2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく10年を迎える。立憲民主党の枝野幸男代表(56)は当時、菅直人政権の官房長官として危機対応に当たった。原発政策、行政のあり方…。未曽有の災害と政府の中枢で対峙(たいじ)した経験は現在、野党第1党の党首となった自身の考え方や政治姿勢にどう影響しているのか。枝野氏に単独インタビューした。(聞き手は川口安子)
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-小さな政府の問題は、10年後のコロナ禍でも医療人材の不足などの要因となっていると。
「そうです。だからこの10年間、残念ながら前に進んでいなかったということが今顕在化していると思います」
-政府の中枢で原発事故を経験したことで、ご自身の原発に対する考え方に変化はありましたか。
「あれがなければ、たぶん原子力政策に僕はコミット(関与)していなかったと思います。つまり、あの時点までは『原発は安全だ』と世の中全体で言われていたので、私も『まあ、安全なんだろう』と思っていた一人でした。でも全然違うじゃない、と」 「原子力は止まらない。ある段階を超えると人の手ではどうにもならない。あのとき感じたのは『恐怖』ですから。個人的な恐怖じゃなく『この国どうなるんだ』っていう恐怖です」
-それまでは安全だと思っていたのに?
「いや、安全だということ自体も主体的に判断していたわけではない。政治的イシュー(課題)ではなかったということですよ」
◆苦渋の大飯原発再稼働
《枝野氏は官房長官退任後、野田佳彦政権で経済産業相に就任。原子力政策の指揮を執る立場になった。在任中、12年7月に関西電力大飯原発(福井県)を再稼働させた》
-大飯原発の再稼働はどういう理由で判断されたのですか。
「あのときは本当に電力供給が不足するかもしれないという、これまた恐怖ですから。関西圏でブラックアウト(全域停電)が起きれば、医療現場では人命に関わる。原発を使えば少なくともそのリスクは大幅に下がることが分かっているわけです。再稼働すれば、発生確率は低いが万が一の事故が起こった時のリスクが大きい。二つのリスクを比較、考慮しなければならなかった」
-大飯再稼働は苦渋の決断だったと。
「もちろんです。政治の決断ってほとんど苦渋の決断ですから」
-今後、原子力政策をどう進めるべきだとお考えですか。
「原発の使用済み核燃料の行き先を決めないことには、少なくとも原子力発電をやめると宣言することはできません。使用済み核燃料は、ごみではない約束で預かってもらっているものです。再利用する資源として預かってもらっているから、やめたとなったらその瞬間にごみになってしまう。この約束を破ってしまったら、政府が信用されなくなります。ごみの行き先を決めないと、やめるとは言えない。でも、どこも引き受けてくれないからすぐには決められない。原発をやめるということは簡単なことじゃない」
-立憲民主党は綱領に一日も早い「原子力エネルギーに依存しない原発ゼロ社会」の実現を掲げています。
「使用済み核燃料の話は、政権を取ったとしてもたぶん5年、10年、水面下でいろんな努力をしない限り無理です。だから政権の座に就いたら急に(原発ゼロを実現)できるとか、そんなのはありえない」
-原発やエネルギーに関する現政権の方向性をどう評価しますか。
「(菅義偉首相が掲げる2050年までのカーボンニュートラル実現は)当たり前の話ですが、原発を活用して実現するのと原発に依存しないのとでは全然意味が違います。菅首相はそこをはっきりさせないので、原発を使いたい目的で言っていると受け取られても仕方がありません」 -立憲民主党としては、カーボンニュートラルを原発を使わずに実現すべきだと。政権を取った時の道筋をどう示しますか。 「皆さん道筋を示せと言うが、道筋を示すのは無責任だと思います。つまり使用済み核燃料の話もあるし、原油価格がどうなるかも分からない。カーボンニュートラルには技術革新も必要で、何年やったらできますなんて無責任なことは言えない」
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