、核兵器廃絶へ世界の道筋を変えられると期待している」と英語で語りかけた。 続きは米元長官ら広島・原爆資料館見学 賢人会議、被爆体験も聞く 関連記事: 国連軍縮会議:各国政府高官ら原爆慰霊碑に献花 via 毎日新聞 広島市で開幕した国連軍縮会議は26日午後、参加した各国政府高官や軍縮の専門家らが同市中区の平和記念公園内の原爆慰霊碑に献花した。その後、参加者らは原爆資料館を見学し、被爆者の梶本淑子さん(84)=広島市西区=の証言を聞いた。 梶本さんは14歳の時、爆心地から約2.3キロ離れた学徒動員先の軍需工場で被爆した。別の場所で被爆した父は梶本さんを捜して市内を歩き回り、 1年半後に血を吐いて亡くなったという。自らも胃がんを患った梶本さんは「原爆は死んだ人間も生き残った人間も地獄。二度と原爆を使わないで」と語り、 「原爆を70年前の歴史とだけ捉えるのではなく、現在の問題として見てほしい」と訴えた。 証言後、参加者が「これからも活動を続けてください」と握手を求めると、梶本さんは「力のある人たちが証言を聴いてくれた。核廃絶に向かって少しでも世界を動かしてほしい」と話した。

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

戦後70周年で『はだしのゲン』を読み返す。作者夫人・中沢ミサヨさん 「思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖い」via 週プレNEWS

『はだしのゲン』は1973年、『週刊少年ジャンプ』で連載が始まった。 戦後70周年となる今年、今こそその世界を読み返したい!と『週刊プレイボーイ』33号では第1話&衝撃の原爆投下シーン、計47ページ分を特別掲載。 さらに特別企画として、作者の中沢啓治先生の夫人である、中沢ミサヨさんにインタビューを行なった。(聞き手:森健) (略) ■そして『ゲン』は読まれ続ける 『ゲン』の人気に火がついたのは、75年5月、汐文社(ちょうぶんしゃ)から単行本全4巻が発行されてからだった。朝日新聞の紙面で紹介記事が掲載され、日本全国に爆発的に広がったのだ。 原爆とはどんな体験だったのか。『ゲン』はそれをリアルに感じさせる初めての作品となった。大人ではなく、小学3年生の目線で原爆体験を描いた平易さも中沢氏の狙い通りだった。 その後、『ゲン』は媒体をかえながら、断続的に82年まで連載。16歳で上京する直前までの姿が描かれた。こうした日々の中で、中沢氏は講演に招かれたり、公の場に呼ばれることも増えた。だが、政治的な活動には関わらないようにしていたという。 * * * ―講演の依頼は多かったのでは? 中沢 一番多かったのは「体験を 語ってください」というものでした。人前に立つのは好きじゃないんだけど、評判がよくて、いやと言えなくて。でも「原爆は恐ろしいよ、平和は大事なんだ よ」ということは言いたかったから、それを少しでも伝えたいと出かけていたようですね。原爆症に対する誤解もまだまだありましたしね。 ―具体的にはどんな誤解が? 中沢 生命保険会社の営業マンがマ ンションにやって来て、主人が被爆体験があるのを知って「子供さんに影響するから保険入ったほうがいいですよ」なんて言ってきたり。そうした偏見や差別が 根強くあるんです。ある被爆者の人は「結婚しても子供は産むな」と言われたそうです。私も「よく子供を産んだね」と言われました。主人は「原爆はどういう ものか、やっぱり知っている人が知らせないといけないよな」と言っていました。 (略) ―にもかかわらず、2年前には『ゲン』が偏向した作品だとして、小中学校の図書館に閲覧制限が要求された事件もありました。 中沢 そのことを中国新聞の記者か ら電話で教えられた時は、読ませないようにする松江市教育委員会の決定の意味がわからなかったです。でもその後、反対署名が2万以上寄せられて、閲覧制限 は中止になりましたが…。思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖いですね。 続きは戦後70周年で『はだしのゲン』を読み返す。作者夫人・中沢ミサヨさん 「思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖い」 関連記事: 前編⇒「『はだしのゲン』作者夫人・中沢ミサヨさんが語る、40年間読まれ続けてきた理由」  中編⇒「週刊少年ジャンプで連載していた『はだしのゲン』。作者夫人・中沢ミサヨさんが語る、執筆の動機」

