Tag Archives: 広島・長崎

手書きの「原子爆弾災害調査票」をデータベース化 via 長崎新聞

長崎大原爆後障害医療研究所 原爆症と被ばく線量の関連解析  長崎大原爆後障害医療研究所は、長崎原爆の投下直後に約5800人の被爆者の健康状態を調査した「原子爆弾災害調査票」をデータベース化した。データを解析した結果、被ばく線量が高い人ほど、脱毛や嘔吐(おうと)、発熱など放射線による急性症状の種類が増える傾向にあることを確認した。 (略) 横田氏は「今後は急性症状と後年のがん発生との関連を調べ、薬が不足していた当時の治療記録も歴史的資料としてまとめたい」とし、歴史的・医学的に貴重な資料である調査票の研究活用を進める考えだ。 調査票は、1945年10月下旬~11月上旬を中心に、長崎医科大(現長崎大医学部)の第一外科教授だった故・調来助(しらべらいすけ)氏が中心となり、医師や医学生約100人が被爆者の氏名、性別、被爆状況、症状などを聞き取った。長崎大は2015年、日米共同機関の放射線影響研究所から原本の移管を受け、18年度にかけて全てをデータ化した。 サンプル数は爆心地から5キロ以内で被爆した1~86歳の男女5795人分。比較調査に適した3566人分を抽出して解析した。全身の推定被ばく線量は遮蔽(しゃへい)物がない屋外の場合、爆心地から1キロで約8シーベルト、1.5キロで約900ミリシーベルト、2キロで約130ミリシーベルト。木造家屋内はそれぞれ半分の線量だった。 解析では、線量と、出血、下痢など16種類の急性症状の発生率の関係を調べた。発熱の発生率は、推定被ばく線量100~199ミリシーベルトで35%、2~4.9シーベルトになると50%になり、5シーベルト以上で69%に上昇した。4種類以上の症状の発生率は100~199ミリシーベルトで34%、2~4.9シーベルトで68%、5シーベルト以上で77%に達した。 全文は手書きの「原子爆弾災害調査票」をデータベース化

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広島の高校生、核廃絶署名届ける=「被爆者の思い未来に」と中満次長-国連 via AFP

【5月1日 時事通信社】核兵器廃絶に向けた署名活動を行っている広島県内の高校の生徒8人が30日、米ニューヨークの国連本部で中満泉軍縮担当上級代表(事務次長)と懇談し、昨年4月からの1年間に集まった12万9筆の署名の目録を提出した。 (略) 署名には、生徒が街頭で集めたものや、全国の中学・高校から送られてきたものが含まれる。懇談には、広島市の松井一実、長崎市の田上富久両市長も出席した。 女子生徒の一人は懇談で、被爆者が高齢化し、「生の声を聞ける時間が少なくなってきている。署名活動のほかに何ができるか考えていきたい」と語った。中満氏は「皆さん自身が、世界をどのように安全にしていくかを考えてほしい」と呼び掛けた。(c)時事通信社 全文は広島の高校生、核廃絶署名届ける=「被爆者の思い未来に」と中満次長-国連

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「共に歩き続けたい」と講演 被爆者医療に携わった福島の医師 via niftyニュース

 広島で被爆者医療に30年以上携わった福島市の内科医、斎藤紀(おさむ)さん(71)が、東京電力福島第1原発事故による放射線被ばくへの不安と向き合う住民のために講演活動を続けている。事故から8年が経過しても不安が消えない被災者がいる一方、各地で原発が再稼働している現状について「電力会社や国は事故に向き合っていない」と憤る。  広島市内の総合病院で血液内科医として勤務し、被爆者を診察してきた。1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故後には原水爆禁止日本協議会(原水協)の活動の一環として現地調査もした。定年退職後の2009年から大学時代を過ごした福島市に戻り医療生協わたり病院に勤務。そして11年にあの日が訪れた。  原発から約60キロ離れた福島市では、放射線量が高い地点「ホットスポット」が点在。子供の健康への影響などに対する不安がわきあがり、古里から自主避難する人も相次いだ。広島で被爆者に寄り添った経験から、こうした福島の人々の心情は痛いほど分かった。  何とか被災者の役に立てないかと考えていたところ、福島市からの依頼もあって事故翌年の12年から市内で講演活動を始めた。放射線の基礎知識や広島の被爆者の状況、福島の放射線量など科学的なデータについて説明。最初の年は20回近く講演会を開いて市民ら約650人が参加。ここ数年も年4回程度の開催を続けている。  福島でも広島での被爆医療で感じたように遺伝に対する不安が尽きない。「被災者は一緒に歩いてくれる人を求めている。私も共に歩き続けたい」と今後もできる限り講演を続けるつもりだ。一方、各地で原発の再稼働が進むことに「事故が起きた際の避難計画の実効性も考えないまま再稼働を認めている」と憂慮し、脱原発の時代が訪れるのを望んでいる。【関東晋慈】 原文

