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フランス、ビキニ、カザフスタンの核の現実から福島を捉える─映画『わたしの、終わらない旅』via 骰子の目

ベトナム戦争での枯葉剤被害を追うドキュメンタリー『花はどこへいった』(2007年)『沈黙の春を生きて』(2011年)の坂田雅子監督の新作『わたしの、終わらない旅』が3月7日(土)より公開される。 坂田雅子監督は福島第一原発事故の後、1976年頃から長野県須坂市で薬局を営みながら反原発の運動に深く関わっていた母・静子さんが遺したミニコミ『聞いてください』にあらためて触れ、母の意志を継いで、世界各地の核に翻弄される人たちを描くことを決意。姉の悠子さんが近くに住み核燃料再生処理場があるフランスのラ・アーグ、1950年代からアメリカの水爆実験が繰り返されたマーシャル諸島、そしてソ連の核実験が行われたカザフスタンのセミパラチンスクで撮影を行った。 webDICEでは、坂田雅子監督のインタビュー、そして今作製作のきっかけとなった坂田静子さんが1977年に発表したミニコミ『聞いてください』第1号の全文を掲載する。 ■映画を撮り続けることで、生きている手ごたえを感じたい ──坂田さんの作品は、核を扱う本作でも、常にパーソナルな体温が感じられます。最愛の夫の死に向き合う『花はどこへいった』が、その原点だと思いますが。 あれは私の魂の叫びだったと思います。良くも悪くも、もうああいう映画は作れない。夫を失い、子どももなく、今は群馬の山の中で孤独な生活をしていますから、カメラを持って人に会いに行き、映画を撮り続けることで、生きている手ごたえを感じたいのでしょうね。映画にすがっているというか。 それに、一作撮っても終わりにならないんです。あれも言い残した、これも知りたい、枯葉剤を製造したモンサントなどの責任はどうなっているのか、と。それが『沈黙の春を生きて』につながりました。『沈黙の春』で半世紀も前に薬害や公害を予言していたレイチェル・カーソンにならい、私たちも50年先に想像力を働かせて責任をもたなければ、という思いでした。 その編集中に、原発事故が起きたのです。50年先どころか、目の前で。 ──それで、すぐに映画制作を? いいえ。毎日、暗い冬の空を見ながら、どうすればいいのか、日本はどこに行くのかと考えてばかり。私が住む群馬県利根郡みなかみの辺りは放射線量も高いので、外国の友人からは「日本を出た方がいい」と言われました。でも、いまこそ日本にいて何かしなければとも思い、そんないたたまれない気持ちの中で、母の遺稿集『聞いてください』を取り出したんです。生前に聞く耳を持たなかったことを、つくづく反省しました。それで、どうしてこんなことになったのかを自分なりに見ていこう、母のやって来たことを映像化できないだろうか、と思い始めたのです。 ──お母様は1977年から反原発運動を続けられていたとか。 きっかけは、結婚して英仏海峡のガンジー島に住む姉からの手紙でした。「ガンジー島の対岸、フランスのラ・アーグにある再処理工場に日本の使用済み核燃料が来ると大騒ぎになっているが、日本ではどうなっているか」と尋ねてきたのです。子育てを終え、公害や靖国神社の問題など社会に目を向けていた母なら、わかると思ったのでしょう。 それで母は原発を勉強し始め、すぐに危険性を理解しました。放っておけない、どうしようと、宇井純さんなどにも相談し、手作りの新聞『聞いてください』をガリ版で100部刷り、長野県の小都市・須坂の駅前で一人で配り始めたのです。その最初の一歩を考えると、わが母ながら、どこからそんなガッツがでたのかと。よほど居てもたってもいられない気持ちだったのでしょう。 私にも送られてきましたが、ああまたか、うるさいなあという感じで、ディレッタント(趣味的)な生活を続けていて……夫が亡くなって映画を作り始めて枯葉剤の問題に向き合ったのです。そのとき、ああ、母が撒いた種は私の中で育っていて、やっと花開こうとしているのかなと思いました。 ■何を消費するかで日々の幸せを計ることを変える必要がある ──撮影はどのように進められましたか。 きっかけは姉からの手紙ですから、まずラ・アーグに行こうと、フランスの友人に相談しました。日本が再処理に躍起になっていた70年代に通訳をしていた人で、当時、日本から来る記者や電力会社の人がしきりに平和利用を口にした、と。フランスでは核は軍事ですから、なぜ平和利用と言うのか首をひねっていたそうです。それを聞いて、日本人がいかに平和利用と擦りこまれてきたかに気づき、そもそもの軍事へと目が向きました。 一方で、母の放射能測定器を持って福島に通っているときに、飯館村に入ると、車中でもカチカチッとすごい音がしました。その音を聞いて、これを持ってビキニに行ってみようと思ったんです。第五福竜丸が被爆した3月1日のビキニ・デーに合わせて発ち、キリ島に強制移住させられたまま、いまだに自分の島に帰れない人達の悲哀を知りました。 ──福島の映像は入っていませんね。 じつは福島に一番多く出かけ、最も長く撮りました。ところが、いろいろなものがありすぎ、逆に見えてこないのです。出会う人の数だけ心打たれる話があり、日々、状況も変わってゆく。どう話をまとめたらよいのか。歴史的、地理的、物理的に引くことで、よりよく見えてくるのではないかと、撮りながら思っていました。 ──逆に他所から福島が見えます。ラ・アーグでも、家電工場の建設だ、雇用増大だと地元民を言いくるめ、建設してしまえば汚染や病気の訴えにも「関係ない」の一点張り。福島も同じ構造です。 「人を殺して電気を使うのか」と言う人がいますね、あれが一番響いた言葉です。 それと、「日本では大きなプロジェクトが動き始めると止められない」と物理学者の高木仁三郎さんが言っています。でも、どこかでブレーキをかけなければいけません。止めるのは市民の力だと思います。だから、市民の在り方、民主主義の在り方が問われている。その意味で沖縄に注目しています。 大衆消費社会も問題です。ものを考えず、何を消費するかで日々の幸せを計る。それを変える必要があるでしょうね。 ──次回作のテーマは? 再生エネルギーでしょうか。何にせよ、残された時間で、少しでもできることをしていきたい。『聞いてください』で母が書いているんです。「現実の原発ラッシュの前に無力感を覚えることもあります。でもまた元気を出して考えなおします。蟻だって集まれば巨象を倒すこともできるではないか」と。本当に倒せるかはわかりませんが、いい言葉だと思います。 もっと読む。

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ビキニ水爆実験:船員被ばく追跡調査 福竜丸以外で初 厚労省 via 毎日新聞

 1954年に静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験を巡り、厚生労働省が近く、当時周辺で操業していた他の船員について健康影響調査に乗り出すことが分かった。被災船は全国で少なくとも500隻、被災者は1万人に上るとされるが、国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった。当時の放射線検査の記録が昨年見つかったことを受けたもので、ビキニ水爆実験での被害の位置づけが大きく変わる可能性が出てきた。(2面に「質問なるほドリ」、社会面に関連記事) 水爆実験では54年3月14日に福竜丸が帰港した後、他の漁船やマグロからも放射線が検出された。同18日に国は東京など5港を帰港先に指定。放射線が一定基準(距離10センチで毎分100カウント=放射線測定器の計測値)を超えた漁獲物を廃棄処分し、船員についても毎分500カウントを超えれば精密検査を行うとしたが、同年末で放射線検査は打ち切りに。翌55年1月4日、米国側の法的責任を問わない「慰謝料」として200万ドル(当時のレートで7億2000万円)を日本側が受領することで「完全な解決」とする日米交換公文に署名、政治決着させた。  55年4月に閣議決定した慰謝料の配分先には福竜丸以外の船員123人の治療費や992隻が水揚げした汚染マグロなどの廃棄経費も含まれていた。しかし、国はその後、こうした船員らについて全くフォローをせず、86年3月の衆院予算委分科会で今井勇厚相(当時)は当時の記録の存在を否定した上で「30年以上前のことで調査も難しいし、対策を講ずることは考えにくい」と答弁していた。  国の対応を転換させたのは、高知県で80年代から船員の聞き取りを進めてきた市民団体「太平洋核被災支援センター」の活動。山下正寿事務局長は、被災時に厚生省がまとめ外務省を通じて米国側に提供した検査記録の一部を同省が2013年に開示したことを受け、基になった記録の開示を14年7月に厚労省に求めた。  同9月、厚労省は延べ556隻、実数473隻の船員の体表面などを検査した記録を開示した。厚労省幹部は「過去に薬害エイズもあり、『資料を隠していた』と指摘されることに厚労省は敏感だ」と話し、記録開示の延長線上で船員らの健康影響調査をせざるを得なくなったことを示唆する。 もっと読む。

