「福島の海はなーんでも捕れる宝庫。こんな海はないよ」。福島県沖の漁船上で漁師の声は誇らしげだった。東京電力福島第一原発事故から9年半が過ぎ、復活途中の福島の漁業に再び暗い影がちらつく。原発から出る汚染水を浄化処理した後の水について、政府は近く、海洋放出の方針を決定しようとしている。反対の声を上げる漁業関係者の思いの底にあるのは、被災者と向き合わない国と東電への怒りだ。(福島特別支局・片山夏子)
10月21日午前2時すぎ、福島第一原発から北約50キロにある福島県新地町しんちまちの釣師浜つるしはま漁港で、漁船「第十八観音丸」に乗った。沖合5キロに着くと、小野春雄さん(68)と息子らが固定刺し網を一気に引き上げた。
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◆2021年春には本格操業という矢先
原発事故後、福島では出漁日などを制限する試験操業が続いている。事故前は週6日出ていた漁が、今は週2日のみ。来春に本格操業という矢先、放射性物質トリチウムなどを含む処理水の海洋放出が現実味を帯びてきた。 「10年、我慢して我慢してきた。今トリチウム流したら、魚を食べなくなると思うよ。福島の漁業はやる人いなくなっと。明日がわかんねえんだもん。自殺者が出るよ」。小野さんの表情がぐっと険しくなった。 中学卒業後に漁師になった小野さんは、ずっと海で生きてきた。2011年3月11日、二つ下の弟は漁船を沖に出したが津波にのみ込まれ、亡くなった。3人の息子は復興関連の建設業などをしていたが、試験操業を機に呼び戻した。祖父の代から続く生業を引き継ぐため、船も新調した。 原発構内のタンクで保管する処理水の処分を巡っては、政府の小委員会が「海洋放出が確実」と示して以降、所属する相馬双葉漁業協同組合で国から説明があったのは1度だけ。「コロナ禍で人が集まらなかった。漁業者や国民と東電や国で何度も話し合い、ある程度納得してから流すならわかるよ。説明1回ってありえねぇ」
◆「国はなんで東電の言うこと聞くの」
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次の漁場で「すぐそこは宮城沖だぁ」と小野さん。海はつながっている。だからこそ、全国漁業協同組合連合会は「我が国漁業の将来に壊滅的な影響を与えかねない。漁業者の総意として絶対反対」と訴える。 漁の方法や船の操縦を伝えようと、息子たちに厳しく指導していた小野さんは、一層険しい表情で訴える。「トリチウム流して怖いってイメージが1度ついたら、払拭するには相当な年月がかかる。これだけ反対の声がある。1度立ち止まってもらわなきゃ困る」
◆「どんなに薄めても気持ちのいいものではない」
福島県では、震災翌年の2012年6月から試験操業が行われている。昨年の水揚げ量は3640トンで事故前の14%にすぎない。今年2月、全魚種の出荷制限がようやく解除され、9月には福島県漁連が来年4月から本格操業を再開する方針を決めた。
小名浜機船底曳網そこびきあみ漁協(いわき市)の柳内やない孝之理事(54)は、トリチウム水と呼ばれる処理水は他の原発も放出していると説明を受けた。だが福島第一の処理水は、事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)に触れた汚染水を浄化したもので、他の放射性物質が残る。「どんなに薄めても気持ちのいいものではない」 中国や韓国などへは、福島の魚はまだ輸出できない。柳内さんは、処理水放出となれば風評被害は避けられないとみる。「海洋放出すると聞き、宮城の三陸でホヤを作るのをやめた人が出ている。効果的な風評被害対策があるなら、今だってやってほしい」
東電は風評被害を賠償するというが、具体策は見えない。相馬原釜はらがま魚市場買受人協同組合の組合長で水産加工業も営む佐藤喜成さん(67)は「事故前は年商8億円だったのが、2019年には3億円に。それなのに16年で賠償は打ち切られた。仲買や水産加工もきちんと賠償してほしい」と憤る。
◆漁業者の同意見通せず 東電「理解得る」の一点張り
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だが、漁業関係者から理解が得られるかは未知数。東電は15年8月に当時の広瀬直己社長名の文書で処理水について「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と回答した。理解を得られなかった場合について、東電の小野明・福島第一廃炉推進カンパニー最高責任者は10月29日の記者会見で「理解を得られるよう努力する」と繰り返すだけで、合意形成への道筋は全く見えない。 タンク容量も、解体タンクの敷地活用などで増やす余地があるが、小野氏は「精査が必要」と述べるにとどまり、「22年夏」という期限を見直す方針は示さなかった。(小野沢健太)