Posted in *日本語 | Tagged , , , , | Leave a comment

[Japan In-depth 編集部]【募る危機感、減る一方の被爆一世】~刻め、過去の悲惨な教訓~ via Japan in Depth

(抜粋) 原爆による被害は、熱線や爆風による爆発的なものだけではない。後から広島市内に入った人々も残留放射能の影響を受け、次々に倒れた。いわゆる原爆 症の問題だ。髪の毛が抜けたり、歯茎から血が出たり、体に紫斑が出たりといった放射線による急性症状をそれとは知らず、人々は恐れ、被爆者への差別にもつ ながった。 更に、次の世代への影響も無視することは出来ない。被爆から数年経って子どもを産んだ女性に聞いた話がある。女性の子どもは生後まもなく亡くなった が、その時体には被爆直後に女性の体に出たのと同じような紫斑が出ていた。当時、病院に連れて行くと「これは原爆病だ」と言われたという。 もちろん被爆の状況などによって体への影響は大きく異なる。ほとんど何も影響のない被爆者もいる。しかし、近距離被爆であったり、肉親を探して爆心 地近くを直後から何日も歩いたり、というような人々の中には確かに、なんらかの症状を訴える人は多い。それが多くの被爆者を取材して体感することであり、 原爆を知る多くの広島の人々があまり口には出さないが感じていることだ。 危機感にも似た思いがある。この先、広島、長崎の被爆者が全員亡くなれば、原爆による被害者は本当にいなくなるのかということだ。2世、3世といった被爆者の次の世代への影響は、今も科学的に証明されていない。だからと言って、切り捨てて終わってしまっていい問題なのか。 安保法制や原発再稼働など多くの問題に直面する中で迎えた戦後70年の8月。 私たちは過去の教訓を胸に刻んで、前に進んでいかなければならないはずだ。 全文は[Japan In-depth 編集部]【募る危機感、減る一方の被爆一世】~刻め、過去の悲惨な教訓~

Posted in *日本語 | Tagged , , , , | Leave a comment

WCC訪問団も献花、長崎・平和公園で朝鮮人被爆者を追悼 在外被爆者の援護拡充求める声も via Christian Today

長崎原爆の日の9日、朝7時半から平和公園(長崎市)の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で、原爆で犠牲となった朝鮮半島出身者を追悼する集会が行わ れ、国内外から約350人が参加した。広島・長崎を巡礼していた世界教会協議会(WCC)の代表団も参加し、祈りと献花を行った。参加者からは、在外被爆 者の援護拡充を求める声などが上がった。 集会を主催した「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」によると、長崎で被爆した朝鮮半島出身者は推定で約2万人に上り、1945年末までに約1万人が亡 くなった。韓国や帰国事業で北朝鮮に帰国した人々など、現在約4300人の在外被爆者がいるが、国籍条項などにより被爆者援護法の医療費支給が適用されて いないという。 この集会は、長崎で被爆した朝鮮人の実態調査・援護活動に生涯をささげた岡正治牧師(日本福音ルーテル長崎教会、1918~94)が中心となり、1979年に始まり、今年で37回目になる。 学徒動員で働いていた三菱の工場で被爆した父を9年前に亡くしたという、韓国原爆被害者2世会の李太宰(イ・テジェ)会長はこの日、「昨日の夜、平 和公園を歩いたが、平和公園にはたくさんの人が集まっていたが、この朝鮮人犠牲者追悼碑の周りには暗い中、誰も人がいなくてとても心が痛かったです」と話 した。ここ10年以上、韓国の高校生を被爆地の広島と長崎に引率し、在日韓国人の被爆者の話を聞いてもらう活動をしてきたが、今年は話をできる被爆者がお らず、「戦後70年の時を感じました」と語った。 (略) 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の高實康稔(たかざね・やすのり)代表(岡まさはる記念長崎平和資料館館長)は、「戦後70年の節目の年といわれ ながら、日本の植民地支配と加害責任が真剣に問われているとは思われず、それどころか歴史修正主義がはびこり、戦後レジームからの脱却を唱える政治がまか り通っていることを黙認できない」と語った。 また、多数の朝鮮人が被爆したのは、日本の植民地支配と侵略戦争に原因があることが明らだとして、「それにもかかわらず、その責任を痛感することも なく、被爆者援護行政において(在外被爆者を)差別排除してきた歴史は、倫理感の欠如以外の何ものでもありません。今なお医療費の支給に内外の差別があ る」と批判。在外被爆者にも国内被爆者と平等に医療費を全額支給することや、北朝鮮の被爆者にも被爆者援護法を適用する道を開くことなどを訴えた。 (略) 国内の報道などによると、厚生労働省の調べでは被爆者健康手帳を持つ在外被爆者は、約4300人(今年3月末時点)。これまで国は、在外被爆者が海外で受 けた治療費は適正かどうか担保できないという理由で被爆者援護法の対象から外してきたが、広島で被爆し韓国に帰国した被爆者や死亡した被爆者の遺族らが提 訴し、昨年6月の大阪高裁判決では、「国の責任で被爆者の救済を図る国家補償の性格があり、国外での医療を支給対象から除外することは合理的ではない」と 認定された。現在、最高裁で上告審が行われてり、9月8日に判決が出される予定だ。 全文はWCC訪問団も献花、長崎・平和公園で朝鮮人被爆者を追悼 在外被爆者の援護拡充求める声も

