Tag Archives: ハンフォード

産学官民で浜通り復興 福島の教育機関など連携組織を設立 via 河北新報

東京電力福島第1原発事故からの復興を地域の経済発展に結び付けようと、福島県浜通り地方の教育機関や民間企業などが6日、産学官民の連携組織を設立した。放射性物質による環境汚染から脱し、繁栄した米国ハンフォード地域の取り組みをモデルに、地元企業や人材の育成などに力を入れる。  名称は「福島浜通りトライデック」。ワシントン州ハンフォード地域の発展に貢献した非営利団体「トライデック」にならった。地元の大学や企業、NPO法人などの43人が設立メンバーとして名を連ねた。  軍事用プルトニウム精製によって放射能に汚染されたハンフォード地域は、環境浄化の過程で多くの研究機関や関連企業が集積。雇用や生活環境が充実し、復活した。関係機関の利害調整や地元要望の取りまとめを担ったのがトライデックだった。  浜通りトライデックは米トライデックの知見を参考に、草の根レベルから被災地域の復興に関する提案や情報発信をする。今後の復興を担う若い世代の人材育成も柱。地域に呼び込むための新たな魅力づくりに取り組み、復興を加速させたい考えだ。  具体的な活動を展開する七つの委員会を設けた。廃炉作業や福島イノベーション・コースト構想、国際教育研究拠点といった大きなプロジェクトとの接点を探り、地元に経済効果をもたらす復興の枠組みの構築を目指す。  ハンフォード地域の現地調査や現地の大学や短大との交流事業も計画する。今後は農業や観光、環境といった分野も調査・研究対象として検討する。 (略) 専務理事に就いた同大の中村隆行副学長は「自分たちの運命は自分たちで決める思いだ。浜通りの発展に結び付く草の根の意見、提言を出していきたい」と話した。 全文は産学官民で浜通り復興 福島の教育機関など連携組織を設立

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「浜通り版トライデック」設立へ会合 産業再生や企業誘致推進 via福島民友

いわき市の東日本国際大と企業が中心となり、浜通りの産業再生や企業誘致を推進するための民間組織づくりが始まった。モデルは、米国のワシントン州ハンフォードで、放射能汚染事故を乗り越えて経済再生をリードした民間調整組織「トライデック」。19日には設立に向けた初会合が開かれ、関係者が「福島浜通り版トライデック」の設立に向けて決意を新たにした。  プロジェクトに賛同しているのは、同大など19の団体や個人で、来年中にも新組織の発足を目指す。米国のトライデックが、産業や教育、医療などの需要を把握して関係機関の利害を調整、地域再生を加速化させた事例を踏まえ、同様の活動ができるように体制を整える。民間の視点を生かした行政への政策提言も目指していく。  19日の会合では、共同代表に同大の大西康夫福島復興創世研究所長らを選任。同大やいわき商工会議所などでつくる作業部会を設けることも決めた。  10月から活動を本格化させ、組織の全体的な構想の検討などを進めていく。また、政府が浜通りに整備を検討している「国際教育研究拠点」について、地域の需要に見合った施設となるよう要望書の作成などにも取り組む。 […] 全文

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「私の初恋」 12歳だった彼は、原爆で死んだ 渡辺美佐子さんインタビュー詳報 via東京新聞

戦後75年の終戦の日の特集は、俳優の渡辺美佐子さん(87)のインタビューです。34年間、休むことなく、原爆や空襲で亡くなった子どもやその両親らの声を語り継ぐ朗読劇を続けた原動力には、幼いころ淡い心を抱き、原爆で死亡した少年への思いがありました。(聞き手=社会部長・杉谷剛) ◆「戦争って、人間らしさが全部奪われる 生きるのに必要なことが取られちゃう」  ―広島の原爆で国民学校の同級生が亡くなったんですね。 私が東京・麻布の笄こうがい国民学校(現港区立笄小学校)3年の時、太平洋戦争が始まりました。5年の途中から、疎開で1学年に何百人もいた生徒が15人ぐらいになった。そしたら入ってきた子がいたんです。珍しいなと思って。小麦色の肌でね、歯が白くて。家に帰る方向が同じで、行き帰りもだいたい一緒。でも、そのころの小学生の男の子と女の子ね、絶対口きかないんです。「おはよう」とか「さよなら」の一言もない。目も合わせないですね。そしたら1年たたないうちに、いなくなっちゃったんですよ。どっか疎開したんだなって。 […]  戦後50年のときに、長崎の原爆に使われたプルトニウムを作った工場がある米ハンフォードで、原爆詩の朗読をしました。その町の高校バスケ部のジャンパーの背中が全部キノコ雲なんですよ。震えました。世界で一番強い物は原爆で、僕たちは世界で一番強いチームになりたいから背負っているんだって。 […] 全文

