脱原発のプラカードを着けた男性が受けた「注意」駅員やバス運転手から…どうして?via 東京新聞

 横浜市に住む男性が原発に関連する標語のプラカードを胸と背中に下げてJRや同市営バスに乗車しようとした際、駅員や乗務員(運転手)から「外してほしい」と求められた。プラカードは公共交通機関の場ではふさわしくない行為なのか。男性が「表現の不自由の空気を感じた」というが、その顛末てんまつは。(野呂法夫)

◆記者が声を掛けると、元原発技術者の男性は語った

昨年11月16日昼過ぎ。記者が川崎市のJR川崎駅から東海道線上り電車に乗ると、「原発を並べて自衛戦争はできない」と書かれたプラカードをつるしてドア付近に静かに立つ男性がいた。背中には「自衛隊を戦争のための部隊から災害救助即応隊にしよう」とあった。

 ロシアのウクライナ侵攻で原発が有事に標的となる危険性が問われるなか、関心を抱いて声をかけた。

 男性は小倉志郎さん(81)。2011年の東京電力福島第一原発事故後に原発の危険性を訴えてきた東芝の元原発技術者だった。

 小倉さんは私が記者と知ると新橋駅(東京都港区)で下車後、「どう思いますか」と話し始めた。横浜駅のホームにいると、30代とみられる駅員からプラカードを外すよう求められ、「駅構内にそんなルールを掲示しているのか」と尋ねると、「掲示はしていないが、駅という場所でやるべきではない」などと話した。結局そのまま電車に乗り込んだ。

横浜市営バスの乗車でも同じ経験をした。9月28日に40代の運転手から「バスの中では外してほしい」と言われ、「誰かの指示ですか」と聞くと、「私の判断です」と。このときは運行を遅らせてはいけないと思い、外したという。

 小倉さんは2016年の参院選で改憲勢力が憲法改正発議に必要となる全議席の3分の2を超えたことに危機感を覚え、外出時に着衣サイズのプラカードをつるす一人デモを始めた。標語は「きみ!せんそうにいくなよッ きゅうじょうをまもろうよ」と社会情勢に応じて変えてきた。

 買い物のスーパーで注意されたことはなく、たまに高齢女性から「私も同じ考え」と声をかけられる一方で、東京・六本木では中年男性から「売国奴は出て行け」と怒鳴られたこともある。

 小倉さんは「駅構内や建物、車両内では無言です。標語のプラカードをつるすのも表現活動の一つなのに、表現の自由が社会の中で萎縮、自己規制していないといいのですが」と問いかける。

◆横浜市交通局「対応としては適切でなかった」

 公共交通機関の場で標語をつるすのは許されないことなのか、尋ねてみた。

 横浜市交通局自動車本部の石渡春男・運輸課長によると、小倉さんを注意した運転手は標語の中身が分からなかったが、男性が車内で何か言葉を発し、他の乗客に迷惑を及ぼさないようにしたと説明。もめ事がない中での乗客への対応としては適切でなかったため指導したという。石渡課長は「お客さまの考えや思想は個人の自由。ただ他の乗客に迷惑を及ぼすような場合は注意させていただくことになる」とした。

 JR東日本横浜支社の広報担当は「駅構内で社会問題にメッセージを表現することを一概に制限するものではないが、他のお客さまが不快に感じたり迷惑に思うようなことがあれば、おやめいただくよう声をかけさせていただく場合がある」と回答した。

◆「やめさせる権利、乗車を拒否する権利はない」

 志田陽子武蔵美術大教授(憲法)の話 「戦争反対」などTシャツや着衣、プラカードのメッセージの内容からそれをやめさせる権利、乗車を拒否する権利はない。公務員や公共交通機関の職員が業務中に政治的な表現をしてはならないルールがあるとしても、一般の乗客に守らせる必要はないし、混同してはいけない。東京都の人権プラザでの美術作家企画展で、都人権部が関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れた映像作品の上映を禁じたが、現場が責任を問われることを恐れたと思われ、表現の自由に対する「萎縮の先回り」「権力者への忖度そんたく」をしない社会にしていかなければならない。

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Review: St. Louis paid a heavy price to help buid an atomic bomb via St. Louis Post-Dispatch

by Roland Klose, January 18, 2023

[…]

As Morice writes in “Nuked: Echoes of the Hiroshima Bomb in St. Louis,” the common thread that appeared to link these illnesses and deaths was Coldwater Creek, the 19-mile Missouri River tributary that starts at a spring-fed lake in Overland and winds through North County, including near her family’s former Florissant home.

The creek, as readers of the Post-Dispatch know, was contaminated by radioactive waste produced by Mallinckrodt Chemical Works. The St. Louis company was tasked with refining uranium ore for the wartime Manhattan Project, which developed the atomic bombs that destroyed Hiroshima and Nagasaki. 

Mallinckrodt initially did the top-secret work at its Destrehan Street plant north of downtown St. Louis, storing the waste on-site. But beginning in 1946, the waste was trucked to a 21.74-acre property north of the city-owned airport in north St. Louis County, where it was piled next to Wabash Railroad tracks. In 1966, some of it was moved a half-mile away to a Latty Avenue site in Hazelwood. (In 1973, about 8,700 tons of barium sulfate waste at the Latty site — containing a low concentration of uranium — was mixed with about 39,000 tons of topsoil and dumped at West Lake Landfill, something the Post-Dispatch first reported in 1976.) 

[…]

Morice pushes the story further, looking at how local government fragmentation played a role in limiting the response, how building and environmental practices at the time contributed, and how government and corporate secrecy and lies kept the public in the dark. She also takes note of the demographic changes in North County that have seen new residents moving into areas with old problems — and not being told of the potential risks.  

[…]

History of radioactive waste at airport, related sites

In 2000, Post-Dispatch reporter Virginia Gilbert reported on the removal of radioactive waste at the airport. This timeline accompanied the story.

1942 • Mallinckrodt begins processing uranium to make the first atomic bomb.

1946 • U.S. government acquires a corner of airport property and begins dumping radioactive wastes there.

1948-1952 • Mallinckrodt decontaminates two plants in its north downtown facility, trucking much of the waste and debris to the airport site.

1957 • Mallinckrodt moves uranium processing from north downtown site to Weldon Spring. The company continues to take waste to the airport site.

1958-1962 • Mallinckrodt contracts with Dow Metal Products, a division of Dow Chemical Co., to straighten some uranium rods at Dow’s plant in Madison, Illinois.

1966 • Mallinckrodt stops uranium processing in the St. Louis area. The Atomic Energy Commission demolishes the buildings on the airport site and buries them, along with at least one contaminated vehicle. Continental Mining and Milling Co. buys some residues to try to recover more uranium. The company moves the waste to 9200 Latty Avenue for storage and shipment to the Cotter Corp. in Cañon City, Colorado.

1966-1969 • After foreclosure, Cotter ends up owning property and buys the rest of the residues. It dries and ships some tailings to Cañon City. Federal authorities say improper handling by Cotter pollutes north St. Louis County roads.

1973 • Cotter mixes leached barium sulfate with dirt at the Latty Avenue site and takes it to West Lake Landfill in Bridgeton. The barium sulfate had been used to recover uranium and contained uranium residue.

1974-1977 • The federal government promises to clean up nuclear pollution around the nation. Congress sets up various agencies to do the job, with the cleanup assignment eventually going to the newly created Department of Energy.

1979 • Jarboe Realty, owner of the Latty Avenue site, moves 13,000 cubic yards from the western half of the site into storage on the eastern half — now known as the Hazelwood Interim Storage Site. Jarboe builds a manufacturing facility for Futura Coatings Inc. on the western portion.

1984 • Department of Energy performs “remedial actions” at Latty Avenue, creating 14,000 cubic yards of additional waste to be stored onsite.

1986 • Department of Energy works with municipal governments of Berkeley and Hazelwood to remove 4,600 cubic yards of contaminated waste during road and drainage improvement projects and takes it to Latty Avenue.

1989 • Congress places the airport site and the Latty Avenue sites on a priority list for environmental cleanup.