Posted in *日本語 | Tagged , , , , , | Leave a comment

はだしのゲン、アニメ無料視聴8/31まで [日本国内のみ] via Gyao!

はだしのゲンを見る

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

【長崎平和宣言】安保法案に市長が言及「平和の理念が、今揺らいでいるのでは」(全文)via Huffington Post

長崎市に原爆投下されてから70年目を迎えた8月9日、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。 長崎市の田上富久市長が平和宣言の中で、「日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています」と安倍政権が国会に提出した安全保障関連法案(安保法案)について触れると、会場に拍手が沸き起こった。全文は以下の通り。 (略) 原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みまし た。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎に とっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。 (略) オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、人類の一員として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。 日本政府に訴えます。 国 の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地 帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、「核の傘」から「非核の傘」への転換について、ぜひ検討してください。 この夏、長崎では世界の128の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。 現 在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのでは ないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。 全文は【長崎平和宣言】安保法案に市長が言及「平和の理念が、今揺らいでいるのでは」(全文) 関連記事: 安保法案「被爆地の思い受け止めしっかりとした審議を」佐世保市内で岡田代表 via BLOGOS 岡田克也代表は9日午後、長崎県佐世保市内での集会終了後、記者団の取材に応じた。 同日、長崎市内で開催された平和祈念式典のあいさつのなかで田上富久市長が安全保障関連法案の慎重審議を求めたことを受け、今後の審議のあり方を問う質 問には、「被爆地の市長として当然のことを言われたと思う。しっかりと受け止めてしっかりとした審議をやっていかなければいけない。拙速はいけないと思 う」と述べた。

Posted in *日本語 | Tagged , , , , | Leave a comment

オバマ大統領の被爆地訪問に慎重姿勢…米報道官 via Yomiuri online

【ワシントン=尾関航也】アーネスト米大統領報道官は6日、オ バマ大統領が任期中に広島、長崎の被爆地を訪れる可能性について、過去の訪日の際も米政府内で検討されていたことを明らかにしたうえで、「(実際にはオバ マ氏が)行かなかったことが、大統領と政権が最終的にどう判断したかを示している」と語り、慎重な姿勢を表明した。  一方、報道官は「将来の可能性は排除しない」と述べた。ただ、来年の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)などに合わせ、被爆地を訪問する可能性については、米国内の多様な意見を検討し、最終的な判断を下すとみられる。 続きはオバマ大統領の被爆地訪問に慎重姿勢…米報道官

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

広島原爆の日:カープ、全員が背番号「86」 via 毎日新聞

原爆が投下された記憶を次世代に継承しようと、プロ野球・広島東洋カープは6日、マツダスタジアムで行われた阪神タイガース戦で、選手・監督ら全員 が背番号「86」のユニホームを着用して試合に臨んだ。セ・リーグの公式戦でチーム全員が統一ユニホームを着用したのは初めて。 (略) 選手らは、胸に「PEACE(平和)」、背中には 「HIROSHIMA(ヒロシマ)」と記されたユニホームと、平和の象徴である白いハトが描かれた帽子を着用してプレーした。【細谷拓海】 全文は広島原爆の日:カープ、全員が背番号「86」 関連記事: 新聞のラテ欄に「86を次世代に伝える」 原爆の日に広島のテレビ局が仕込んだ縦読みが話題に via itmedia 縦読みが仕込まれているのは、8月5日と6日の広島戦。それぞれ新聞のラテ欄の左端を縦に読むと、5日は「広島の勇気と希望カープ」、6日は「86を次世代に伝える」というメッセージが浮かび上がるというものです。

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment