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9月30日、仙台高裁(上田哲裁判長)は、国が東電に津波対策をとらせなかったことは違法だと、明快に認めた。国の責任を示す事実が、少しずつ解明されてきたことが背景にある。
東日本大震災から遡ること約9年前、2002年8月1日の朝刊に、東北地方でマグニチュード(M)8クラスの巨大地震が高い確率で発生すると警告した記事が載った。
「津波地震、発生率20%」
「今後30年三陸─房総沖」
朝日新聞も、このような見出しで社会面に大きな記事を載せている。三陸沖で1896年に発生した津波地震は、岩手県で30メートルを超える高さまで遡上し、死者は2万人を超えた。同じような地震が、もっと南の福島沖や茨城沖でも起きる、という内容だった。
■保安院「役割」果たさず
発表したのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)。「首都直下地震の発生確率は、今後30年で70%程度」という予測を聞いたことがある人は多いだろう。これは地震本部が04年8月に発表した長期評価だ。津波地震についても同じ方法で、地下の構造や過去の地震の記録から、規模や発生確率を予測した。
8月1日付朝刊の記事を読んだ経済産業省の旧原子力安全・保安院の担当者は、同日午後6時半ごろ、東電に電話した。
「本日新聞に掲載された『三陸沖津波地震確率20%』に対して、プラントが大丈夫であるかどうか、説明を聞きたい」
4日後、東電の担当者は、資料を持って保安院に説明に行った。東電が他社に送ったメールによると、保安院の担当者4人は、「福島から茨城沖も津波地震の津波を計算するべきだ」と要求。しかし東電は「論文を説明するなどして、40分間くらい抵抗した」「結果的には計算するとはなっていない」と報告している。逃げ切ったのだ。
保安院は東電の言い分を聞いただけ。自分たちで調査したり専門家に意見を聞いたりして確認することをしなかった。
保安院は東電の言い分を聞いただけ。自分たちで調査したり専門家に意見を聞いたりして確認することをしなかった。
30日の仙台高裁の判決では、この時点の保安院の動きを「不誠実ともいえる東電の報告を唯々諾々(いいだくだく)と受け入れることとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものといわざるを得ない」と厳しく批判した。
東電に40分抵抗された揚げ句、対策をとらせることができなかった保安院。その大きな失敗を、保安院の関係者は、政府や国会の事故調査委員会には黙っていた。18年1月になって、国が訴訟に提出した文書で初めて明らかになった。
事故調に隠し、裁判で明らかになった事実はほかにもある。
06年5月、福島第一に敷地を超える津波が襲来した場合、炉心溶融を引き起こすと東電は保安院に報告していた。危機感を持った当時の保安院の担当者が06年から07年にかけて、東電に津波対策をとらせようと激しくやりとりしていたことは、東電元幹部の刑事裁判(18年)で初めてわかった。担当者は「電力事業者はコストをかけることを本当にいやがっていると思うと、正直、電力事業者の対応の遅さに腹が立ちました」と、検察に述べていた。
これらを踏まえ、国が規制権限を行使しなかったことについて、仙台高裁は「遅くとも06年末までには、許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くに至ったものと認めることが相当」として、国の責任を認めた。(ジャーナリスト・添田孝史)