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福島の国際教育研究拠点、沿岸部復興の司令塔に via 日本経済新聞

東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故で被災した福島県沿岸部の復興に向け、国立の国際教育研究拠点の計画づくりが本格化している。国の有識者会議は6月、震災後に開設が相次いだ研究開発施設間の連携を生み出す「司令塔」の役割を提言した。福島大学などは拠点への機能の一部移転を検討。立地場所は年内に決まる見込みで、複数の自治体が誘致に名乗りを上げている。 有識者会議(座長・坂根正弘コマツ顧問)の提言によると、拠点の研究分野は原発の廃炉、ロボット、再生可能エネルギー、情報通信技術を使ったスマート農業など多岐にわたる。研究者らの人員は600人規模を見込み、2023年春に一部、24年度に本格開所を目指す。 国などは震災後、沿岸部で新産業創出を目指す「福島イノベーション・コースト構想」を推進。「楢葉遠隔技術開発センター」(楢葉町)、「福島ロボットテストフィールド」(南相馬市、浪江町)、「福島水素エネルギー研究フィールド」(同町)などが次々と整備された。 (略) モデルケースは米ワシントン州の核施設「ハンフォード・サイト」周辺のまちづくりだ。軍事用プルトニウム精製による放射能汚染からの再生に向け、研究機関や企業が集積。産業が発展し、1990年に約15万人だった人口は30年で倍増した。 大学は拠点への参画のあり方を検討している。福島大は6月、教授らでつくるワーキンググループを設置。8月末をメドに機能の一部を移転する計画をまとめる。東北大は既に分校を設ける構想を公表した。筑波大、お茶の水女子大も進出を予定する。 拠点の立地場所も焦点となる。有識者会議は原発事故による避難指示が出された地域で、分散せず集約するとの2要件を提示。浪江町や富岡町が誘致に意欲を示し、南相馬市は相馬地方、双葉町は双葉地方への立地を希望する。ただ「拠点の規模などがわからず具体的な準備は進めづらい」(浪江町)との声もある。 全文は福島の国際教育研究拠点、沿岸部復興の司令塔に

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放射能汚染地域を研究 福島の復興に活かす via 日テレ24

放射能汚染がありながらも発展を遂げたアメリカの地域を研究し、福島の復興に活かそうと、東日本国際大学といわき市、双葉郡8町村が協定を結んだ。 この協定は、核施設の放射能に汚染されたアメリカのハンフォード地域が発展を遂げるまでの取り組みを研究し、原発事故後の福島のまちづくりに役立てようと結ばれたもの。 (略) 夏ごろには大学と自治体関係者で現地を視察し、ハンフォードの取り組みを福島で活かすことができるか検証していくと言う。 またハンフォードからも関係者を招き、除染作業の過程や現在の状況などについて学ぶ国際シンポジウムも行われた。 全文は放射能汚染地域を研究 福島の復興に活かす

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【動画あり】きのこ雲を誇れますか? 大牟田の高3動画で訴え話題 米留学先ロゴに異議via西日本新聞

 「きのこ雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」-。福岡県大牟田市の高校3年生、古賀野々華さん(18)が、米国の高校に留学していた5月、校内向けの動画で、原爆のきのこ雲を模した高校のロゴマークに異を唱えた。動画はインターネット上で拡散し、広く話題に。1年間の留学を終え、6月に帰国した古賀さんは「批判を恐れずに、自分の意見を伝えることの大切さを学びました」と振り返った。 […]  「原爆を、こんなふうに扱っていいの?」。留学後に町の歴史を知り、日々を過ごすうちに膨らんだ違和感が問題意識に変わったのは半年が過ぎた頃。米国史の授業で、多くのクラスメートが「原爆のおかげで戦争が終わった」との考えを示していたからだ。  そんな古賀さんの様子に気付いた教師から、校内放送に出演し、メッセージを伝えることを勧められた。読み上げる英文作りには、ホームステイ先のホストマザーも協力してくれた。  帰国を間近に控えた5月30日、校内放送に出演した。原爆投下で大勢の市民が犠牲になったこと。日本では原爆の恐怖を学び、犠牲者を悼む「平和の日」があることなどを紹介。「きのこ雲は、爆弾で破壊したもので作られています。きのこ雲に誇りを感じることはできません」と締めくくった。  歴史あるロゴマークに愛着を持つ人も多い中、同級生から「あなたを誇りに思う」「あの動画がなければ日本側の意見を知ることは一生なかった」と勇気ある行動を称賛された。地元紙でも取り上げられ、古賀さんのメッセージをきっかけにさまざまな場所で議論が生まれた。  「ここまで反響があるとは思いませんでした。私はロゴマークを変えさせたかったわけではありません。ただ、(原爆を)投下された側の気持ちを知ってほしかった」。いま、古賀さんはそう振り返る。将来は、米国で学んだことを生かした仕事に就きたいという。 全文