1990 • The Energy Department and Environmental Protection Agency reach an agreement on assigning responsibilities for cleanup of St. Louis sites.

1995 • Energy Department begins shipping radioactive wastes to a disposal facility in Utah that is run by Envirocare. First to go is 9,500 cubic yards of waste removed from the Mallinckrodt site north of downtown.

1996 • Energy Department agrees to remove wastes from the airport and related sites instead of building a storage bunker onsite.

1997 • Energy Department digs up 7,000 cubic yards of wastes on the west end of the airport site and ships it to Utah. Congress transfers cleanup duties to the Army Corps of Engineers.

1998 • The corps moves 24,000 cubic yards of waste from airport, downtown and Latty Avenue sites to Utah.

1999 • The corps moves 50,000 cubic yards of waste from the sites to Utah.

2000 • The corps continues cleanup work. Workers begin to scrape dirt from the radium pits at the airport site to ship to Utah.

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東電旧経営陣再び無罪 リスク軽視認めるのか via 中日新聞

 原発事故ゼロを願い100%の安全を求める市民感覚と、司法判断との深い溝が改めて突き付けられたと言えよう。

[…]

刑事責任を問うのは、民事訴訟に比べ、ハードルが高い。緻密な立証が求められるからだ。その点を考えても妥当な判断なのか、疑問が残る。

 例えば、政府による地震予測「長期評価」の信頼性。専門家の英知を集めて2002年に公表された。東電社内では、それを受けて15・7メートルの津波が来る可能性があるとの試算まで出していた。にもかかわらず、対策を講じていなかった。

 高裁は、長期評価には見過ごすことのできない重みがあったとしつつ、巨大津波の可能性を認識させるような性質を備えた情報ではなかったと判断した。理解に苦しむ。

 人にも環境にも深刻な影響を及ぼす放射性物質を扱うのに、旧経営陣は原発のリスクを軽んじていた。自覚や責任感を欠くそんな振る舞いに、司法が再び「お墨付き」を与えてしまうのではないか。

 事故が回避できたかどうかについて、高裁は「運転停止措置を講じるべき業務上の注意義務があったと認められない」とした。事故防止には運転を止めるしかないとの地裁の判断を踏襲したようだ。

 しかし、運転を止めなくても事故は防げた。近隣にある東北電力女川原発は建設時、過去の大津波を教訓に敷地をかさ上げしており、津波被害は避けられた。日本原子力発電東海第2原発は長期評価を受けて津波対策を講じていたため、過酷事故を辛うじて免れたという。こうした事実を踏まえると、地裁も高裁も論理展開が強引過ぎる。

 事故から11年以上たっても古里に戻れない人は多い。発生直後に出た原子力緊急事態宣言は今も解除されていない。深刻な影響を人々や環境に与えた責任を誰も問われなくていいのか。疑問は拭えない。理不尽さを感じる人は被災者に限るまい。

 今回の3人は当初、不起訴処分だった。検察審査会が「起訴相当」と2度議決して強制起訴された。法律の専門家から見れば、個人の刑事責任を問うのは非常に困難なのだろう。公判で明らかになった事実もあり、強制起訴には意味があった。

 問題は、個人しか刑事訴追できない現在の制度だろう。尼崎JR脱線事故でも、歴代3社長は無罪となり、確定した。

 原発をはじめ、甚大な被害をもたらしかねない事業については、組織の責任を問える制度が必要ではないか。政府は、導入を真剣に考えるべきだ。

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「恥を知れ」と怒声が飛んだ…高裁が出した無罪判決に被災者から怒りの声 東電旧経営陣の刑事裁判 via 東京新聞

市民の判断で強制起訴された東京電力旧経営陣3人の公判は、無罪判決が維持された。検察官役となった弁護士らは、福島第一原発事故後の原発政策を転換した政府への「忖度そんたく」を指摘。事故から12年がたとうとする中、今も避難生活を続ける被災者からは怒りの声が上がった。(小野沢健太、山下葉月)