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若者に戦争伝えたい Vチューバーに挑戦した被爆者 via 長崎新聞

 アニメ風の美少女キャラクターなどを動かしてネットで動画配信を行う「バーチャルユーチューバー」(Vチューバー)。今や全国で5千人以上が活動しているとされ、若者を中心に注目が集まっている。サブカルチャーのエンターテインメントとして知られるが、コミュニケーションの手段としても新たな可能性があるらしい。長崎県内外の関係者らを取材した。 「原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを若者に分かりやすく伝えたい」-。そんな思いでVチューバーに挑戦した長崎市の被爆者がいる。入市被爆し放射線の影響で家族を亡くしたという森口貢(みつぎ)さん(82)。昨年8月15日の終戦記念日の夜、NHKのテレビ番組にVチューバー「無念じい」として生出演。少年時代の森口さんに似せたアニメ風のキャラクターを操りながら、戦争体験や被爆者から聞き取った話を語った。  ■きっかけに 番組は「テンゴちゃん 8.15 無念じいといっしょ」。出演を打診された森口さんは当初、「いきなりVチューバーになってくれと言われても何をしていいのか分からず、あまり気乗りしなかった」と振り返る。しかし「若者が戦時中の出来事に少しでも関心を持つきっかけになれば」と思い直し、承諾。かつて、講話をした修学旅行生から暴言を吐かれた経験から、「若者世代に思いが伝わらない無念さ」をずっと感じていたためだ。 収録当日、東京都渋谷区のスタジオを訪れ、Vチューバー用の「ヘッドマウントディスプレー(HMD)」を頭に装着。慣れない視界に戸惑いながらもコントローラーを握り、キャラクターを操作した。「防空壕(ごう)にいると、爆弾がドーンとさく裂する音が聞こえて恐ろしかった。必死で神様に祈った」などと空襲での体験を身ぶり手ぶりを交え伝えると、画面には一生懸命に語る少年のキャラクターが映し出された。「母親と生まれたばかりの子どもが黒焦げになっているのを見た人がいた」。聞き取った悲惨な被爆体験も語った。 ■反響大きく 放送中、視聴者に番組のホームページやツイッターで質問や感想を募る企画も。「平和であることの幸せを再認識できた」「重たいテーマだったが心に刺さった」など、寄せられた投稿は約1万5千件を超えた。番組の制作担当者は「アニメの少年というビジュアルにしたことで、戦争の話でも若い視聴者を身構えさせず本音を聞くことができた」と分析した。 反響の大きさに森口さんは「若者は戦争に対して無関心というわけではない。むしろ、もっと深い内容を知りたがっている」と実感。 (略)  「一方的に被爆者が惨状を伝えるだけでなく、若者と一緒に平和について考えることが必要。そのためには世代を超えたつながりが大切。そのことを改めて再認識できた」 全文は若者に戦争伝えたい Vチューバーに挑戦した被爆者

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(核リポート)特別編:「福島と似ている」強制移住の村 via 朝日新聞