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核廃絶活動家招き中学で平和授業 via NHK News Web 長崎

平和教育に取り組む長崎市の中学校で、核軍縮について学ぶ大学院生を講師に招いて、生徒たちと一緒に平和のあり方を考える授業が行われました。 授業が行われたのは、対話や討論を重視した平和教育に取り組んでいる長崎市の深堀中学校で、12日は核軍縮について学びながら核廃絶に向けた活動を続けている長崎大学大学院の光岡華子さんを講師に招きました。 授業には、平和の発信をテーマに学んでいる中学3年生の生徒およそ40人が参加し、この中で光岡さんは、原爆の材料プルトニウムを製造した核施設があるアメリカのリッチランドを去年訪れた際に、核兵器を製造したことを肯定的にとらえる人が多く、原爆の被害についてはほとんど理解されていないことを説明しました。 その上で、地元の高校生に被爆地の写真などを使って原爆の悲惨さを伝えたところ、核兵器を使うべきではないと理解し合えたということで、光岡さんは「価値観が異なる相手に話すことは怖いことだけれど、伝えなければ理解し合うことはできない」と語りかけました。 続きは核廃絶活動家招き中学で平和授業

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原爆キノコ雲のロゴに疑問 日本人留学生の行動に反響 米西部  via NHK News Web

2019年6月13日 14時44分 アメリカ西部ワシントン州の地方紙に、ある日本人留学生の勇気ある行動を伝える記事が掲載され反響を呼んでいます。留学先の高校のロゴマークに原子爆弾でできたキノコ雲のデザインが使われていることに1人、疑問の声を上げたのです。 ワシントン州のリッチランドは、長崎に投下された原子爆弾に使われたプルトニウムが生産された町で、地元の高校のロゴマークにキノコ雲のデザインが使われるなど、住民の多くはその歴史を誇りとしてきました。 福岡県の高校3年生、古賀野々華さんは、こうした背景を知らないまま、交換留学で現地の高校に通うことになりました。 しかし、学校に通う中で、ロゴマークや町の歴史について知り、地元の人たちの原爆に対する考え方を学ぶ中で、みずからが原爆についてどう感じているかを伝えたいと思うようになったということです。 そして、学校の教師やホストファミリーの後押しを受けて、先月30日、放送を学ぶ生徒たちが、校内向けに制作する動画に出演し、自分の意見を伝えました。 動画で古賀さんは「リッチランド高校では、キノコ雲のロゴは皆に愛され、いろんな所に掲げられています。自分にとってのキノコ雲は犠牲になった人と今の平和を心に刻むものです。キノコ雲の下にいたのは、兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」と問いかけています。 古賀さんの勇気ある行動は、地元の新聞などが報じ、ツイッターではロゴマークの是非をめぐり議論が起きるなど反響を呼びました。 留学を終えて帰国した古賀さんは「私1人だけが周りと全く違う意見を持っていて、英語もパーフェクトに話せない中、本当に伝わるのかとか、どんなリアクションが返ってくるのか考えてしまい、動画を公開する前の日は恐怖や緊張を感じました。あの動画がなければ、日本側の意見は一生知ることがなかったと言われ、本当にやってよかったと思いました」と話しています。 ツイッターには、古賀さんの行動をたたえる声や、キノコ雲のロゴマークへの批判が投稿されるなど反響を呼びました。 英語のツイートの中には、「ロゴマークを変える時が来たのではないか。これは平和のために活動する人への侮辱になる」とか、「今は1945年ではない。このロゴマークに違和感を覚えない人はあわれだ」などといったキノコ雲のデザインに批判的なコメントが目立ちます。 一方、「長崎や広島につながりのある人たちにとっては受け入れがたいことかもしれないが、あれらの爆弾は、他の多数の日本人の命を救うことにつながった」とか、「戦争を終わらせたというのは誇りに思ってよいことだと思う」という投稿もありました。 また、アメリカ在住の被爆2世だという女性は「学校のロゴについての議論を通じて、私の母や家族のように、あのキノコ雲の下にいた人たちの存在を伝えてくれた日本人留学生のことを誇りに思います」と古賀さんの行動をたたえました。 ビデオを見る。

