この集団訴訟は、福島県の内外の避難者だけでなく避難していない人も含め3600人を超える被災者が原告となり国と東京電力に原発事故の責任と一律の損害賠償など求めている。(※1人当たり月額5万5000円慰謝料など約280億円)
3年前の一審判決では国と東京電力の責任を認めあわせて5億円の賠償を命じたが、被害が認められたのが原告の一部だけに留まったことなどから控訴していた。
奪われた生活を取り戻すために7年間、原告団の団長として戦ってきた男性は特別な思いで9月30日の判決を待っていた。
<福島県相馬市でスーパーを経営する中島孝さん>
裁判を起こしてから7年、団長として原告団の先頭に立ってきた。
中島孝さん:「放射能が怖い怖くない。早く忘れるのが一番なんだなんていう意見に対するいろんな立場とか、人と人がどうも距離ができてしまったんじゃないか、分断されてしまったんだろうか」
原発事故の後、中島さんが強く感じる【人と地域の分断】。
これまでの裁判では多くの原告が法廷で、そして現地で、生活やコミュニティが奪われたことを自らの言葉で述べてきた。
(略)
中島孝さん:「原発は全然安全ではなかったって国も東電もわかっていたのに、安全対策を本気になって取らなかったというのが今度の事故につながったんだっていうことが(これまでの)裁判の中でもはっきりした。二度とこんなことを起こさないこと。それがこの事故を経験した今の世代の責任だと。私は思っている」
元の故郷を取り戻し、二度と原発事故を繰り返さないために判決の行方を見つめている。