戦後の映画を通して、広島・長崎の原爆のことを「ひどい」「破壊力がすごい」と思い知らされた。同時に、中学のころ、ビキニ環礁での水爆実験時の第五福竜丸事件で、放射線被害とはこれほど過酷なものなんだと知った。水爆の存在というものをリアルに認識している世代です。だから、ガンダム作品で水爆は宇宙空間で使っても地球上では使っていない。
核兵器禁止条約の理念は高潔だし素晴らしい。けれども、それは道徳論なんです。道徳論と政治論は分けて考えるべきです。現実にどう核を減らすのか。
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ただね、そうは言っても、日本政府が核兵器禁止条約にサインをしなかったというのは本当に残念。「我々は道徳論としては賛同を表す」ということでサインしてもよかったんじゃないのかな。道徳論と政治問題をぴしゃっと分けて。
ガンダムでは、初めから戦争ありきで物語を作ったから、戦争の本質を考えるようになった。政治があって、リアリズムがあって、好き勝手にはいかないと。ガンダム世代から、政治家や経済人になる人が出てくれれば良いなと期待していた。でも40年経つのに、新しい政治家は出てこなかった。僕は敗北感しかない。
近代、どうしようもない戦争が絶えず行われてしまった。その時の一番の不幸は科学技術の進歩であり、とどめが原爆です。戦争がなければおそらく原爆は開発されなかった。絶対に。戦争があったために、原子力発電よりも前に原爆ができてしまう不幸があった。それこそ、人類が戦後、背負わなければならなくなった一番の罪じゃないか。
ガンダム作品の「逆襲のシャア」のように、直径が5キロや10キロある隕石(いんせき)を粉々に破壊しようと思ったら核を使うしかない。だけど、核は破壊力が大きすぎて地球上の戦線で使えるような便利なものではない。だから、軍が保有する必要があると思っている政治家と軍人がいるのは、僕には絶対に理解できないな。
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もし自分が大統領で、組織のしがらみも考えないで済むなら、ミサイル基地は全廃しますね。だって維持する経済的な負担がとても大変です。ただ、解体には技術者が欠かせない。1発でも残っていたら誰かが何とかしなければ。なくせ、解体せよと言うのは簡単ですが、次に起こることをどう処理するのか、政治的に考えなくてはなりません。(聞き手 編集委員・副島英樹)