Daily Archives: 2020/10/25

DNA analysis to determine genetic impact of A-bomb victims to families via The Mainichi

HIROSHIMA (Kyodo) — Hundreds of Japanese atomic bomb survivors, known as hibakusha, and their children are planning to undergo genome analysis to determine whether exposure to the radiation from the 1945 blasts in Hiroshima and Nagasaki has impacted health further … Continue reading

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「死んでもいい人間を用意してくれ」 深夜2時に福島1Fに向かった、“20人の決死隊” 『ヤクザと原発 福島第一潜入記』#8 via 文春オンライン

冷却システムがダウンし1Fが危機的状況に陥ると、佐藤の携帯に東京電力関係者から「緊急対応の作業があっから行けるかな?」と、直接電話がかかってきた。  前述した通り、彼の会社のボスは「死んでもいい人間を用意してくれ」という要請を受け、社員の派遣をためらっていた。 「うちらが行きますよ。誰も行かないのはまずいでしょ」  ここでの撤退は後々の営業戦略に大きな影響を与えるだろう、と佐藤は踏んでいた。土壇場のピンチで逃げ出さずに踏ん張れば、東電は作業員を派遣してくれた会社に恩義を感じるはずだ。他の会社を含め、佐藤の現場から合計20人あまりが1Fに向かうことになった。マイクロバスがJヴィレッジに到着したのは午前2時だった。 (略) 正確な線量なんて分からない 「食事はクラッカー2袋にサンマの缶詰1個、あとは水のペットボトルが1本でました。荷物はバスの中に置いて来ちゃったし、前の日ほとんど睡眠とってないんで、グレーのマットが敷かれた広い会議室で寝てましたよ。ほとんど情報はなかったです。細かいこと知ったって関係ないですから。自衛隊のヘリコプターが空から放水したのは知ってました。『ありがたいけど、あれじゃあ無理だったよな』って、みんなが話してたのが聞こえたんで」  現場作業は午後1時から開始された。飲まず食わず、合計8時間あまりの連続作業で休憩時間もない。誰一人として話をする者はいなかった。30代、40代、中には50代の作業員もいたが、全員が黙々と作業を続けた。 「放管はいましたけど、装備の話しかしてなかった。言われたのは『ちゃんとマスクをしろ』くらいです。事前にさっと(放射線量を)測りに行ってるだろうけど、正確な線量なんて分かんなかったと思います。自分たち、代表で2、3人だけ個人線量計持ったんですけど、それぞればらばらに仕事しているから、どこが線量高いのかなんて分からないじゃないですか。 (略) 屈託のない笑顔で当時の様子を話す佐藤に、精子の検査と造血幹細胞の採取をすすめた。いまだ彼は病院に行こうとしない。 作業員は情報弱者  佐藤のように高額な日当をもらっている作業員はごく少数である。同時期、日立系列は作業員に直接100万円の危険手当を支給したという話もあったが、ウラは取れていない。いわき平のハローワークで調べた通り、1Fで働く作業員の多くは、死と隣り合わせの過酷な労働の割に低賃金である。会社の体質や作業内容、それぞれのスキルにもよるが、もともと1Fで働いていた作業員たちでも日当2万~4万円あたりが相場で、平均、約12時間拘束される。毎日現場に出れば、月給120万円になる計算だが、若くてスタミナのある熟練工であっても月に20日が限度という。 「担当部署によって違うし、天気やその日の作業内容にもよるけど、どこも毎日6時間から8時間は作業しているだろう。酷暑の中、防護服に防塵マスクだから、ただ座っているだけでも疲労する。狭い場所では不自然なポーズのまま長時間作業しなきゃならないので体がもたない」(30代の作業員) (略) いわき湯本近辺を宿にしている作業員に密着しているうち、分かってきたことがある。作業員の多くは放射能に関する専門的な知識を持っておらず、毎日のニュースすら知ることが出来ない情報弱者という事実である。 「旅館のフロントに新聞は置いてあるけど、毎日疲れちゃって読む気がしない。テレビのニュースを録画しておきたいけど、部屋にビデオなんてない。インターネット? 携帯ならあるけど、パソコンなんて持ってきても無意味だ。ビジネスホテルならともかく温泉旅館にLANケーブルなんてない。元々みんな肉体労働してんだし、無線で繫ぐほどのマニアはいない」(協力企業の現場監督)  実際、2011年7月初め、4号機の使用済み燃料プールの温度が上昇し、作業員に避難命令が出される直前だったのに、彼らの多くは深刻な事態だったと認識していない。 (略)  自分がどれほど危険な作業をしているか漠然としか理解していない上、新たな情報を得ることもできず、慣れが恐怖心を鈍化させるのだろう。誰に強要されたわけでもなく、自分の意思で現場に入っているのだから、自業自得・自己責任と結論づけるのは簡単だ。が、現場の過酷さを考えれば、作業後、または休日を使い、情報を得るための努力をしろと強いるのは酷である。 (略)  作業員の被曝限度が厳守されている前提なら、こうした格差は必然的なものと割り切ることもできる。が、フクシマ50でさえ、当時、装着していたフィルムバッジの値は公表されておらず、本人たちにも知らされていないのだ。1Fが立て続けに水素爆発を起こした当時、多くの作業員がオンタイムで被曝数値が分かるデジタル線量計を持っていなかった。最低限、本人にはフィルムバッジの数値を通達すべきだ。そうしない限り、被曝限度を越えた作業員を働かせているのではないか……という疑念は消えない。 (略)  二次会の最後、カラオケを熱唱したマイクを使い、社長は社員にこう呼びかけた。 「俺たちで1Fを止め、次の世代に日本を渡そう」  熱気は不思議と伝染する。正直、不埒な作業員である私にも、社長や同僚と同じ気持ちが芽生えていた。わずか1パーセントにも満たないが、正義などこの程度で十分だ。 ヤクザ発原発経由リビア行き  メーリングリストを通じ、海外メディアからのコンタクトも多かった。テレビ局はすべて断ったが、アルジャジーラの取材だけは受けた。1F内で動画を撮影し、再びインタビューに応じる代わり、リビアへの入国と現地取材を手伝ってもらうという交換条件が成立したからだ。 (略)  結局のところ、このプランは失敗だった。1Fでの勤務最終日、首都・トリポリが陥落してしまったからだ。 全文は「死んでもいい人間を用意してくれ」 深夜2時に福島1Fに向かった、“20人の決死隊” 『ヤクザと原発 福島第一潜入記』#8

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「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円 『ヤクザと原発 福島第一潜入記』#7 via 文春オンライン

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が起こった――。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目/後編に続く) (略) 情報を漏らさないフクシマ50  俗にいう『フクシマ50』の定義はひどく曖昧である。一般的には「東日本大震災によって発生した“想定外”の津波が1Fに来襲し、冷却システムがダウン、1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った職員・作業員」となろう。インターネットのフリー辞書であるWikiにもある程度の記述がある。サイトには関係者の大半が避難するなか、死を覚悟して原発の収束作業に当たった50人……実際の総数は約70名だったと書かれており、取材の印象でいえば、その程度なら信用してもいい。  ただ、東電は免震重要棟で指揮を執った吉田昌郎所長(当時)以外のメンツを、プライバシー保護を理由に公開していない。東電社員の内訳、協力企業の人数や年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。噂が一人歩きをしてしまい、神格化されている部分はある。東電としてもフクシマ50を曖昧なままにしておきたいはずで、世間が彼らの英雄的行動を賞賛することで、原発事故への批判が多少でも薄まればありがたいだろう。  当時、私が把握していたフクシマ50は彼だけだった。その後、吉田所長以外の4名から話を訊けたが、うち2名は私をフリーライターと認識していない。あえて隠しているわけではない。問われないから言わない。これまでさんざん情報を隠蔽してきた東電からアンフェアと批判されても、私はまったく平気である。 (略) 死んでもいい人間を用意  責任者の名を、仮に佐藤としておこう。私は佐藤を毎日食事に誘った。責任者に嫌われたら仕事がやりにくい。また、いったい佐藤がどこまで私の素姓を知らされているか、確認したいからでもあった。  何回か食事をして、ようやく佐藤は私の目を見て話してくれるようになった。彼は3号機が水素爆発した直後、1Fへの召集令状を受け取り、地獄絵図の中に降り立ったという。 「あとで聞いた話だと、経営者が電力から『死んでもいい人間を用意してくれ』と言われていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』と言わなかったですね。だから志願しました。うちの社長、自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」 もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで、原発を生活の糧(かて)にしてきた贖罪だったわけでもないらしい。 「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑)。  たしかにドキドキはしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。そりゃあたくさんの人が困ってるんだから、俺たちが頑張らなきゃいけないっていう使命感はありましたよ。でもそれを自分で言ったらマンガでしょう?  あと、当てつけみたいな気持ちはありました。これまで威勢のいいこと、偉そうなこと言ってた人間たちがビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。 (1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった。でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メしてました。20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。みんながみんなじゃないけど、歳をとればとるほどブルってたですね。なにかあっても死ぬだけなのに。ぼちぼち1Fも落ち着いて、いまになって復活してきたゾンビもいるけど、『あんた、あの時バックレたよね?』って言いたいです」  佐藤の話はどこまでが本気で、どこまで冗談なのか、簡単には判断が付きかねる。修羅場を経験した一時のテンションが、彼を調子づかせている可能性はある。それだけ、水素爆発直後の1Fは悲惨だった。自衛隊に退避命令が出され、住民たちを置き去りにしていったほど、一帯は放射能に汚染されていた。ヒロイズムに酔いしれている可能性を考慮し、佐藤のインタビューには時間をかけた。まる一日原発のことには触れず、酒を飲み、ソープをハシゴし、馬鹿話をした。 (略) 「コーラ……放射能に効くんだってさ。これ飲んでまた明日1Fに行く」  コーラが放射能に効くというのは、完全なる勘違いである。それは膣内射精した後、コーラで洗浄すれば避妊できる……という中学生レベルの話に近い。  ただ、強がっている佐藤にも、少しは恐怖心があるんだろう、と感じた。夜空の月に雲がかかり、まるで吐瀉物まみれの佐藤のようだった。 (略)  上司にぶち切れ、会社を辞めた佐藤を、いまの社長が拾ってくれたという。つまり佐藤が原発で働くことになったのは成り行きである。その割に、こちらが恥ずかしくなるほど、彼はいまの社長をべた褒めする。たとえば、弟と妹の進学にあたり、実家に金が必要になったとき、社長が黙って50万円を用意してくれたエピソードは、もう10回は訊かされた。 「別に金に転んだわけじゃないんですけど、学校行くのを諦めようってときだったから、すっごく嬉しかったです。その後も、いろいろ面倒をみてもらって、まだ半人前だし、これまた不謹慎かもだけど、今回の事故でちょっとは恩返しが出来たかもしれないって思ってます。  上会社からいくらもらってるか、そんなこと知らないし、知りたくもない。電力は一人当たりの日当をいくら出してるんですか? 現場じゃ、8万円とか50万円とか、いろいろ言われてますけど、みんな普段の2割増しくらいでしょ。鳶でも、溶接でも、鍛冶屋でも、たぶんそんなもんです。社長には『いっぱい儲けてくれ』って言ってあるんです。俺の日当は3万円もあれば十分ですって、そう伝えて。でも、(爆発した直後の)何日かは、20万円も(日当を)くれた」 (略) 「おじいちゃんとおばあちゃんが、近所に『うちの孫はフクシマ50だ』って自慢してるんだって聞いて、俺、すっごく嬉しくて」  佐藤は世間が放射能におびえる中、幸せの絶頂にある。なんとも皮肉な話である。 全文は「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円

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