◆避難してよかった。でも友達が心配
まもなく、あの東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から8年を迎える。福島での原発事故によって避難を余儀なくされた人はピーク時で16万人以上。その中には今も地元に帰れない人が数多くいる。当時、小学生だった子どもたちは、高校・大学進学、就職という人生の節目を迎え始めた。多感な年頃を地元ではなく、避難先で過ごさざるを得なかった女子高生の一人に話を聞いた。(鈴木祐太)
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――福島の友達とは今も繋がっていますか?
莉菜 「はい。携帯アプリのラインなどでたまに連絡をとっています。最近は、福島の友達が京都に修学旅行にくるので、どんなプランがいいか一緒に考えました。福島には震災以降、3回帰っていて友達とも会えています」
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◆京都での避難生活は…
――原発が爆発をしたのは覚えていますか?
莉菜 「祖父と一緒にテレビを見ていた時に爆発が起こりました。祖父は大変やなとか言っていたけれど、私には何が起こっているのかわかりませんでした。母にマスクをつけるように言われたけれど、暑くて嫌だったので母がいないときにはこっそり外していました。母には、うがい薬を飲むように言われましたが、それを飲むのがむっちゃ嫌でした」
彼女は関西弁を話す普通の明るい女子高生。福島から避難をしてきた子だと聞かなかったら分からないぐらいの関西になじんでいるようだった。
――京都に避難してきてどう思いましたか?
莉菜 「最初は、憧れの京都に来たので嬉しかったです。当時は福島に帰れないとは思っていなかったので旅行気分でした。例えば『ほかす』(関西弁で捨てる)って意味が分からず、投げたらいいのかなと思って困ったことがありました。言葉が通じなかったこともありましたが、そこまでの戸惑いはなかったです。この頃、福島の友達とは携帯電話で『また会おうね』と話していました」
――福島と京都の生活の違いはありましたか?
莉菜 「福島では、吹奏楽をやっていました。京都の小学校には吹奏楽部がなかったので、中学校に入ってから吹奏楽を再開しました。ずっと楽器を触りたかったのに触れなかったのは残念でした。特に年齢が上がるにつれて京都の学校の教育レベルが高いと感じました」
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――放射能の影響などは心配ないですか?
莉菜 「毎年、甲状腺検査に行くのは、正直、面倒くさい。毎回、同じ検査をして同じ話をされるし、私にも予定がある。ガンだったら進行状態とかわかるし知識もあるけど、嚢胞(のうほう)とか説明されても困る。検査結果を聞いても大丈夫だと思っているし、健康に関しては今のところ不安はないです」
◆防災ボランティアで頑張る
――今、頑張っていることは何ですか?
莉菜 「防災ボランティアをやっています。東日本大震災の経験者として何か伝えられることはないかと思って始めました。今年の夏は熊本県の益城町に行って話をしてきました。益城町の人を支援するとかではなくて、熊本の教訓を関西で生かせることはないかと考えています。南海トラフの地震がいつ起こるかわかりません。いつか起こる地震のために周りの人には防災意識をつけてもらいたいし、体験したことを伝えていきたいと思っています」
「私にとって、3.11というのは、原発の問題より地震という方が強いので地震に対する防災に重点をおいています。」
――将来の夢は何ですか?
莉菜 「将来は学校の先生になりたいです。大学は通いやすい関西を考えていて福島に帰ることは考えていません」
――福島の友達とは原発や放射能の話はしますか?
莉菜 「傷口をえぐるようなことになるので、福島の友達とは原発や放射能の話はしたことはないです。放射能の影響が出るかもしれないと思って心配になることもあるけれど、その子が自分でどうにかできるという問題ではないと思っています。もし、健康に関して話をして『私も危険だと思っている』と言われても、私がどうすることもできないので『ごめん」としか言えないと思っています」
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◆避難者が国と東電相手に各地で訴訟
莉菜さんの母親は、避難を余儀なくさせられた原因となった福島第一原発事故の責任を問うため、国と東京電力に対して原発賠償訴訟を起こしている。次回の京都原発賠償訴訟は、2月26日14時半から大阪高裁で開かれる。また、兵庫県に避難した人たちが起こした兵庫原発賠償訴訟は3月5日14時から神戸地裁で開かれる。全国で国と東京電力に対して裁判が起こされている。
2020年1月14日現在、約4万8000人が全国47都道府県980の自治体(復興庁発表)で避難生活を続けている。復興庁が把握できていない人を含めると避難者数はさらに多くなるだろう。
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