Category Archives: *日本語

帰還かなわぬ現状、忘れ去られぬよう 原発事故後の福島を撮り続ける飛田晋秀さん via 東京新聞

[…] 「全国で写真を見せながら講演をやって、終了後に会場にいた人たちから『福島の原発事故はもう終わったことだと思っていたが、違うんですね』と言われる。事故から十一年半が経過し、自宅への帰還をあきらめ県外に住む県民が多くいることも忘れ去られている気がします。だから、記録するのです」  「ずいぶんすっきりしましたね」と記者が言うと、「駅近くは線量が下がったけど、局所的に現在でも高い場所があります」と飛田さん。ところで、飛田さんのこうした活動を快く思わない県民もいるという。  「復興イメージを損なう。風評被害のもと、とか言う人もいます。現実は、今日一緒に見た通りです。JR双葉駅前にピカピカの役場庁舎ができ、駅西口で住民の居住も始まりました。しかし、駅前の商店街は屋根が倒壊しそうな家と更地が目につき、歩いているのは作業員と警察官。これが現状なんです」  地元の人はどう思っているのだろう。駅近くに元の自宅があり、現在、茨城県の家から時々様子を見に戻ってくる自営業の男性(46)は「住民が死亡したり、家主が解体の判断をしなかったりして、この状況なんです。夜は真っ暗でキツネがでます。普通に生活するには、まだ時間がかかりますね」と話す。 […]  一方、双葉町東部の沿岸部は、津波被害に遭ったとは思えないほどきれいに整備されていた。近代的な工場やおしゃれなビジネスホテルまで建っている。かさ上げされた堤防を遠くに見ながら飛田さんに尋ねた。 […] <ひだ・しんしゅう> 1947年福島県三春町生まれのプロの写真家。日本の職人を主な被写体とし、96年ごろから三春町をテーマに個展を開催。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故後は、福島県内の被災地の撮影を続け、これまでに国内外で開催した写真展・講演会は360回にのぼる。 <福島県双葉町の居住再開> 福島第一原発5、6号機が立地し、原発事故による放射能汚染で、全町民の避難が唯一続いていた双葉町は今年8月30日、帰還困難区域の一部で避難指示が解除された。事故から11年5カ月ぶりに町内に住むことが可能となった。しかし、昨年度の住民への意向調査では「戻らないと決めている」と回答したのは60.5%にのぼった。理由は、「避難先で自宅を購入または建築した」などを挙げている。 全文

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

規制庁と経産省が「事前調整」 原発運転延長で、市民団体が批判 via 河北新報

 NPO法人・原子力資料情報室は21日、原発の運転期間を延長する制度改正を巡り、原子力規制委員会が正式な検討を開始する前に、事務局の原子力規制庁と経済産業省が事前調整していたことを示す内部文書を入手したと発表した。松久保肇事務局長は「規制と推進を分離するという福島第1原発事故後の原則に反し、非常に由々しき事態だ」と批判している。  情報室によると、内部通報者から資料を入手。8月時点で作成されたとされる文書に、経産省が検討を進めていた最長60年の運転期間の上限廃止など制度見直しの内容や、改正法案の国会への提出方法が具体的に記されていた。 原文 ◆2022年12月21日 緊急記者会見  原子力規制庁の運転期間延長事前検討問題と関連情報

