福島第一原発事故の衝撃の事実…大量の放射性物質はどのように放出されたのか via gendai

「2号機の危機」 第4回NHKスペシャル『メルトダウン』取材班

3つの原子炉が相次いでメルトダウンし、原子炉や格納容器を納める原子炉建屋が次々に爆発するという未曾有の原発事故を描いた『福島第一原発事故の「真実」』(小社刊)が大反響を呼んでいる。

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現代ビジネス、ブルーバックスWebでは、吉田所長が死を覚悟したとされる「2号機の危機」を描いた、同書の6章を全4回の連載で完全公開する。事故発生当時に考えられた事故像を覆す衝撃的な内容は、読むものを震撼せしめるはずだ。

連載第1回はこちら

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午前9時、原発の正門付近で、事故後最も高い1時間あたり11.93ミリシーベルトの放射線量を計測した。一般の人が1年間に浴びて差しつかえないとされる1ミリシーベルトにわずか6分ほどで達する高い値だった。午前9時20分には、2号機の原子炉建屋から白い煙がもくもくと上昇し、上空へと流れているのが確認された。放射線量がさらに上昇するのではないか。しかし、心配された正門付近の放射線量は、時間を追うごとに下降していった。ここに至って、吉田は、午前6時すぎの衝撃音は、4号機の爆発によるもので、2号機の格納容器圧力が、依然高いことから、2号機の格納容器が決定的に破壊されているわけではないと判断した。

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午前11時25分、2号機の格納容器の圧力を計測したところ、いつの間にか1.55気圧に下がっていた。午前7時20分の7.3気圧から6気圧近い大幅な下降だった。この間に、格納容器に何があったのか。2号機の格納容器は、決定的に壊れていないとは言え、何らかの原因で大量の放射性物質が外部に放出されたのは明らかだった。

2号機の格納容器に何が起きたのか。吉田にも本店の誰にもわからなかった。格納容器が決定的に壊れなかったのは、最終局面で何とか原子炉を減圧し、消防車による注水を夜を徹して続けたことが功を奏したのかもしれなかった。しかし、自分たちの操作が壊れ方を最小限に食い止めたとは、決して言えなかった。さらに、格納容器を減圧させるはずのベントが、2号機だけ、なぜできなかったのかも大きな謎だった。

吉田は、午後に入って、福島第二原発に退避した管理職クラスの社員を順次、免震棟に戻し、作業に復帰させた。免震棟の中は再び人が増え始め、以前のように先の見えない収束作業が再開された。

15日朝から午前中にかけて、2号機から放出された大量の放射性物質は、プルームと呼ばれる放射性物質を含む気体のかたまりとなって、15日正午すぎから夜にかけて風に乗って北西方向へと流れたとみられている。長時間、上空を浮遊していた放射性物質は夜に入って降り始めた雪や雨とともに地表に降り注ぎ、土壌に沈着し、原発から北西方向に広がる浪江町や飯舘村などの広い地域が放射能に汚染された。

全文は福島第一原発事故の衝撃の事実…大量の放射性物質はどのように放出されたのか

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