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(うねり 核兵器禁止条約から:1)「核は強さ」米国の壁、越える声を via 朝日新聞

 原爆投下後に疎開先から長崎の自宅に戻り、被爆した長崎市の森口貢(みつぎ)さん(81)。当時8歳。家も木もなくなった爆心地近くで遺体を焼く白い煙が立ち上るのを目の当たりにし、そのにおいが今も忘れられないという。 3月上旬、原爆のプルトニウムが作られたハンフォード核施設の地元、米ワシントン州リッチランドなどを訪れ、被爆証言を交えて講演し、施設による放射線被害を訴える住民らとも交流した。 キノコ雲をシンボルマークにする地元高校は春休み中だった。校長に被爆証言集の英訳版を手渡した。再び訪ね、生徒らと語り合いたいと願う。「『核は良いもの』という概念を崩していくのは途方もないこと。でも、米国にいる人たちと手を組んで頑張っていきたい」 森口さんの訪問の受け止め方は様々だ。支援したホイットマン大教授のシャンパ・ビスワスさんは「講演に多くの聴衆が涙を流した。核軍縮の小さな一歩だったが、とても重要な一歩だった」と振り返る。 一方、元リッチランド市長のジョン・フォックスさん(90)は森口さんの話に理解を示しつつも、「原爆が戦争を終わらせてくれたおかげで私は徴兵を逃れ、命が救われたと思う。米国が日本本土に侵攻していれば、日米双方の多くの人が殺されたはずだ」と語った。 訪問を取り上げた地元メディアの記事には、好意的な意見の一方で、批判も寄せられたという。 核に対する意識をどう変えていくか。訪問を支援した米国のNPOの宮本ゆきさん(50)は「壁の厚さ」を感じながら模索を続けている。 広島市出身の被爆2世。渡米し、核兵器や平和に対する認識に日米間の隔たりを感じた。米シカゴのデュポール大で、核の歴史などを教える准教授も務める。[…]     全文

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(核の神話:13)従順な「原子力ムラ」なぜ生まれたかvia 朝日新聞