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きょうの潮流viaしんぶん赤旗

 核のゴミをめぐって各地で激しい反発が起きています。国は原発から出る放射性廃棄物の最終処分場建設を進めますが、候補地にあげられた住民はたまりません▼宮城の加美町では町長や住民が環境省の地盤調査を阻止。集会や署名をはじめ、他の候補地でも反対運動がひろがっています。自分たちの健康や命、周りの自然が半永久的に脅かされるのですから、立ち上がるのは必然です […] 「平和利用」の名で始まった核の時代が、いま転換期にあることは間違いないでしょう▼その核の時代を生きた一科学者の足跡が東工大内の展示でたどれます。米国のビキニ水爆実験で被ばくした第五福竜丸。その調査のため、放射線量の測定器を片手に帰港した焼津に駆けつけた西脇安(やすし)博士です▼汚染の深刻さを知った博士はすぐに米原子力委員長に手紙を出し、状況を伝えて処置方法を尋ねました。しかし返答はなく、「死の灰」を独自に分析。その後、欧州を回り核爆弾の恐ろしさを訴えるなど、彼の行動は国内外の反核運動の高まりをつくりました▼亡くなる直前に福島の事故を目にした博士は「放射線防護と原発事故への備えを言い続けたのに…」とつぶやいたそうです。 もっと読む。 ◇二日目の調査入れずーー宮木・加美

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【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(6)福島分断する賠償金問題「ふるさと取り戻す」via 神奈川新聞

 「悲しいことに福島県民間の分断が、賠償や除染が進まないことで起きている。福島から逃げた人が戻ってきたら『おまえたちは裏切り者だ』と言われたという話もあった」 4月20日、広島、ビキニ事件、福島の3人の核の被害者が実体験を紹介した「ビキニ被災60周年・三浦市民集会」(三浦市三崎)で、福島市在住の穂積順子(34)は神妙な面持ちで語った。 (略) 住民同士のいざこざの根本に、穂積は被災者の賠償金問題を挙げる。「避難地域に指定されている限りは1人につき月10万円の賠償金が入ってくる。福 島県はみんな被害を受けたのに、『なんであの人たちだけもらえて(避難地域外の)自分たちはもらえないのか』と思うみたいです。でも憤りの矛先が違う」 同県楢葉町から避難した40代の男性は、家族といわき市の仮設住宅で暮らす。「国は(避難者を自宅に)戻そうとしているが、信用できない。国にしてほしい ことは、原発20キロ圏内の土地を全部買い上げること。俺たちを追い出したんだから。そうしたら『補償金額が区域によって数千万円単位で違う』という話で 分断されることもない。結局、最後はお金の話なんだよ」と本音を吐露した。 遠く離れたマーシャル諸島では1954年3月の米国による水爆実験の影響で、爆心地に近いロンゲラップ島民は故郷を追われた。放射線の後遺症などを恐れ、大半は「帰りたい」と願いながらもためらう。ただ、島民間でも賛否両論が噴出している。 (略) 一方で、国が4月から県内の一部で避難指示を解除したことに懸念を示す。除染の問題以上に「病院などのインフラ整備が全然進んでいない所がたくさんある。賠償金を打ち切りたいばかりに、一刻も早く警戒区域をなくしたいという考えではないか」と疑問を呈す。 晩発性の甲状腺障害など、低線量被ばくに対する健康管理についても懸念がある。福島県内では今、助成で子ども医療費が18歳まで無料だ。しかし、3年前の 震災時に15歳だった少年少女は、今後は適用外となる。「県では限界があり、国の事業としてやってほしい」と主張する。 唯一の被爆国である日本は、広島、長崎に続き、第五福竜丸や三崎港を拠点にしたマグロ漁船なども多数被害を受けたビキニ事件、そして福島の原発事故を経験した。 「核と人類は共存できないことを一番分かっているはずなのに、なぜ原発政策をこれほど推進してきたのか。安心して住める福島を取り戻すには100年、200年かかるかもしれない。それでも、ふるさとを取り戻す闘いを諦めるわけにはいかない」 =敬称略 全文は第2部:漂う「当事者」(6)福島分断する賠償金問題「ふるさと取り戻す」 関連記事: 【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(5)核廃絶へ闘い誓う-「実験前の島に戻せ」 【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(4) -正しい情報、知識不足- 不安や不信がまん延【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(3) 家系図を独自作成 子、孫へと続く苦しみ 【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(2)故郷奪われた島民 「福島」に思いを重ね 【ビキニ被ばく60年】第2部:漂う「当事者」(1) 根拠なき「安全宣言」 今なお島民に後遺症