◆すべては原爆から始まった:5 ロシア・ウラル山脈の南に広がるチェリャビンスク州は湖に恵まれた土地だ。ソ連の第1号原爆を生んだ核施設マヤークがここに建てられた大きな理由の一つは、原子炉の冷却に欠かせない豊富な水だった。マヤークの高レベル放射性廃液に汚されたテチャ川から離れると、果てしない緑の草原と、天空の青を映した湖面の輝きに目を奪われる。 (略) ■ヒバクシャとして生きる 最後に強制移住の対象となったムスリュモボ村出身のヒバクシャ、ゴスマン・カビーロフさん(58)とミーリャ・カビーロワさん(56)夫妻は今、 チェリャビンスク市内に住んでいる。ロシアでは多くの人が週末になるとダーチャ(別荘)で暮らす。2人のダーチャは、今の住居と「消えた」故郷ムスリュモ ボ村との間の、湖に面した小さな村に買った。湖は、まるで自分の庭のようだ。 (略) ゴスマンさんはテチャ川周辺で慢性放射線病と認定された約940人の一人。生殖細胞が 影響を受け、子どもができなかったという。ムスリュモボ村で生まれ育ったゴスマン夫妻は、月にそれぞれ2500ルーブル(約6250円)の補償金を国から 受けている。村にあったミーリャさんの実家が2007年に強制移転のため壊された後には、移転補償金の100万ルーブル(約250万円)を受け取った。た だ、いずれも行政側との厳しい交渉の末にやっと手に入れたという。 ■無人の土地、生んだ悲劇 今はホテルの事務職として働くミーリャさんはかつて、女性社会グループ「アイグリ」の代表を務めた。「アイグリ」とはテュルク語で「月の花」を意 味する。多くの住民に核の問題を知ってもらうため、「難しいことを分かりやすく」というタイトルのチラシを発行し、低線量被曝(ひばく)の知識や、放射線 のリスクを減らすための情報を提供してきた。 2014年8月、ミーリャさんは広島で開かれた原水協の原水爆禁止世界大会に招かれている。原爆投下の被爆者ではなく、原爆製造段階のヒバクシャとしてだ。そして、「女性のつどい」で壇上からこう連帯を呼びかけた。「放射線に国境はありません。広島、長崎、チェルノブイリ、福島を二度と繰り返さないために、団結してたたかいましょう」 ゴスマンさんとミーリャさんの小さなダーチャで、お茶を頂きながら話していると、「日本は憲法9条を無くしてはいけない。誰にとっても戦争は必要ないから」といった話題も出た。しかし、2人が最も関心を寄せていたのは、東京電力福島第一原発事故を経験した福島のその後だった。 「ここでは、みんな福島のことを知っています。福島と、ここで私たちが強制移住させられたことは非常に似ています。福島は私たちすべてを揺さぶりました」 2人の故郷は、原爆の製造が原因で「消えた村」となった。原発事故が原因で我が家を追われたのが福島の被災地だ。原爆と原発。由来は違っても、放射能が人を追い払い、無人のエリアを生んだ結末は同じだ。 (略) 歴史に「if」(もしも)はないかもしれないが、ゴスマン夫妻が語った次の言葉は否定できないように思えた。 《原子爆弾から「原子力の平和利用」、すなわち原子力発電が始まった。原爆がなければ、原発もなかった》 全文は(核リポート)特別編:「福島と似ている」強制移住の村

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「核に向き合うのは同じ」 被爆者ら30人があす福島訪問 via東京新聞

原爆投下から七十年を迎え、東京在住の被爆者ら約三十人が二十一~二十二日、福島県を訪れ、東京電力福島第一原発事故の被災者と交流する。参加者は「原爆と原発は違うが、核の問題に向き合っているのは同じ」。体験を共有し、手を携えたいと願う。  「私が被爆したのはこの辺りです」。十八日、東京都府中市であった原爆展。仲伏幸子(なかぶしゆきこ)さん(75)=府中市=が、広島市の地図で爆心地から約一・七キロの地点を指さした。  一九四五年八月六日、自宅前の幼稚園で被爆。建物疎開で爆心地付近にいた母親は大やけどを負い、二日後に死亡した。自身は今、学校などで証言活動を続けている。  二〇一一年三月、東日本大震災と原発事故が発生し、がれきの映像で広島の惨状を思い出した。募金や衣類を送り、一三年四月には、避難区域の福島県飯舘村や南相馬市を事故後初めて訪れ、短歌を詠んだ。「線量を測りつつ行く飯舘の人なき里に桜満ち咲く」  「孤児の気持ちや、放射線被害者の苦しみは分かるつもり。何か力になり、励ますことができれば」。心を寄せ続け、今回の参加も迷わず決めた。  広島で被爆した岡勝治さん(76)=板橋区=は、親戚宅に身を寄せた母親が「放射能がうつる」と疎外された体験を持つ。原発事故後に、避難先で福島ナンバーの車が敬遠されたとの報道にショックを受けた。「知識がないから差別が起こる」と話し、つらい気持ちを分かち合えればと思う。  長崎で被爆した堀場和子さん(73)=多摩市=は、原発事故による被ばくを不安がる人を思いやる。生後八カ月で被爆した妹は、十九歳の時に突然亡くなった。「悪性リンパ腫だった。原爆の放射線による影響があったのだと思う」と堀場さん。  被爆と原発事故の低線量被ばくとは違う。ただ「放射線の影響はいつ出てくるか分からない。国策の原発の被害者に対し、健康調査や補償などは国が責任を持って対処するべきだ」と訴える。 […] もっと読む。

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泉鏡花文学賞:長野まゆみさんと篠原勝之さんに via 毎日新聞

