福島事故、問われた「15.7m津波」 裁判で科学者は via 朝日新聞

東京電力の旧経営陣に無罪判決が出た福島第一原発事故をめぐる強制起訴裁判では、地震や津波をめぐる科学の扱いも焦点になった。何人もの研究者が法廷で証言し、自然災害への対策のあり方が問われた。東電が、国の審査にかかわる専門家の発言を重視し、根回しに動いた状況も判明した。

最大の争点の一つは、東電が2008年に15・7メートルの津波を計算しながら対策をとらなかった点だった。

この計算は、国の地震調査研究推進本部(地震本部)が02年に公表した「長期評価」に基づき、東北のどこででも大きな津波に見舞われる可能性を示していた。原因となる地震が福島沖で発生した例は知られていないものの、過去400年に3回の津波があり、繰り返しているとみられた。

東電の担当者らは、長期評価は「権威ある機関」の見解で、無視できないと考えていた。裁判で検察役の弁護士は、多くの専門家が関わった唯一の公的な見解であることを重く見た。一方、被告側は評価に異論があったこと、地震の歴史記録にはあいまいさがあったなどと主張した。

長期評価のまとめ役だった東京大の島崎邦彦名誉教授は「理学では、ほかの人の言わないことを言うことに価値がある」と地震研究者の特徴を説明し、ざっくばらんに意見を出してもらって合意した最大公約数の結論だったと証言。近代観測が始まる前の古文書にしか残っていないような地震も知見として扱う重要性も強調した。

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 実際、東電以外の電力事業者には、長期評価を前提に対策に着手していた事業者があったことが公判で判明した。日本原子力発電東海第二原発茨城県)は、津波が敷地に入ってこないように盛り土をしたり、建物に水が入らないよう扉を水密化したりしたと当時の社員が証言した。

予見すべきだったのは実際に東日本大震災で起きた津波か、敷地の高さである10メートルを超える津波かも争われた。実際の津波は敷地の東側から来たが、15・7メートルの予測は主に南側からだった。被告側は、仮に対応する防潮堤を造っていたとしても、東側からの津波は防げなかったと主張した。

これに対して判決は、被告側の主張する津波の予見までは不要とした。津波が敷地の高さを超えれば、建物が浸水して原子炉が冷却機能を失うことは予見可能とし、10メートルを超える津波を予見できたかどうかで判断した。

審査委員、対策の保留に理解も

国は08年当時、原発の地震対策を最新の知見で見直して報告するよう事業者に求め、内容を原子力安全・保安院原子力安全委員会の専門家が公開で審査していた。

「審判がだめだと言っているのでやっかい」。東電の担当者は法廷でこう証言した。審判とは、保安院の審査の委員で津波工学が専門の今村文彦・東北大教授。08年2月に面談した際、長期評価の考慮を求められたことを気にしていた。7月、武藤栄・元副社長が15・7メートルに応じた対策を保留にすると、今村氏ら複数の専門家を回り感触を探った。

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社内の記録には、専門家4人の感触が「◎◎○△」の評価とともに残る。すぐに対策を取るよう求めた専門家はいなかった。今村氏は「◎=異論なし」。担当者は以前の反応との違いを意外に感じたというが、法廷で今村氏は「長期評価は検討はすべきだが、直ちに取り入れる知見ではなかった」と証言した。

「△=否定的」だった高橋智幸・関西大教授は「(長期評価を取り入れないなら)理由をきちんと示す必要がある。一般の人に説明しなければならない」と応対していた。担当者は「非常に緊迫したムード」と記していた。

担当者はさらに、保安院の主査だった地震学者の阿部勝征・東京大名誉教授(故人)も訪ねた。阿部氏は「地震本部がそのような見解を出している以上、事業者はどう対応するのか答えなければならない」と説明責任を求めた。その上で「対策を取るのも一つ。無視するのも一つ。ただし、無視するためには、積極的な証拠が必要」として、過去の津波堆積(たいせき)物がないことを調べる手段を例示した。

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 公判では、東電と東北電力日本原電などの担当者が、互いの原発への影響が小さくなるよう、長期評価や貞観地震の想定方法や文書表現を調整していたことも明らかになった。

実際に起きた津波は、長期評価の津波地震貞観地震の特徴を兼ね備えていた。判決は、専門家も国も、原発の運転停止を求めなかったことを無罪の理由に挙げた。ただ、津波をめぐる東電の報告書は国に提出されず、議論されないまま。広く社会に説明したわけでもなかった。

(編集委員・佐々木英輔

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