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

原発事故後の政策を大転換 運転期間延長・新増設など政府決定 総理指示からわずか4か月で【news23】 via TBS News Dig

東京電力福島第一原発事故から12年を前に、原子力政策が大きな転換点を迎えました。政府は原発の運転期間の延長などや次世代型原発への建て替えなどを柱とする新たな原発政策の方針を正式に決定しました。岸田総理の指示から、わずか4か月。十分な議論は尽くされたのでしょうか。 ■「勝手に決めるのは…」原発運転期間延長・新増設へ […] 岸田文雄総理「現在直面するエネルギー危機に対応した政策を加速していくためには、国民や地域の信頼を積み上げていく地道な取り組みも不可欠」 政府は最長60年としてきた原発の運転期間について、運転を停止してきた期間はカウントせず、実質的な延長を認める。 さらに、廃炉が決まった原発を次世代型へ建て替えることなどを決定しました。 ■原発新政策 議論は尽くされた?総理指示から4か月で 安倍晋三元総理(2018年)「原発の新増設については、現時点では想定しておりません」 2011年の東京電力・福島第一原発事故を受け、「新増設や建て替えは想定しない」としてきた政府。 一方で、菅前総理が「2050年までに温室効果ガス排出の実質ゼロ」という目標を掲げる中、2021年4月には、原発新増設を目指す議員連盟が発足。 当時、顧問として、安倍元総理も名を連ねていました。 岸田総理は2022年8月、経済産業省に対し新たな原発政策の検討を指示しましたが、2022年7月時点の資料には「2030年代半ばには運転開始」という想定とはいえ、かなり具体的なロードマップが示されています。 岸田総理の指示からわずか4か月での決定に西村大臣は・・・ 西村康稔経済産業大臣「ロシアのウクライナ侵略以降、エネルギー情勢は一変した。原子力を含めてあらゆる選択肢を追求していく」 政策の見直しを議論してきた委員の一人は、議論の進め方に苦言を呈しています。 経産省原子力小委員会 松久保肇 委員 「推進派が9割を占める委員会で議論の多様性はない。福島第一原発事故から11年の積み重ねを、一挙に4か月で覆したわけだから、少なくてももうちょっと丁寧な議論が必要だったと思う」 原発事故後、避難指示解除に合わせて、福島県大熊町に戻ってきた夫婦は・・・ 避難指示解除後に大熊町に期間 伏見明義さん「安心安全と言ってもやっぱりわからない。口ではなんとも言えるけど、いざ大きな地震なんかきたりすると、どうなるかわからないから」 避難指示解除後に大熊町に期間 伏見照さん「やっぱり孫たちの時代が果たして、安全にいくかどうかは一番心配するところ」 […] ■4か月でスピード決定の理由は? 国山ハセンキャスター: 日本の原発政策が22日、大きな転換点を迎えたわけですが、まずは今ある原発について見ていきます。 未稼働・運転停止中のものを含めると、原発は全部で33基あります。そのうち4機が運転開始から40年以上、13機が30年から39年経過しているということです。 小川彩佳キャスター:原発事故を受けて、この40年というのが運転期間の一つの区切りになっていますよね。 国山キャスター:そんな中12月22日、政府の会議で決まったのが原発の運転期間延長です。今までは運転期間は40年、そして延長を認める期間20年、最大60年とされてきました。それが今回、既存の原発を可能な限り活用するため、福島第1原発事故後の長期停止期間を除外する方針となり、60年を超える運転というのが可能になりました。 また安全性の確保や地域住民の理解を前提に、次世代型の原子炉の開発建設に取り組む方針も決まったということです。 TBSスペシャルコメンテーター 星浩氏: 停止分を延長するということなんですけど、これ10年に限らないで15年とか20年ぐらいになっても、場合によっては70年ぐらい使う、70年80年使う、というようなことにもなりかねないわけです。 […] それから何よりも、その使用済み核燃料をどうするかっていう問題、今回一切触れてないんですよね。ウクライナ戦争で使用済み核燃料が攻撃されたらもう大変なことになるっていうのは、我々も目の当たりにしてるわけです。 そこがスルーされてるというのは、非常に問題が大きいと思います。 小川キャスター:もう一つの防衛費を巡る問題と同じくプロセスの問題ですけれども、総理が検討を指示してからわずか4か月のスピード決定ということになりました。なぜ政府はこんなに決断を急いだのでしょうか? 星氏:一つは、柏崎刈羽の再稼働を進めて東京電力の経営を安定させたいというのが本音だと私は見ています。一方で防衛費と同じように、これだけ政策の大転換をするわけですから、決定プロセスも転換すべきだと思います。 … Continue reading