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ビキニ水爆実験 被害追う 被曝60年 福島と重ね via 東京新聞

一九五四年、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくして一日で六十年。福竜丸以外の漁船の被害を追った映画「放射線を浴びたX年後」の上映会が二十八日、横浜市中区であった。福島県双葉町の前町長、井戸川克隆氏ら東京電力福島第一原発事故の避難者らも参加した。 (橋本誠)  「-X年後」は、南海放送(松山市)が二〇一二年一月に制作したドキュメンタリー番組を八十三分に拡大。核実験による船員の健康被害を調べた高知県の高校生と教師の活動を軸に、日本列島にも及んだ放射能汚染を米国の機密文書で明らかにした。  上映後、伊東英朗監督が「被災六十年とか、三・一ビキニデーという言い方は、一九四六年から六二年まで行われた核実験を矮(わい)小化する。記念日をつくることは事件を過去にしてしまうことで、福島ではつくってはならない」と訴えた。  井戸川氏は、原発再稼働に進む政府を批判したうえで、住民の避難が続く現状に触れ、「映画のように人権無視の状態を放置してはならない」と述べた。 全文を読む。

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ラジオフォーラム 小出裕章ジャーナル via小出裕章非公式まとめ

【主なお話】 「59年前の3月にアメリカが行ったビキニ環礁での核実験で、いまだ永住できない島があるほどの汚染をもたらした死の灰について。北朝鮮の核開発問題について」 【パーソナリティー】 石丸次郎(ジャーナリスト) […] ◆小出 はい、え〜、ウランという物質を核分裂させるということが原爆の原理ですし、現在やっている原子力発電所の、まぁ原理でもあるのです。 ウランを、そして核分裂させてしまいますと、核分裂生成物というおよそ200種類に及ぶ放射性物質が出来てしまう、のです。 で、元々ウラン自身が放射性物質ですので、え〜、危険なものなのですが、それを核分裂すると、放射能の強さが約1億倍に膨らんでしまうという。 ◆石丸 1億倍。 […] ◆石丸 あ〜、なるほど。 え〜百数十キロ離れた第五福竜丸ですら、まあ相当な死の灰を被ったわけですけれども、え〜、ビキニ環礁、あの当然、アメリカ政府、汚れることが、汚染されてしまうことを予測して、島民にまあ離島をさせてました。 ところが、元の島、住処に帰りたいという人たちが、70年代に139名が帰島をしてます。 ところが、あの健康不安があってちゃんと調査をせよということで、98年にIAEAが、え〜、ビキニ環礁は定住してそこで得られる食料を摂ると、年間15ミリシーベルトに達するので永住に適さないという結論を出しているんですが、これ15ミリ。 ところが、福島の場合、2011年4月に、政府は計画的避難区域に指示をする基準をですね、20ミリシーベルトに、年間積算線量20ミリシーベルトを基準として出してきましたけれども、この20ミリシーベルト、IAEAは15ミリでも危ないと言ってるわけですけれど、永住に適さないと言っているわけですけれども、それを基準に考えたとき、この20ミリっていうのはどう考えたらよろしいでしょうか。 […] ◆石丸 それがその、私、北朝鮮の取材をですね、ずっと続けている中でですね、北朝鮮の内部の人たちとインタビューを繰り返していると、え〜、軍の統制地域のそば、あるいはおそらく核関連施設のそばでですね、あの〜、たくさんの死人が出ているとか、それから先天性異常の子どもが異常に多く生まれているという話を、不確かな部分をあるんですが、よく聞くんですよね。 ◆小出 はい。 ◆石丸 え〜と、核実験、武器としても非常に怖い一方でですね、あの北朝鮮という国でちゃんとした核物質管理がされているのかっていうことが非常に怖いなと、中に住んでいる人の立場、それから北朝鮮、朝鮮半島の大地が汚れるっていうこと、あの非常にやっぱり憂慮を感じるんですけれども、あの、まあ、あの〜本題とちょっと離れますけど、この北朝鮮の核実験については、何か実験の報を聞かれて、小出さん、どういう印象、感想を持たれましたか。 ◆小出 え〜、私は、朝鮮民主主義人民共和国が、核兵器を持っているかどうかということそのこと自身に疑いを持っています。 え〜、核実験をしたというようなことを言っているわけですけども、え〜、それはむしろその朝鮮民主主義人民共和国のほうから自分の国が強いんだぞということを言いたいがための宣伝である可能性も未だ残っていると私は思います。 なぜかというと、核兵器を作ろうとすると、プルトニウムという物質を分離しなければいけなくて、それが再処理と呼ばれている工程なのです。 しかし、朝鮮民主主義人民共和国には再処理工場は無いのです、まだ。 ◆石丸 ふ〜ん。 ◆小出 ですから、基本的に私は、朝鮮民主主義人民共和国が核兵器を作る力は未だにない筈だと思っているのです。 ただしまあ、あの〜核実験をやったと言っているわけですし、もしそうだとすれば、え〜、たいへんまあその不完全な形で再処理ということをやっている、工場もないのにですね。 もともと再処理というのは膨大な危険を抱えている作業でして、米国はハンフォードというところでやりましたが、ハンフォード周辺は膨大な放射能汚染をしています。 ロシアも原爆を作るために再処理をやりまして、チェリャビンスクというところでやったのですが、そこも膨大な放射能汚染をしてしまっていて、周辺の住民に被害が出ています。 ですから、どこでも原爆を作ろうとするようなところは、ん〜、環境を破壊しながら、人々に危害を加えながらやってきたわけです。 ましてや朝鮮民主主義人民共和国には再処理工場というその正式なものはない状態ですので、そんなところでもし再処理というような作業を本当にしたのであれば、環境が汚れることはもちろん避けることができませんし、周辺に被害が出ているということもうなずけます。 全文はこちら。

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「第五福竜丸」被ばくから59年 江東で23日 記念の集い via 東京新聞

一九五四年にマーシャル諸島ビキニ環礁で行われた水爆実験で、静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が 被ばくした事件から、今年で五十九年。風化を防ぐ努力が地道に続く。都立第五福竜丸展示館(江東区夢の島)は二十三日、ビキニ記念の集いを開く。 (佐藤 敦、深世古峻一)  午後二時からの集いは「核を考える市民講座 ビキニのマグロ フクシマの海~美味しいさかなが食べたいYO!」。ビキニ水爆実験の際、放射性物質 に汚染されたマグロを中心に大量の魚が捨てられ、市民生活も脅かされた。福島第一原発事故の後、海は、魚はどうなったのか。海と魚の放射能汚染をテーマ に、東京海洋大名誉教授水口憲哉さんの話を聞く。  会場は、夢の島内の東京スポーツ文化館マルチホール。資料代五百円。午後一時からは第五福竜丸展示館で見学会も開く。問い合わせは=電03(3521)8494=へ。  一方、焼津市の中野弘道市長は、核廃絶に向けて活動する個人や団体を表彰する「焼津平和賞」の二○一三年度の募集と表彰を取りやめる方針を明らかにしている。  第五福竜丸の母港を持つ市として平和推進を図ろうと創設した賞だが「応募に陰りがある」ためという。二〇一三年度中に検討委員会を設け、廃止や隔年表彰への移行を含め、今後の在り方を検討する。 続きは「第五福竜丸」被ばくから59年 江東で23日 記念の集い

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 ビキニ被ばく:忘れられた1000隻の漁船 映画化で注目 via 毎日jp

