絵筆で戦争に抵抗した男が日本にいた 「四国五郎」英文サイトで世界へ via 毎日新聞

中島昭浩

戦後の広島でゲリラ的な反戦文化運動などに身を投じた画家・四国五郎(1924~2014年)。抑留されたシベリアから半死半生で帰国後、最愛の弟を原爆に奪われたと知り、「二度とこんな戦争が起こらないように」と絵筆を握り続けた。今、再評価が進むその生涯と作品を教材として紹介する特設の英文ウェブサイトが開設された(https://scalar.oberlincollegelibrary.org/shikoku/index グーグル・クロームなどインターネット・エクスプローラー以外のブラウザーで閲覧可)。手がけたのは、10年前に広島で作品に出会い、心を動かされた米国の大学教授。表現活動を通じて平和を希求した四国のメッセージが世界へ広がっている。

原爆ドームで描いたたくさんの物語

 米軍による原爆投下から65年たった2010年秋。米オハイオ州にあるオーバリン大のアン・シェリフ教授(65)=東アジア学=は、原爆文学の研究のため訪れていた広島市の書店で1冊の本に目を奪われ、手に取った。「にんげんをかえせ」の一節で知られる峠三吉の「原爆詩集」の復刻版。黒っぽい背景の中に、揺らめく赤い人影がいくつも描かれた四国の表紙絵を見て「原爆投下直後の広島にタイムスリップしたような気持ちになった」という。

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シェリフさんは日本語や日本文学を学ぶ大学生だった20歳の時に旅行で来日し、初めて見てから35年以上、原爆ドームは被害の象徴だと考えていた。しかし、この絵をはじめ、原爆ドームのさまざまな表情を描いた四国の作品を通して「背後にたくさんの物語があるドームは、核兵器の非人道性を訴え続けている場所なんだ」と気付いたという。

 何度も日本を訪れて原爆文学の研究者や四国の遺族とも交流するうち、「反戦と反核を訴えた四国の遺産を広めたい」という気持ちが膨らみ、研究成果を英文の特設サイトにまとめて「戦後日本における民衆の抗議 四国五郎の反戦芸術」とタイトルを付けた。「芸術には戦争も核もない社会の実現に貢献する力があると考えた四国のような人々が戦後の日本にいた。その理解に役立ててほしい」と語る。

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シベリアで抑留 原爆に最愛の弟奪われ

 四国は旧満州(現中国東北部)でソ連軍との戦闘を経験し、シベリア抑留後の1948年に故郷・広島に戻った。最愛の弟直登の被爆死を知ったのを機に反戦運動に身を投じ、連合国軍総司令部(GHQ)による言論統制下で、文化活動を通じて反戦反核を訴える運動の先駆けとなった。峠たちと辻詩を制作したのは、朝鮮戦争で原爆が使われる危機が高まった頃だ。

 「おこりじぞう」が描かれた時期は、その後の冷戦のさなか。「ひろしまのスケッチ」では穏やかな街並みや被爆の爪痕を描き、出征前に軍需工場の広島陸軍被服支廠(ししょう)で働いた青年時代の思い出もつづった。シェリフさんは「被爆地ヒロシマとしてだけでなく、広島がとても複雑な都市だと想像するのに役立つ」と、作品の多面性にも注目する。

 「おこりじぞう」のパートでは、2019年11月に急逝した女優・木内みどりさんも紹介している。この年の終戦の日に広島市であった催しで、少女が水を地蔵に乞う場面を木内さんが朗読する動画を載せた。シェリフさんは「米国の学生は、児童書なのに少女が被爆して死ぬ様子を描くことに驚いた。原爆投下について『戦争の加害者である日本からの解放』という歴史認識を持っている中国や韓国からの留学生も、核兵器の非人道性を理解できる」と語り、視点の違いを超える作品の力強さを指摘する。

米国やオーストラリアの大学で教材に

 サイトは海外のSNSなどで拡散され、米国内の複数の大学やオーストラリア国立大の教授が教材として使うことを決めた。米国の著名な歴史学者で、早くから四国に着目してきたマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授は「四国は戦後日本における草の根の抗議活動の模範。70年以上も日本の民主主義を支えてきた市民運動の伝統の窓を、このサイトが開いてくれる」との推薦文を寄せた。

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