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

「被爆2世」の援護策、国の責任認めず 長崎地裁が原告の請求を棄却 via 朝日新聞

 原爆被爆者の子である「被爆2世」らが、援護策を講じない国の責任を問い、1人あたり10万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が12日、長崎地裁(天川博義裁判長)であった。天川裁判長は原告の請求を棄却した。  原告は長崎で被爆した親を持つ、長崎、福岡、大阪、広島の4府県に住む55~75歳の2世25人と、亡くなった1人の承継人3人の計28人。 (略) 原告側はこれを、不平等で憲法違反だと主張。対策を怠ってきた国に「立法の不作為がある」と訴え、1人あたり10万円の慰謝料を求めた。  原告側は、放射線の遺伝的影響について、動物実験などから発がんリスクの増加を含む影響が証明されていると指摘。人類も例外であるとは考えられず、被爆2世が遺伝的影響を受けることは否定できないと主張。被爆2世も同法の適用対象と定めるよう求めていた。  国側は、動物実験で得られた結果を人に当てはめることはできないと反論。これまでの研究で原爆放射線が次世代の人に影響を与えたデータはなく、遺伝的影響を示す科学的根拠がないなどとして、国に立法義務はないと棄却を求めていた。  被爆2世による訴訟は広島地裁(原告計28人)でも争われており、今回が初の司法判断だった。(寺島笑花) 全文は「被爆2世」の救護作、国の責任認めず 長崎地裁が原告の請求を棄却

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

原告「被曝が原因」9割以上と主張〜甲状腺がん裁判  via OurPlanet-TV

東京電力福島原子力発電所事故以降、甲状腺がんと診断され、手術を受けた男女7人が東京電力を訴えている裁判で9日、がんの原因が放射線被曝による確率(原因確率)が、多くの公害事件などで因果関係が認められてきた水準に比べてはるかに高く、90%以上であるとする意見書を裁判所に提出した。 原告側が今回、裁判所に提出したのは、岡山大学の津田敏秀教授の意見書。津田教授は「福島県内で過酷事故に遭わなければ、甲状腺がんがなかったであろう」確率を「原因確率」と呼ぶとした上で、原告7人の原因確率は、最も低い人で約95%、最も高い人では99・5%に達するとしている。 原告側の西念京佑弁護士は法廷で、これら原因確率は、過去の裁判で因果関係を認められてきたヒ素中毒や環境アスベスト(50%)や大気汚染訴訟やじん肺(70〜80%)に比べても、はるかに高い水準にあると主張。過去の判例では、原因確率が7〜8割を超えると、その事実だけで因果関係があると認めてきたとして、裁判所に対し、原告のがんは放射線被曝に起因するものだと考えるべきだと強調した。 […] 意見書を書いた津田教授は、これまでに水俣病、じん肺、淀川大気汚染などの裁判に関与してきた環境疫学の専門家で、福島原発事故については、福島で多数、見つかっている小児甲状腺がんは、放射線影響以外には考えにくいとする論文を2015年に、国際的な科学雑誌「エピデミオロジー」で公表している。 口頭弁論で、当時中学1年生だった原告は、「病気になったのが身内や友達じゃなく自分でよかった」「母に申し訳ない」「友達のことが心配」「看護師さんに申し訳ない」など複雑な胸中を語った。これに対し、期日後の会見で、北村賢二郎弁護士は「10代20代でがんになった若者がそんなことを言うということがどういうことなのか、実状を捉えて、この問題について取り扱ってほしい」と強く訴えた。 原文とビデオ ◆アーカイブ「311子ども甲状腺がん裁判」第3回口頭弁論期日集会