 米国によるビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった−−。ほとんど知られていない史実を掘り起こした地方テレビ局制作のドキュメンタリー番組が、ディレクターらの熱意で映画化され、全国に自主上映の動きが広がっている。【日下部聡】 ビキニ環礁周辺では1954年3〜5月に計6回、水爆実験があった。当時、近くの海域には静岡県の第五福竜丸を含め約1000隻の日本漁船が操業しており、3分の1は高知県の漁協所属だった。 昨年9月に公開された映画「放射線を浴びたX年後」は、この高知の元マグロ漁船員を追った83分間のド キュメンタリーだ。「うちのおじいさんだけ骨がごちゃごちゃ」。映画の中で、元甲板員の妻が99年に74歳で病死した夫の火葬を振り返る。原爆の被爆者に も、火葬で骨がほとんど残らないケースが報告されている。 消息が分かった241人の3分の1は50〜60代になる前に死亡、生存者も病気に苦しんでいた。がんが目立ち、放射線障害とみられる症状の出た人も少なくなかった。 政府は第五福竜丸以外の船員の健康被害について調査をしないまま、翌55年1月には米政府から慰謝料200万ドルを受け取って問題を決着させた。この年には放射性物質が日本全土を覆い、米国がひそかに測定していたことも米政府の文書に記録されていた。 映画はこうした事実を抑制されたトーンで次々に明らかにする。 基になったのは愛媛県の南海放送(日本テレビ系列)が04年以降放送したドキュメンタリー番組だ。ディ レクターの伊東英朗(いとう・ひであき)さん(52)が元高知県立高教諭、山下正寿(やました・まさとし)さん(68)=同県宿毛市=の地道な活動を偶 然、インターネットで知ったのがきっかけだった。 地域史研究の自主ゼミを主宰していた山下さんは、地元の高校生たちと85年から被ばく船の調査をしていた。口の重かった元船員たちも高校生には心を開き、実態が少しずつ明らかになっていた。 続きは  ビキニ被ばく:忘れられた1000隻の漁船 映画化で注目

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放射線を浴びたX年後 via 愛媛新聞

 伊方原発の運転差し止めを求めて松山地裁で争われている訴訟の原告は23都府県の622人。その中に高知県宿毛市の元高校教諭山下正寿さん(67)もいる▲  米国による1954年のビキニ水爆実験は第五福竜丸だけでなく延べ千隻のマグロ漁船に死の灰を浴びせた。3分の1が高知船籍。多くの乗組員が若くしてがんで死んだが、被ばく調査も救済もない。山下さんは埋もれた事実を生徒と調べ、日米の国家的不作為を明らかにした▲  「事実隠しと被害の過小評価。ビキニと東京電力福島第1原発事故は似ています」。ことし5月、伊方訴訟が始まった日に原告団記者会見で語っていた▲ その山下さんとともに隠されたビキニ被ばくを追った南海放送の記録映画「放射線を浴びたX年後」が松山と東京で公開中だ。乗組員の消息を訪ね歩く伊東英朗監督に返ってくる妻たちの答えが黙示に聞こえる。「早くに亡くなりました」「死因はがん系統」「夫はきのこ雲を見たと自慢しよったが、がんで亡くなった」▲ 続きは放射線を浴びたX年後

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低線量被ばくを考える講座「50年後の安全」via kiikochan

松井英介医師 動画+講演書き出し (2011年8月28日 栃木県宇都宮市) 内部被ばく、低レベルにカッコをつけたのは 身体の中に入ってきた小さな放射性物質の粒。 そこから出てくる放射線は、すぐそばにある細胞にとっては、決して低レベルではない という意味でカッコを付けたんですけれども、 何に比べて「低レベル」かというと、 広島・長崎、ピカが光った時のあの放射線、主にガンマー線と中性子線ですね、 それに比べてずっと、こう、エネルギーが低いというか、 あるいはその量が少ないというか、 そういう意味での低レベル、低線量なんですが、 それが身体の中に入ってきて、 繰り返し繰り返し長い間にわたって、アルファ線とベータ線を主に出しますが、 ガンマー線も出しますけれども、アルファ線とベータ線も出すと。 その事がどういう健康障害をもたらすかっていう事について1時間ほどお話しをしたいと思います。 続きは低線量被ばくを考える講座「50年後の安全」

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