住民帰還率1割未満の町を行く、福島県浪江町は今 via 日本経済新聞

東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から8年。福島県内での被災者のうち、今も約4万人が避難生活を続けている。原発の北側20キロ圏内にある福島県浪江町は、避難指示が解除された市町村の中で帰還率が6%台と最も低い。町の現状を知るため、現地を訪ねた。

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浪江町などによると、住民登録者数に対する実際の居住者(帰還者)は2月末で6%強。900人余りの居住者の4割を65歳以上の高齢者が占め、20歳未満は三十数人と少ない。避難先で暮らしが落ち着いた子育て世代などには特に帰還が難しい。町役場隣の「仮設商店街」と2つのコンビニエンスストア以外にほとんど買い物ができる施設がないことも帰還率が低い要因だ。

自身も避難生活を続ける佐藤さんは1歳の長女、2歳の次男など3人の子供がいる。「自分はいずれは浪江に戻りたいと思う。ただ、事故後に生まれた子供にとっては福島市が古里になっている」と佐藤さんは話す。

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夫が漁師の女性(72)は90歳を超えた母と3人で災害公営住宅に暮らす。「生鮮食品が買える場所がないことや、十分な医療機関がないことに困る人が多い」と話す。町には公立の診療所と民間の歯科医があるのみ。「車を持たないお年寄りは乗り合いの無料タクシーで、隣の南相馬市まで長い時間かけて通っている」という。

同じ災害公営住宅の別棟に母と祖母が住み、1歳の息子を抱える女性(22)は「子育てに必要な商品が買える場所も町にはない。若い世代は車で遠方まで買い物に行けるが、お年寄りのことを考えると生活に十分な物資を得られているのか心配だ」と訴える。

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18年春には災害公営住宅の隣接地に「なみえ創生小学校・中学校」が誕生した。子育て世代の帰還促進へ大きな期待を背負う。復興整備が進む請戸漁港は20年度に完了予定だ。試験操業が続く福島の漁業が本格再開し、「常磐もの」と呼ばれる県産魚介類のブランド復権に期待がかかる。

町役場隣の仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」の運営組織会長で、市場で海鮮和食店を営む黒坂千潮さん(41)は「浪江出身の人間として、浪江を元気にできる取り組みを続ける」と話す。(福島支局長 田村竜逸)

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