【子ども脱被ばく裁判】子どもたちを被曝から守らなかった国や福島県を福島地裁は断罪するか 3月1日に判決 6年余の闘いを井戸弁護士が解説 via 民の声新聞

「子ども脱被ばく裁判」の判決が3月1日、福島地方裁判所で言い渡される。「ふくしま集団疎開裁判」(2013年4月、仙台高裁が申し立てを棄却)を発展させる形で提訴してから6年余。福島県内の市町に「安全な環境での教育」を、国と福島県には「子どもたちに無用な被曝をさせて精神的苦痛を与えた事に対する損害賠償」を求めて来た。今月6日、都内で開かれた集会での井戸謙一弁護士(弁護団長)の説明を軸に、提訴に至った経緯や概要などをおさらいしておきたい。国や福島県は子どもたちを被曝リスクから守ったのか。間もなく司法の判断が示される。

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「『行政訴訟(子ども人権裁判)』は、福島県内の公立の小・中学生である子どもたち(原告)が、福島県内の市や町(被告)に対し、被曝という点において安全な環境の施設で教育を実施するように求めています」
 「『国家賠償請求訴訟(親子裁判)』の方は、3・11当時、福島県内に居住していた親子が原告です。被告は国と福島県です。彼らの『5つの不合理な施策』(①SPEEDIやモニタリング結果など必要な情報を隠蔽した②安定ヨウ素剤を子どもたちに服用させなかった③それまでの一般公衆の被曝限度の20倍である年20mSv基準で学校を再開した④事故当初は子どもたちを集団避難させるべきだったのに、させなかった⑤山下俊一氏などを使って嘘の安全宣伝をした)によって子どもたちに無用な被曝をさせ、精神的苦痛を与えた事に対する損害賠償(1人10万円)を求めています。被曝によって健康被害が生じたという事では無くて、いつ健康被害が生じるかもしれないという精神的な苦痛を理由として損害賠償を求めています」

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【「怖がっていい、怒っていい」】
 集会で「この訴訟によって、翻弄された人々の悔しさや怒りを見える化する。国や県の政策の問題点を白日にさらす。被曝問題に心を痛めている人の希望の灯台になる。被曝の問題は広島・長崎から始まった長い長い闘いですので、次の闘いの橋頭堡を作る。そういう意義があると考えています」と語った井戸弁護士。
 2015年2月に発行されたママレボブックレット「『子ども脱被ばく裁判』の弁護士が、ふくしまの親たちに送るメッセージ」の中で、「子どもを被ばくから守りたい、というあたり前の行動すら、認めてもらえない状況が福島にはある。それもこれも、被ばくのリスクを過小評価している政府や自治体、東電の責任ではないでしょうか」と原発事故以降の福島の親たちの苦悩を表現している。
 「原発事故前よりも、あきらかに汚染されてしまっているわけですから、『怖い』と思うのはあたり前。その思いを言葉にしていいのです。『放射能が怖い』『子どもを被ばくから守りたい』。こんなあたり前のことを、口に出して言えない状況こそがおかしい」
 そして、次のように呼びかけていた。
 「この閉塞状況を打ち破るには、もう司法に訴えるしかありません。司法が、いくら頼りないとはいえ、やはり裁判官の前で、きちんとわたしたちの主張を並べ、責任を問うことには大きな意味があります。たんなる行政交渉であれば適当にごまかされたり、はぐらかされたりすることも多いですが、司法の場合はさすがにそうはいきません。こちらの主張に対しては、行政は答えなければなりません。こちらが求めたデータは、裁判所が必要だと判断すれば、行政は出してこなければなりません。そういう意味では、非常に大きな意義があります」
 「むずかしい裁判ですから、わたしたちの訴えが認められるかどうかは、正直なところわかりません。非常に高いハードルですが、認められれば、今後のさまざまな施策を変えていくことにつながります。なにより『放射能を怖がっていいんだ』『被ばくを避ける権利があるんだ』ということが、社会的に認められるはずです。もし勝てなかったとしても、裁判を進めるなかで、多くの市民の共感を得られれば、『子どもを被ばくから守りたい』と願う親の気持ちが理解されるようになるのではないでしょうか」
 判決言い渡しは3月1日。井戸弁護士が「怖がっていい、泣いていい、怒っていい。いつか、最後に笑えるように…」と綴ったように、原告の笑顔とうれし涙があふれる判決が期待される。

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