東日本大震災発生の翌日、2011年3月12日。交通網が寸断される中、神田香織(66)は、東京・日比谷で開かれた一番弟子の織音(おりね)の真打ち披露パーティーに出席した。
香織の郷里、福島県いわき市に住む両親や弟一家の無事を確認できたが、全電源を喪失した東京電力福島第1原発の状況が心配で、着物の帯を締める手が震えた。
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香織は恐怖心とともに「悔しい」という感情を抑えられなかった。警鐘を鳴らすため、日本で深刻な原発事故が起きた、と想定した講談を繰り返し語ってきたからだ。
ライトが点滅し、ヘリコプターの音が舞台に流れる。香織はアナウンサーの口調で語り出す。「原子力発電所で配管が破断し、メルトダウンが起きました」「放射能は強風に乗り、関東方面に向かっています。非常事態宣言が発令されました」
02年に発表した講談「チェルノブイリの祈り」の最後に、日本でも旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に匹敵する原発事故が起きたという「仮想現実」を付け加え、語るようになっていた。
講談「チェルノブイリの祈り」は、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチの同名作品を基に創作した。チェルノブイリ原発事故で、消火活動に当たった消防士の夫が放射線障害で亡くなったことを看病した妻が回想。2カ月後に生まれた女児も先天性の内臓疾患があり死亡するというストーリーだ。
いわき市で口演したとき、来場した友人や親戚らは「原発事故の恐ろしさがよく分かった。でも、日本の原発は安全だから大丈夫だ」と言う。その後、日本各地で語ったが、観客の反応は同じ。原発事故は、遠い国の出来事だと思っていた。
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架空ではない現実の原発事故が、郷里の福島で起きた。香織は、出身高校の同級生や先輩、主宰する講談サロン「香織倶楽部」のメンバーらと一緒に、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を立ち上げた。
福島の子どもたちを保養に連れて行ったり、農家の援農ツアーを企画したりするなど、さまざまな活動を続けた。合間に避難所や仮設住宅で被災者と話し、捜索に当たった消防団員の体験談も聞いた。いつか講談にしたいと思っていたからだ。
「でも、日々状況が変わり、事故の収束も見えないので、なかなか講談にできなかった」
ためらう香織の心に火を付ける出来事が起きる。13年9月、ブエノスアイレスの国際オリンピック委員会の総会で、当時の首相、安倍晋三(66)は、福島第1原発の汚染水漏れについて「状況はコントロールされている」「現在も、将来も問題ない」と述べたのだ。
「汚染水は出ていないと、うそをついて東京に五輪を招致した。復興五輪というが、被災地復興のための人材も資材も全て五輪に持って行ったのだから、逆復興五輪だ」
香織は怒りをばねに、講談「福島の祈り ある母子避難の声」を完成させる。主人公の真弓は、いわき市生まれで東京に住む専業主婦。男女2人の子どもがいる設定だ。
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「チェルノブイリ」から「沖縄」へ
広島原爆で被爆した少年が主人公の漫画「はだしのゲン」を講談化した神田香織は、社会派の講談師として知られる。「チェルノブイリの祈り」のほか、横浜市に米軍のジェット機が墜落し、母子3人が亡くなった事故を題材にした「哀しみの母子像」や狭山事件を基にした「石川一雄、学問のすすめ」などの新作講談を発表している。今、取り組んでいるのは、沖縄をテーマにした講談の創作だ。名護市辺野古の米軍基地建設で、沖縄戦戦没者の遺骨が眠る土砂が埋め立てに使われる可能性があることに憤慨。「沖縄戦で多くの人を犠牲にし、いまだに沖縄いじめを続けているのは許せない」と話す。