【関連記事】福島第一原発事故の刑事裁判 東電元会長ら旧経営陣3人、二審も無罪 「津波の可能性は予測できない」

◆勝俣恒久元会長は体調不良で出廷せず

 「控訴を棄却する」

 18日午後2時すぎ、細田啓介裁判長が判決主文を言い渡すと、傍聴人で満席の東京高裁の法廷は静まり返った。証言台の前に立った武藤栄元副社長(72)と、武黒一郎元副社長(76)は身動きせずに主文を聞いた後、武藤元副社長だけが裁判長に一礼をして席に戻った。勝俣恒久元会長(82)は体調不良のため出廷しなかった。

 主要な争点となった国の地震予測「長期評価」について、細田裁判長が「当時は、信頼度がかなり低いとする評価だった」と述べると、武藤元副社長は満足そうに軽く2、3度うなずいた。武黒元副社長は、細田裁判長をじっと見つめたままだった。

 判決の読み上げは約1時間40分に及んだ。閉廷後、2人は被災者らも座る傍聴席には目を向けずに退出。静かだった傍聴席からは「恥知らず」と怒声が飛んだ。

◆思わず書き込んだ「裁判所はこれでいいのか」

旧経営陣を告訴・告発した「福島原発告訴団」の武藤類子団長(69)=福島県三春町=は、判決後に東京都内で開いた集会で「はらわたが煮えくり返る思い。最高裁に上告してほしい」と憤り、「悔しい」と何度も繰り返して声を震わせた。

 傍聴席で判決の読み上げを聞いた。「一審判決を再現しているような早口で、東電側の主張を全部うのみにして言っているようだった」。聞いているうちに絶望感が高まり、メモを取っていたノートに思わず書き込んだ。「裁判所はこれでいいのか」

 事故で多数の命が奪われたのに、東電の誰も刑事責任を負わないことに納得がいかない。「原発事故はまだ終わっていない。裁判を続けたい」と話した。

 集会には全国から避難者が集まった。新潟県から来た女性は「無罪判決が出るなんて」とぼうぜんとした様子。県内には、再稼働の準備を進める東電の柏崎刈羽原発がある。大雪になるだけで立ち往生するため、「原発事故が起きれば、避難どころではないはずだ」と訴えた。

 北海道千歳市の地脇聖孝さん(51)は事故時、福島県西郷村で被災した。「事実を見ない不当判決。最高裁での逆転有罪を目指したい」と前を向いた。

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柏崎刈羽原発 東電会長“再稼働の時期 明確に示すべきでない” via NHK News Web

政府がことし夏以降の再稼働を目指すとしている柏崎刈羽原子力発電所について、東京電力の小林喜光会長は、事実上運転を禁止する行政処分が続く中、事業者として再稼働の時期を明確に示すべきではないという姿勢を示しました。

東京電力の小林会長は17日、柏崎刈羽原発がある新潟県を訪れ、花角知事と会談しました。

この中で小林会長は「エネルギー情勢に変化があり、原発の役割にも関心が集まる中、安全を最優先に地元や社会から信頼していただける発電所にしていくことを目指す」と述べました。

これに対し花角知事は「残念ながら信頼を無くす事案が続いてきたのが事実だ。行動と実績で県民の信頼を得られる努力をしてほしい」と述べ、信頼回復に向けた具体的な取り組みを求めました。

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自民・麻生氏「原発で死亡事故ゼロ」発言、官房長官は「起きている」 via 朝日新聞


講演する自民党の麻生太郎副総裁=2023年1月15日、福岡県飯塚市

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 自民党麻生太郎副総裁は15日、福岡県飯塚市であった自身の後援会の会合で、エネルギー問題をめぐり原発のメリットに触れるなかで、「原発は危ないと言うけれど、原子力発電所で死亡事故が起きた例がどれくらいあるのか調べてみたが、ゼロだ」と述べた。一方、松野博一官房長官は17日の記者会見で、原発で死亡事故が起きていると説明し、「痛ましい事故が発生しないよう事業者を指導していきたい」とした。