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

小児甲状腺がん328人に〜福島県民健康調査 via OurPlanet-TV

東京電力福島第一原発事故後に福島県で行われている「県民健康調査」の検討委員会が3日、福島市内で開かれ、新たに12人が甲状腺がんと診断された。これまでに、県の検査によってがんと診断された子どもは296人となり、がん登録で把握された集計外の患者43人をあわせると、事故当時、福島県内に居住していた18歳以下の子どもの甲状腺がんは338人となった。 […] アンケートをめぐり県外と県内の委員が対立 事故から11年が経過し、「甲状腺検査」以外の検査は事実上、終了した県民健康調査。検討委員会の議題も初めて、甲状腺検査のみとなった。この日は、検査対象者と保護者向けのアンケート調査の質問項目をめぐり、議論が白熱した。 口火をきったのは、環境省の神ノ田昌博環境保健部長。アンケート項目に、「放射線被曝による健康影響は将来的にも見られそうにない」としているUNSCEAR(国連科学委員会)2020報告書の結論について、理解しているかを追加すべきだと強く主張した。また、検査の見直しなどを主張してきた宮城県立こども病院の室月淳産科科長や国立がん研究センター社会と健康研究センター検診研究部の中山富雄部長も、神ノ田氏の意見に賛同した。 これに対し、双葉郡医師会の重富秀一会長や福島県病院協会の佐藤勝彦会長は、県民にはさまざまな意見があると反論。一方的な意見を押し付けかねないと反対した。また、福島大学の富田哲特任教授は、甲状腺がんとなった当事者がどうおもうのかと強く反発。さらに、甲状腺がんが被曝によるものではないという意見が、検討委員会の結論となっているが、2巡目解析の際には意見が対立したと指摘。両論併記を求めたにもかかわらず、自分の意見は報告書に盛り込まれなかったと怒りをあらわにした。 アンケート調査は、甲状腺評価部会から要望が出ていたもの。甲状腺がんが、通常よる数十倍の割合で見つかっていることについて、精密な検査の結果、治療の必要のないがんを見つけているとする「過剰診断」論を主張する委員らが、検査の「デメリット」が県民に伝わっていないなどとして、調査を求めていた。来年度以降、無作為抽出した6,000人に対して、アンケートの質問票を送付するとしている。 […] ビデオ

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

特定復興再生拠点区域外にある飯舘村の一部 避難指示解除へ via NHK News Web 福島News Web

飯舘村では、東京電力福島第一原子力発電所の事故のため帰還困難区域となり避難指示が続いている長泥地区のうち先行して除染などを進める「特定復興再生拠点区域」になっていない地域の一部について、いわゆる「除染なき避難指示解除」の枠組みを使って、来年春の大型連休ごろに避難指示を解除する方針を明らかにしました。「拠点区域外」の避難指示解除の具体的な時期が示されたのは、初めてです。 立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域となっている飯舘村の長泥地区は、全体の17%が先行して除染などを進める「特定復興再生拠点区域」として来年春の避難指示解除を目指していて、このほかの地域についても来年春以降段階的に解除したいとする案が示されていました。 国と飯舘村は、20日、福島市内で住民説明会を行ったうえで記者会見を開き、国による除染が行われていなくても自治体に土地活用の強い意向があれば放射線量が下がり住民が帰還しないことなどを条件に避難指示を解除できる「除染なき避難指示解除」の枠組みを使って、来年春の大型連休ごろに、「拠点区域外」の一部の避難指示を解除する方針を明らかにしました。 解除されるのは、地面にコンクリートを打つなどして放射線を遮る国の実証実験が行われていた6400平方メートルの土地で、村内の「拠点区域外」の0.07%にあたります。 放射線量が十分下がったことが確認されたことから、こうした実証事業の成果を広く見てもらうため自由に立ち入れるようにするということです。 「拠点区域外」の避難指示解除の具体的な時期が示されたのは、初めてです。 また、これにあわせて村内の拠点区域の避難指示をすべて解除する方針も示されました。 […] 全文

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

避難指示が解除された大熊、双葉町の放射線量 各所にあるホットスポット via 東京新聞

 東京電力福島第一原発が立地し、原発事故で高濃度に汚染された大熊町では6月30日、双葉町では8月30日、それぞれ主要地域の避難指示が解除された。故郷に帰る選択肢ができたことは喜ばしいが、どこまで放射線量は下がったのか。10月29、30の両日、首都圏のほか両町でも測定活動を続ける丹野心平さん(42)とともに調べた。(山川剛史) […]  双葉町は相対的に線量は低めで、特に敷地造成したJR常磐線双葉駅周辺は毎時0.1マイクロシーベルトを下回る地点も多かった。ただ、北側の高台にある住宅地は明らかに高く、周辺の森を調べると、どこも3マイクロシーベルトを優に超え、土も1キログラム当たり12万ベクレル超と、放射性廃棄物の基準(同8000ベクレル)の15倍超あった。事故以来、傾いたまま放置されている廃工場周辺にたまった土からは100万ベクレルを超える汚染が確認された。 大熊町の大野駅周辺は元の線量が非常に高く、商店街など大半の建物が解体されたのに、路上でも毎時0.6マイクロシーベルトあった。車を降り、歩いて調べると、各所で急に線量が上がるホットスポットに遭遇した。 大熊町の除染検証委員でもある東大の小豆川(しょうずがわ)勝見助教は「除染して終わりではなく、引き続き調査、対策、周知が必要だ。高線量の地点では、だれもが分かる表示が必要だ」と話している。 […] 全文

