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「知っていたら、外に出さなかった」原発事故から9年半も、残る後悔via 朝日新聞

Hideyuki Miura

東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

子育て後、児童クラブの指導員に

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福島市で避難生活を送る浪江町の元臨時職員佐々木加代子さん(58)は、野山で遊ぶ子どもたちの写真を見ながらつぶやいた。

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山間の集落は大自然に囲まれている。野原を散策したり、川で遊んだり、雪合戦をしたり。十数人の子どもたちも周囲の大人に見守られ、タケノコのようにすくすくと育った。

震災後やってきた防護服の人たち

震災時は老朽化した建物が危険だったので、児童クラブにいた子ども6人を車2台の中へと避難させた。激しい揺れで泣き叫ぶ子どもたちに「大丈夫よ」と声を掛け、午後6時にはなんとか家族に引き渡すことができた。

問題は次の日だった。原発が危機的な状況に陥り、沿岸部から多くの浪江町民が津島へ避難してきた。津島の子どもたちは大人に交じり、屋外で避難者の世話や炊き出しを手伝った。「お手伝い、頑張って」。そう声を掛けたことを思い出すと、今も胸が張り裂けそうになる。

「子どもたちを守れなかった。『放射能が危ないから、子どもたちは家から出てはダメよ』。そう声を掛けるべきだったのに……」

2日後の3月14日、外で炊き出しをしていると、全身を防護服で包み、厚いマスクを着けた男性たちがやってきて、「何をしているのですか、家の中に入りなさい!」と大声で怒鳴られた。周囲の大人たちはポカンとし、何が起きているのかわからなかった。

知っていたら、外には出さなかった

あの時、国や東京電力は津島が危険だと知っていたのではないか、と思う。

「なぜ教えてくれなかったのでしょう? もし知っていたら、私は子どもたちを絶対に外には出さなかった。彼らが将来病気にならないかどうか、事故から9年半が過ぎた今でも心配でならないのです」

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