金沢の東山さん 冊子製作、記憶継いで
一九五四年、米国の水爆実験によりビキニ環礁で被ばくした日本の漁船「第五福竜丸」。金沢市泉が丘の東山温美(はるみ)さん(86)が第五福竜丸に関する冊子をまとめた。第五福竜丸は東山さんの父が建造を手掛けた。非核のシンボルとなった経緯も記し「小さな船の大きな反核の叫びを聞かなくてはいけない」。結びには核のない世界への思いをつづった。(高橋雪花)
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第五福竜丸は元々カツオ漁船「第七事代丸(ことしろまる)」として誕生し、戦後の食糧難を支えた。完成させたのは「古座造船所」。東山さんの父、植村直太郎さん=享年五十一=が当時、社長を務め、兄や親戚も船大工として携わった。その後、遠洋漁業用のマグロ漁船に改造され、静岡県焼津市の漁船となり、第五福竜丸に改名。ビキニ環礁で被ばくした。
「第五福竜丸と私の思い出」と名付けられた冊子はA5判五十四ページ。東山さんは二、三年ほど前、「もう年だから」と船の歴史を残したいと考えた。被ばくから展示されるまでの歩み、題材とした映画などの作品も掲載。本や新聞記事、当時の写真など資料を集めて仕上げた。
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それだけに、被ばくを耳にしたときには驚いた。父は既に亡くなっていた。「あの事代丸が…かわいそうに」。十年前には、第五福竜丸が保存されている東京都江東区の展示館へ。思いがあふれて涙がこぼれた。「第五福竜丸は自分の子のようにいとおしい。一度は廃船になって捨てられかわいそうな目に遭ったが、永住の地を得て平和を問い掛ける船となったことがうれしい」
冊子は四十部刷り、長男、長女らに配った。冊子を手に改めて思う。「若い人は特に知らないから、記憶を受け継いでほしい」