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

「MOX燃料」 フランスから高浜原発に到着 via NHK News Web 福井News Web

使用済み核燃料のプルトニウムを再利用した「MOX燃料」が専用の輸送船でフランスから高浜町の高浜原子力発電所に到着し、燃料の搬入作業が始まりました。 「MOX燃料」を積んだ船はテロ対策のため武装した専用の輸送船で、22日午前7時ごろ、海上保安庁や警察の警備のもと、高浜原発の岸壁に到着しました。そして、燃料を搬入する作業が始まりました。MOX燃料は、原子力発電所から出る使用済み核燃料に含まれるプルトニウムを再利用した燃料で、この燃料を使って原発で発電を行うことは「プルサーマル発電」と呼ばれ、国の核燃料サイクル政策の柱に位置付けられています。高浜原発では去年11月にもMOX燃料が運び込まれ、関西電力によりますと、現在、3号機で4体、4号機で16体の燃料が使用されているということです。高浜原発には使用済みも含めたMOX燃料があわせて64体あり、今回、運び込まれる燃料は3号機で使用される予定だということです。ただ、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを再利用する「核燃料サイクル」をめぐっては国内で計画されている再処理工場の完成がたびたび延期となるなど、海外の企業に再処理を委託しているのが現状で使用済み燃料の受け入れ先が課題となっています。高浜原発にMOX燃料が運び込まれる中、原発の対岸では輸送に反対する市民団体のメンバーが集まり、ただちに搬入を中止するよう訴えました。 […] この抗議活動で代表を務めた京都府の木原壯林さんは「使用済みのMOX燃料は長い時間をかけて冷却しなければならない危険なものだ。原発は危険なので、プルサーマル発電を中止し、全ての原発を廃炉にしてほしい」と話していました。 原文