第43回泉鏡花文学賞(金沢市主催)の選考が14日、東京都内で開かれ、長野まゆみさんの短編小説集「冥途(めいど)あり」(講談社)と、篠原勝之さんの短編集「骨風(こっぷう)」(文芸春秋)が選ばれた。賞金は各100万円。授賞式は11月21日に金沢市民芸術村で開かれる。 「冥途あり」は語り手の東京下町育ちの父が疎開先の広島で被爆していた事実を明かす私小説的作品。「骨風」はユニークな鉄の芸術家として知られる著者の少年時代から現在までの家族や知人らとのさまざまな関わりを描いた。 全文は 泉鏡花文学賞:長野まゆみさんと篠原勝之さんに 参考 今週の本棚:持田叙子・評 『冥途あり』=長野まゆみ著 via 毎日新聞

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「原爆・原発」シンポ:戦後70年記念 高校生が幸福や平和考える 安城 /愛知 via 毎日新聞

 ◇命より大事なものない 安城市小堤町の安城学園高で26日、学園祭が開催され、戦後70年記念のシンポジウム「『原爆・原発』未来の2つの顔〜今伝え なければいけないこと」が行われた。被爆者と原発事故被災者の体験談を聞きながら、高校生の視点で原子力利用の在り方を考え、人間の幸福や平和とは何かを 話し合った。 広島で生後9カ月に被爆した「県原水爆被災者の会」(名古屋市)の金本弘副理事長(70)は「現在も大勢が被爆の認定を巡って提訴し、社会的差別を避けるため、被爆者であることを隠している。被爆70年も経て、なぜ苦しまなければならないのか」と訴えた。 東京電力福島第1原発事故で被災し、三重県四日市市の親戚宅に避難した福島県南相馬市の尾子(おおじ)富夫さん(65)は「放 射性物質が今も漏れ続けている大事故なのに、地元民へは秘密主義を貫き、大した事故でないように伝えられた。『無知は罪』を痛感した。旧ソ連のチェルノブ イリ原発事故では、発生数年後からがんなどの発症が急増したといい、福島の今後が心配だ」と述べた。 傍聴した高校生などからは「日本が被爆のことを忘れたから、福島の原発事故を招いたのではないか」や「福島の原発事故が終息しないのに、東京五輪の開催とかリニア中央新幹線の新設など、被災地を考えない方向に動いていいのか」などの意見が出された。 続きは「原爆・原発」シンポ:戦後70年記念 高校生が幸福や平和考える 安城 /愛知

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核兵器廃絶デーに国連大学で講演 「被爆体験の継承必要」via 新潟日報

作家の高橋源一郎さんが26日、東京・渋谷の国連大学で講演し、第2次大戦中にフィリピン・ルソン島で戦死した伯父の話を紹介して戦争の悲惨さを訴えた。続く討論会では「核兵器廃絶に向け、世代や国を超えた被爆体験の継承が必要」などと意見が交わされた。 核兵器廃絶日本NGO連絡会が国連の核兵器廃絶国際デーに合わせて主催し、約110人が出席した。 続きは核兵器廃絶デーに国連大学で講演 「被爆体験の継承必要」

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訃報:福島菊次郎さん94歳=反骨の報道写真家 via 毎日新聞

 広島の被爆者や公害、原発事故などを通して「戦後日本」「権力」を問い続けた反骨の報道写真家、福島菊次郎(ふくしま・きくじろう)さんが24日、脳梗塞(こうそく)のため死去した。94歳だった。本人の遺志で葬儀は行わない。 山口県下松(くだまつ)市生まれ。戦時中は広島の部隊にいたが、原爆投下時は宮崎にいたため被爆を免れた。復員後、郷里の下松 で時計店を営みながら写真撮影を独学し広島に通い、激痛に苦しむ被爆者の姿などを撮った写真集「ピカドン ある原爆被災者の記録」を1960年に発表し、 日本写真批評家協会賞特別賞を受賞した。 61年に上京し、プロの写真家となり学生運動や三里塚闘争、公害などを題材にした写真を総合雑誌に発表。 (略) 88年、がんで胃の3分の2を摘出しながら、昭和が終わった89年から「戦争責任展」「写真で見る日本の戦後展」を全国各地で開催。執筆活動 も始め、2003年から「写らなかった戦後」シリーズを出版した。 90歳となった11年、東日本大震災と福島第1原発事故を機に「広島と同じ過ちが繰り返される」との思いにかられ、福島などで被災農民らを撮影した。 全文は訃報:福島菊次郎さん94歳=反骨の報道写真家 関連記事: 人模様:93歳反骨の写真家が「遺言」−−福島菊次郎さん、アーサー・ビナードさん via 毎日新聞

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