原発に振り回され… 浪江誘致目指した男性、避難先から古里再生願う via 毎日新聞

 東京電力福島第1原発事故で一時全域避難を強いられた福島県浪江町と南相馬市小高区の海岸沿いで、東北電力が1960年代から原発建設を計画していた。近くに住んでいた安部(あんべ)一さん(83)は、町の発展を願って誘致に協力した。原発が建つはずだった土地は今、復興の目玉として産業団地が整備されつつある。避難先と浪江を行き来しながら、古里の再生に期待を寄せる。【高橋隆輔】

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ここから約2キロ東の沿岸部に、浪江・小高原発の計画地があった。67年に浪江町議会が誘致を決議した。翌年、東北電力が計画を決めたものの、地権者である農家たちの反対で事業は進まなかった。

70年代に福島第1原発全6基の運転が始まった。立地する双葉、大熊両町は原発関連の交付金や固定資産税を得て、手厚い行政サービスを提供した。

「大熊や双葉がうらやましかった」。地域のまとめ役だった安部さんは90年代後半、計画地へつながる道路の整備に協力した。周辺の農家に土地を売却するよう求め、住民を集めて原発を見学し「原発は安全」と説いた。幅2メートル足らずのあぜ道が2005年までに幅11メートル、長さ約1・5キロの道路に生まれ変わった。原発の計画は進まず、通る車はまばらだったが、安部さんは道路脇の草を刈り、アジサイを植えた。

福島第1原発事故後の13年、東北電力は原発計画を断念した。「世論を考えれば当然。昔の浪江にはもう戻らない。事故が起きるなんて思っていなかった」。安部さんは穏やかな口調に、原発に裏切られた怒りを込めた。

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 安部さんの自宅がある町東部は17年3月に避難指示が解除されたが、妻ヨシ子さん(82)に人工透析が必要となり、通院に便利な下野市に新居を構えた。春から秋は浪江の自宅に泊まり「土地を荒らしたままにしていらんねえ」と、田畑や庭の草を刈る。この春は稲作を再開する。

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