米メリーランド大教授、ケイト・ブラウンさん  昨年11月、ワシントンで開かれた米政府主催の「マンハッタン計画国立歴史公園」の専門家フォーラムに招かれました。米国人専門家ら約20人のほか、広島・長崎両市の代表も参加し、新たな国立歴史公園の展示内容などについて、内務省国立公園局やエネルギー省に意見を述べるものでした。  国立公園局は広島・長崎への原爆投下という「米国のタブー」にも踏み込もうとしているようですが、エネルギー省には軍や原子力産業の影がちらつきます。今回、国立公園に指定されたハンフォードなどマンハッタン計画の関連3施設を所有するエネルギー省としては「短期間で原爆を開発して第2次世界大戦を終わらせ、多くの米国人の命を救った」という栄光の歴史を後世に伝えたい。その後の放射能汚染という数十年にわたる「負の歴史」は省略したいというのが本音でしょう。  歴史を振り返ると、1930年代から40年代前半、マンハッタン計画が始まるころの米国の工場労働者らはストや暴動、飲酒、けんかが絶えませんでした。ハンフォードのプルトニウム生産を請け負ったデュポン社は、労働者の管理に非常に神経を使いました。原爆開発は秘密の国家プロジェクトです。その材料となるプルトニウムの生産にあたる工場労働者は、精神的に不安定な独身男性ではなく、妻と子どもがいる白人の核家族の男性がふさわしい、という結論に至りました。彼らは会社の方針に従順で、家族の生活を会社の給料に依存する。ハンフォード施設の労働者が暮らすリッチランドでは、国費で子育て支援や学校、商店、交通機関を充実させました。 […] さらに、ハンフォードとマヤ-クの現場を見て、奇妙な共通点が数多くあることにも気づきました。プルトニウム生産を加速するために放射性ヨウ素を詰め込んだ「グリーン燃料」を米国が製造すれば、ソ連も同じことをする。米国が放射性廃棄物を土の中や川へ捨てているなら、ソ連もそうする。お互いににらみあい、まねしていたのです。  旧ソ連と違って報道の自由がある米国では、1950年代に急転換がありました。戦後、マンハッタン計画を引き継いだ原子力委員会は放射線被曝(ひばく)そのものよりも、民衆のヒステリーにさらされることの方を恐れるようになったのです。米国が水爆実験をした太平洋ビキニ環礁での第五福竜丸などの被曝(ひばく)事件が大きなきっかけでした。米国内でもネバダ核実験場からの放射性降下物に対する拒否反応が広がり、公衆衛生の対応から世論対策に重心が移りました。核開発を進めたい米国主導で国際放射線防護委員会(ICRP)が設立され、被曝の「許容線量」の考え方が導入された。世界的かつ長期的な広報戦略が今日に至るまで続いています。  当時、原子力発電の技術開発でソ連に後れをとっていた米国は、日本に原子炉を輸出することにしました。広報戦略の一環です。ソ連は、米国の原子炉を「マーシャルアトム」(軍事用の核)だと言ってばかにしていました。米政府はこれを恥じ、アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」を唱え、原爆被爆地の広島にあえて原子炉を置こうとしたのです。ビキニ事件を受けた日本の反核運動の盛り上がりもあって「広島原発」は実現しませんでしたが、ともあれ、米国製の原子炉が日本に設置されました。それは、原子力潜水艦用に開発された軍事用の原子炉を転用し、民生用の原子炉としては安全性が十分確認されたものではありませんでした。しかし、改良に余分なコストや時間をかけたくなかった。米国は非常に危険でやっかいなものだと知りつつ、ソ連をにらむ西側陣営の日本に輸出した。日本にはエネルギー資源がなく、米国に支配された国だったからこそ実現したのでしょう。 […] 90年代になると、ハンフォードの風下住民や農民らの健康被害があらわになり、放射線の影響が疑われましたが、工場労働者の多くは気に留めませんでした。70年代に原子力委員会を引き継いだエネルギー省や原子力産業によって「低線量の放射線は心配ない」という言説が米国社会に振りまかれていたからです。それは、たばこ産業が自前の研究結果を示して「喫煙は人体に無害だ」というのと同じような広報戦略です。  それは4段階あります。まずは、自然化。「放射線は太陽のようなものです。元々自然界に存在するものですよ。だから、大丈夫なのです」と。さらに、ハンフォード施設沿いの川を自然保護区に指定して、野鳥が集まる美しい公園として売り出そうとしている。これは、「自然化」の広報戦略の一環です。実際には米国各地の核開発によって、人間の健康だけでなく、環境汚染や生態系への負の影響をもたらしてきたことを隠すものです。  次に、対抗研究。「子どもの甲状腺に腫瘍(しゅよう)が出来るのは放射性物質が原因だろう」という研究が発表されると、別の学者を買収して「まだわからない、証拠がない」と言わせる。第3に、健康被害を訴える人々自身のせいにする。「放射線を恐れすぎです。食生活やアルコールの方があなたの健康にとっては問題ですよ」と。最後に、答えの出ない「先端研究」に投資して結論を引き伸ばす。米国のある大学には、多額の国家予算を投じて、刑務所の囚人男性に放射線を照射して精子への影響を調べる研究を12年間もやらせました。結果、放射線の人体への影響は「わからない」という。ハンフォード施設からの放射線で環境や牛は汚染されているけれども、人体との因果関係はわからないというのです。 […] 米国は戦後設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)を通じて広島・長崎の被爆者のデータを日本側から吸い上げました。なぜでしょうか。米機密文書には、こういう記載がありました。「我々はこの研究を(日本から)乗っ取る必要がある。さもなければ、ピンクや赤の連中に(被爆者の健康調査データを)握られて、ひどいことになる」。広島・長崎への原爆投下の正当性について米政府は敵対するソ連であれ、共産主義者であれ、攻撃材料を与えたくなかったのでしょう。  一方、お膝元のハンフォードでも、風下住民らが30年近くも法廷闘争をしています。病気にかかった人たちが30年ですよ。米政府は弁護側、つまり請負企業の弁護にカネを払って、できるだけ裁判の引き延ばしにかかっています。これまでに企業の弁護のために多額の国税が費やされました。一方、原告の風下住民らは自分で弁護士を雇わなくてはならず、長期戦に持ちこたえられません。結果、企業側は、何ら罪を認めることなく、法廷の外で示談に持ち込むのです。 私は元々、旧ソ連の歴史研究者です。ソ連と日本は違うはずだ、日本の科学技術や組織管理は信頼できるはずだ、と思っていました。しかし、東京電力や日本政府の対応を見ていると、ある意味、ソ連よりひどいと思います。「アンダーコントロール」だとウソをついて、避難住民らの福島への帰還政策を進めている。広報戦略によって放射線の危険性を見えなくしている。住民らがそれに従わざるをえないように追い込まれているのが、まさに国策依存の「プルトピア症候群」です。 […] もっと読む。

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