 原発では2004年に関西電力美浜原発福井県)3号機で配管が破損して作業員5人が死亡する蒸気噴出事故が発生。原子力関連施設では1999年、茨城県東海村核燃料加工会社「JCO」東海事業所の臨界事故で、作業中の2人が死亡している。

 麻生氏は講演で「今最も安く、安全な供給源としては原子力」「原子力と原子爆弾の区別がついていない人もいる」などと主張。将来的に電気自動車(EV)が広く普及した場合などは「電気料金は、原発が使えないなら決定的に上がる」と強調した。

[…]

原発事故による死者をめぐっては、高市早苗政調会長(現・経済安保相)が2013年に神戸市内であった党の会合で「事故を起こした東京電力福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない」と述べ、原発再稼働をめざす考えを示した。ただ、福島第一原発事故では多くの避難者や避難に伴う関連死が出た。地元から批判が噴出し、高市氏は後に発言を撤回し謝罪した。

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東電強制起訴、2審も無罪 被災者ら怒り「誰が責任取るのか」 via 毎日新聞 (YAHOO?ニュースJAPAN)

 東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された勝俣恒久元会長(82)ら東電旧経営陣3人を無罪とした18日の東京高裁判決に、東京・霞が関の高裁前に集まった被災者らからは「誰が責任を取るのか」などと怒りの声が上がった。

[…]

判決主文が言い渡された午後2時過ぎ、福島原発刑事訴訟支援団のメンバーは「全員無罪 不当判決」と書かれた紙を高裁前で掲げた。1審に続く無罪判決に、支援団の七戸和子さん(70)がマイクを握り「とても憤りを感じた。私たちはこれで退くことなく、きちんと責任を追及していきたい」と訴えると、集まった約100人の支援者らは「福島を返して」などと声を上げた。  事故当時、原発から20キロ圏内にある福島県富岡町に住み、現在は横浜市の長女の家で暮らす古川好子さん(59)は「こんなに多くの人が苦しんでいるのにどうして無罪なのか。本当に悔しい」と憤った。【遠藤浩二】

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福島第一原発事故の刑事裁判 東電元会長ら旧経営陣3人、二審も無罪 「津波の可能性は予測できない」via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久元会長(82)ら旧経営陣の被告3人の控訴審で、東京高裁は18日、一審東京地裁に続き、いずれも無罪の判決を言い渡した。細田啓介裁判長は「10メートルを超える津波が襲来する可能性は予測できず、原発の運転停止を講じるべき業務上の注意義務があったとは認められない」とした。(太田理英子)

 東電株主が旧経営陣に損害賠償を求めた訴訟で昨年7月の東京地裁判決は、甚大な事故を招く規模の津波は予測できたとして3人を含む4人に約13兆円の賠償を命じ、双方が控訴した。旧経営陣個人の責任が争われた裁判は刑事と民事で判断が分かれた。

 他の被告は、原発の安全対策の実質的責任者だった武藤栄元副社長(72)と、その直属の上司だった武黒一郎元副社長(76)。

 争点は、3人が巨大津波を予測し、事故を回避できたかどうか。東電内部では08年、最大15.7メートルの津波の到達を予測した試算を得ており、その根拠となった国の地震予測「長期評価」(02年公表)の科学的な信頼性が問われた。

 高裁判決は長期評価について、信頼性に異論を唱える専門家もおり「津波襲来の現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったとは認められない」として、一審と同様に信頼性を否定した。

 3人は東電内部の試算結果の報告を受けた際に長期評価の疑問点も説明されていたなどとし、「地震前に、10メートルを超える津波の可能性を認識できる状況ではなかった」とした。

 津波による事故を確実に回避するには「原発の運転停止しかなかった」とした一審判決を踏襲。電力は市民のインフラで「漠然とした理由で運転停止はできない」ことなども踏まえ、3人に運転停止を義務付けるほどの予見可能性はなかったと結論づけた。

 検察官役の指定弁護士側は、防潮堤の設置など他の対策でも事故は防げたと主張したが、高裁は「事後的に得られた情報や知見を前提にしており、回避できたという証明は不十分だ」と退けた。

 3人は原発の敷地の高さ(海抜10メートル)を上回る津波を予測できたのに対策を怠り、避難を余儀なくされた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させたなどとして同罪に問われた。東京地検は3人を不起訴としたが、市民で構成する検察審査会が2度にわたり起訴すべきだと議決し、16年に強制起訴された。

◆無罪でも東電の責任と義務は変わらない

 <解説> 2011年3月、世界最悪レベルの原発事故を起こした東電の旧経営陣3人について、東京高裁は再び「過失なし」と判断した。刑事責任は認められなかったが、東電が負った責任の重さは軽減されるものではない。

 東京地検による不起訴はおかしいとして、市民が参加する検察審査会が起訴すべきだと判断したことで、3人は強制起訴された。一審公判では社員の証言などから、津波対策の必要性を認識する現場と、判断を先送りする経営陣との温度差が浮き彫りになった。法廷に新たな証拠が出され審理されたことは、今後の対策に向けては意義がある。

 政府は昨年末に原発の建て替えや60年超の運転を柱とする政策方針を決め、「原発回帰」に大きくかじを切った。だが現在も事故の収束作業の終わりは見えず、多くの住民らは各地で避難生活を余儀なくされている。

 原発事故はひとたび起これば重大な被害をもたらすことはあきらかだ。刑事の過失認定は難しく、今回の判決は無罪推定の原則に沿ったと言えるが、自然災害は予測困難だからこそ、原子力事業者のトップは最悪を想定し、先手を打ってできる限りの対策に力を尽くす責任がある。原発事業者や国はその重大な社会的義務を改めて自覚すべきだ。(太田理英子)

【関連記事】東京電力の旧経営陣4人に13兆円賠償命令 株主代表訴訟で東京地裁判決 津波対策を放置「著しく不合理」

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An unacceptable risk to children via Beyond Nuclear International

By Linda Pentz Gunter

In a peer reviewed article published in the British Medical Journal Pediatrics Open in October, my Beyond Nuclear colleague, Cindy Folkers and I, reviewed the studies currently available that look at the impact on children from radiation exposures caused by the nuclear power sector.

In particular, we looked at the disproportionately negative impact on children living in disadvantaged communities, primarily those of color. As we wrote in the article: 

“From uranium mining and milling, to fuel manufacture, electricity generation and radioactive waste management, children in frontline and Indigenous communities can be disproportionately harmed due to often increased sensitivity of developing systems to toxic exposures, the lack of resources and racial and class discrimination.”

At about the same time, and as if to confirm our hypothesis, the story of the Jana elementary school in Missouri began to break.

The school is in a predominantly Black community in northern St. Louis and the US army corps of engineers had been called in to assess radioactivity found in classrooms, playgrounds and on sports fields at the school after findings of unacceptable levels of radioactivity on the premises were revealed in an independent report conducted by Dr. Marco Kaltofen, President of Boston Chemical Data Corporation.

The radioactive contamination found at the school was, as the report described it, “consistent with the radioactive legacy uranium processing wastes notoriously found in the heavily contaminated Coldwater Creek in North St. Louis County, MO, and in low-lying areas subject to flooding from the creek.”

The report concluded that “radiological contamination exists at unacceptable levels (greater than 5.0 net pCi/g as alpha radiation) at the Jana School property.”

Why had it taken so long to discover this immense and unacceptable risk to children?

Jana’s PTA president, Ashley Bernaugh, believes she knows the answer. 

“Jana elementary’s radioactive past looks like a lot of other communities where hazardous waste has been allowed to exist in predominantly minority communities and in lower middle income communities, where it never would have been allowed in upper income level communities because of the public outrage,” she told The Guardian.

By November 9 the corps had declared that radiation levels at the school “showed no levels of radiation higher than ‘the level of radioactivity Mother Nature already provides.’”

“Mother Nature” is a euphemistic reference to “background radiation,” already problematic given the decades of atomic testing and major nuclear accidents that have added to what “background” radiation levels once were but are no longer. Of far greater concern is that these levels, while likely not even safe for adults, are certainly not safe for children.

This determination of what is “safe” is based on a standard that is not only outdated but was wrong from the start. Here is what we wrote about this in our BMJ article.