Posted in *日本語 | Tagged , , , , , | Leave a comment

「原発新増設」に動く政府へ被災者が怒る当然の訳 福島原発事故から約12年、帰還困難区域のリアルvia 東洋経済ONLINE

青木美希 いまだに放射線量が高い帰還困難区域 福島県双葉町の鵜沼(うぬま)家に入る道路は、今も銀色のゲートで行く手を阻まれている。看板には「この先 帰還困難区域につき通行止め」という文字。住民の立ち入りは厳しく制限されている。 帰還困難区域は7市町村の計337平方キロメートルに及んでいる。住民登録している人は約2万人。国はその面積の8%を「特定復興再生拠点」とし、避難指示解除を始めているが、鵜沼さん宅の地域は対象外だ。 震災後に夫を亡くした鵜沼久江さん(69)はこの10月、20日ぶりにこの自宅に戻り、私も同行した。 ゲートの前で鵜沼さんが電話すると、3分後に青い作業服の男性がやってきた。男性は、鵜沼さんと私の運転免許証を確認。施錠された銀色のゲートを押し開けた。鵜沼さんが車を進ませると、セイタカアワダチソウやササなど高さ2メートルほどの草が道の両側を埋め尽くしていた。 「ここはみんな田んぼです」 どこが畔(あぜ)なのか。田んぼを思わせるものは何も見えない。 鵜沼さんは、ハンドルを握りながらフロントガラスに顔を近づけ、道路をじっと見つめる。道路には落ち葉が積もり、その下にどんなものが落ちているのか、注意しなければならないからだ。 2分ほど車を徐行させたところで、ピーピーという警告音が鳴りはじめた。私が持ってきたウクライナ製線量計のアラームだ。初期設定で0.3マイクロシーベルト毎時を超えると鳴るようになっている。事故前の双葉町は0.03マイクロシーベルト毎時程度だったので、10倍超ということだ。 数値はその後も上がっていく。 […] […] 「持ち出せるものなんて何もありません」 位牌もですかと問うと、鵜沼さんはうなずいた。 線量計の値が1マイクロを超える。 「(アラームが)鳴りっぱなしですものね。『あれを持っていこう』と思うときもあるんですけど、どうせ持っていったって、(汚染限度を)超えて没収となるでしょう? 持ち出す気にもなれません」 帰還困難区域で外に持ち出せるものは、対象物の汚染(1分間当たりの放射線の計数率)が1万3000cpmを下回るものに限られている。 牛舎に残る、逃げられなかった牛の骨 「牛舎を見せていただけますか」と頼むと、鵜沼さんが案内してくれた。来た道を戻っていく。右側に牛舎が見えた。事故前の鵜沼さんは放牧で約50頭の黒毛和牛を育てており、牛舎は餌場だった。今はがらんとしていて、コンクリートの床は乾いた牛糞で埋め尽くされている。その上に白いものが散らばっていた。 「骨です」 […] 一度は東電が骨を片付けたが、あのときに見た牛たちの骨は、どれがどこの部分かわからないほどの微細な欠片となってしまった。散り散りになって落ちていたり、埋まったりしている。「まだまだ出てくるんです」と言いながら、鵜沼さんは靴で骨を掘り返す。「何とかならないかと思うんだけど、一人で拾うのは勇気がなくて……」。 鵜沼さんの放牧場は広大で、福島第一原発の敷地と隣接していた。 「原発構内からうちの牛が見えるのよ。福島第一原発を視察に来た人たちには、『安全ですよ』というすごいいいPRだったと思います。のんびりエサ食べて寝っ転がって」 東電から原発は安全だと繰り返し聞かされてきたという。 線量計の値は1.7マイクロにまで上がった。事故前の56倍だ。被曝させるのは申し訳ないと思い、私は鵜沼さんに先に外に出てもらい、残された骨を撮影した。これは脚か、こっちは首か。考えながら、カメラとビデオを向ける。 福島第一原発から西北西2.5キロに住んでいた鵜沼さん夫妻は2011年3月11日、牛とともに被災した。 防災無線が聞こえず、地域の町民たちが避難していくのを見て避難を始めようとしたが、牛が気になって仕方ない。近所の一家を避難させたあと、いったん自宅に戻った。出産を控えていた牛がいたからだ。その日は近くで車中泊したが、牛は出産せず、結局、牛舎を離れた。 忘れることはできない震災の記憶 鵜沼さんは11年あまり前の、突然自分たちを襲った避難の日々を忘れたことがない。 同じ双葉町の町民たちは自家用車で北西の川俣町を目指した。鵜沼さんは疑問だった。年1度の訓練では近くの公民館に集まり、自衛隊のトラックで双葉町役場まで行っていた。事故が現実になってみると、避難先は計画と異なり、移動も自力を強いられた。 […] 「テレビも何もなく、情報がなかったんです。東電の制服を着た職員が『メルトダウンしてるんだからここにいてはだめだ』と叫んでまわってて。体育館の戸が閉められ、『出ないように』と言われ、閉じこもりました」 鵜沼さんは事故から3日後の3月14日、避難所の体育館を出て、車で牛舎に向かった。その時点で、避難指示は原発から20キロ圏内まで拡大されていた。鵜沼さんは制止をかいくぐって進んだ。牛舎に着くと、濡れた子牛がいた。出産は終わっている。しかし、母牛からは母乳が出ていない。置いていけば死んでしまうが、連れていくわけにはいかない。 翌15日午前、浪江町が全町民の町外避難を決めたため、鵜沼さんも内陸部の二本松市に向かった。 「牛たちが気がかりでしたが、『放射能で牛がみんな死んだ』という情報が流れ、あきらめました。それがうそ情報だとわかったのはあとのことです」 原発新増設の方針に対する疑問 … Continue reading

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment