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「この雪にも放射性物質が」 via 朝日新聞

東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

あの日の夜、夕方から降り続いていた霧雨が雪へと変わった。

2011年3月15日。旧津島村・下津島集落の行政区長で元県職員の今野秀則さん(73)は、外でたばこを吸いながら、ゆっくりと舞い降りてくるぼたん雪を眺めていた。

「もしかすると、この雪にも放射性物質が含まれているのかもしれないな」

震災から5日目。発生翌日には、海側の浪江町中心部に避難指示が出され、山側の津島地区には多くの避難者が押し寄せてきた。秀則さんは避難者の世話に忙しくしながら、15日、津島地区にも町の避難指示が出されると、集落で逃げ遅れた人がいないかどうかを確認するため、その夜は集落に居残った。

多くの住民が避難した後の、しんと静まりかえった真っ暗な集落。たばこの火だけがボォとともった。

「チェルノブイリのようになるのかなと思った。現実感のない、夢の中にいるような気分だった」。この日降った雪や雨によって、旧津島村が高濃度の放射能で汚染されたことを知らされたのは、それからずっと後のことだった。

翌朝、周囲には10センチ近い雪が降り積もっていた。福島市の妻の実家に避難し、風呂を浴びて夕食を食べた時、ふと、「もう津島には戻れないかもしれない」と思い、妻と車で自宅に戻った。

後から再生できない物を、と持ち出したのは、家族の思い出を詰め込んだ103冊のアルバム。

保健所から引き取って育てた愛犬リリーは泣く泣く放した。1カ月後に無事保護できたものの、4年後の冬の大雪の日、下血で雪を真っ赤に染めて死んだ。

「申し訳ない気持ちです。高線量の土地に1カ月も放置したのですから」

故郷に再び住めるよう

2015年から旧津島村の住民約700人が加わる「津島原発訴訟」の原告団長を務める。

[…]

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