“Pregnancy, children and women are underprotected by current regulatory standards that are based on ‘allowable’ or ‘permissible’ doses for a ‘Reference Man’. Early in the nuclear weapons era, a ‘permissible dose’ was more aptly recognized as an ‘acceptable injury limit,’ but that language has since been sanitized.”

Reference Man is defined as a nuclear industry worker 20–30 years of age, who weighs around 154 pounds, is 67 inches tall and is a Caucasian Western European or North American in habitat and custom.

“Very early research conducted in the USA in 1945 and 1946 indicated higher susceptibility of pregnancy to radiation exposure. Pregnant dogs injected with radiostrontium had defects in their offspring and yet, complete results of these studies were not made public until 1969,” we wrote.

“By 1960 however, U.S. experts were clearly aware that research indicated higher susceptibility of children, when the Federal Radiation Council (established in 1959 by President Eisenhower) briefly considered a definition for ‘Standard Child’—which they subsequently abandoned in favor of maintaining a Standard Man definition, later renamed Reference Man.”

Reference Man still stands, although our organization, in partnership with the Gender + Radiation Impact Project, are working to get it changed to Reference Girl. (If you are interested in learning more about this, you can join our online classes.)

[…]

Even perhaps the most famous study, in Germany, of children living near nuclear plants showing elevated rates of leukemia directly correlated to the proximity of their homes to the nuclear sites, was dismissed with claims that the doses were simply too low to have such an impact.

As we concluded in our BMJ article, which is fully accessible and can be read in its entirety here, “more independent studies are needed focused on children, especially those in vulnerable frontline and Indigenous communities. In conducting such studies, greater consideration must be applied to culturally significant traditions and habits in these communities.”

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原発事故の除染土再利用は「人ごとじゃない」 東電と意外な縁のある新宿の住民らが立ち上がった via 東京新聞

 東京電力福島第一原発事故後の除染作業で集めた汚染土、いわゆる「除染土」を首都圏で再利用する実証事業が公表されてから1カ月。予定地の一つ、新宿御苑(東京都新宿区)近くで生活を営む人らが腰を上げ、再利用に異を唱える団体を設けた。東電と意外な縁がある新宿。地元の人びとは何を思うか。ほかの地域は人ごとで済ませていいのか。改めて探ってみた。(中山岳、中沢佳子)

◆区民の合意形成図っていない

[…]

21日には御苑に面した新宿1、2丁目の住民を対象に説明会を実施。だが参加者はわずか28人。1丁目に住む平井さんも開催に気づかず、報道で知った。

 「区民の合意形成を図っているとはとても言えない」。平井さんは危機感を募らせ、28日に除染土問題を考える勉強会を開催。今月7日には区民有志らと反対する会を設立した。

◆歴代の東電幹部輩出した都立新宿高校

 東電と浅からぬ縁があるのも新宿の特徴だ。

 御苑そばの都立新宿高校の卒業生からは、歴代の東電幹部も輩出。卒業生でつくる「朝陽同窓会」によると、福島原発事故当時は会長だった勝俣恒久氏、事故後に社長を務めた広瀬直己氏らも名を連ねる。さらに御苑近くの信濃町には2014年2月まで東京電力病院もあった。「母校の近くに(除染土を)持ってこようとしていることについて勝俣氏らはどう思っているのか、問いたい」

 何より際立つのが、環境省の前のめりぶりだ。新宿の説明会で紹介された動画「福島、その先の環境へ。」からもうかがえる。

 除染土を「復興を続ける福島の地に、今も残された課題」と説明。除染土を詰めたフレコンバックが並ぶ福島県内の仮置き場の映像を流しつつ、「果たしてこれは、福島だけの問題でしょうか?」と問いかける。

 除染土を福島県外で受け入れるため実証事業が必要と言いたいようだが、住民の疑問に真剣に応えようとしているかは心もとない。説明会の資料に記されたコールセンターの受け付けは平日のみで「いただいた『ご意見』については、今後の検討の参考とさせていただきます」と素っ気ない。

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