「避難という自分の判断に納得しているはずなのに、時々苦しくなる」。放射能への不安から震災5カ月後、1人娘(7)を連れて東京から宮崎県に自主避難した女性(45)が打ち明ける。会社員の夫も転勤を願い出たが決まらず、母子2人で木造平屋の住宅を借りた。夫からの仕送りと娘が学校にいる間のクリーニングのパート代で生計を立てるが、350万円あった貯金は底をついた。
「神経質すぎる」。インターネットで知り合った母子避難者を頼りに宮崎に落ち着くまで周囲からそう思われるのを恐れ、移住の理由を「田舎暮らしに憧れて」とうそをついた。今も理解のある人から尋ねられない限り、転居理由を自分から話すことはない。
時間の経過とともに避難者仲間に欠けていた家族がそろうようになると、避難者との間でさえ距離を感じるようになった。「今の場所でやりたいことを探したら?」「(放射能を)気にしすぎないことも大事」。気遣ってくれる周囲の言葉も苦痛だ。熟睡できない夜もある。一方で東京には怖くて戻れない。
宮崎県内に避難している避難者自助グループ「うみがめのたまご」が5月にまとめた県内避難者の生活実態調査によると、アンケートに協力した86人の約6割に当たる53人が避難先の住民との間で、震災や原発事故について意識のギャップを「大いに感じる」「やや感じる」と回答。放射能などに対する関心の度合いの違いを理由に挙げる人が多かった。
また周囲に自分を避難者と伝えているかとの質問に31人が「伝える」と答えたが、44人は「伝えない」「状況により伝える」を選び、避難者と名乗るのをためらうケースがあることをうかがわせた。
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