双葉町の復興へ、原発関連企業の誘致も目指す町長 via 朝日新聞

福島県双葉町に住民がいなくなって、6年になる。東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故で、約7千人の住民は全国各地に避難させられた。ふるさとを取り戻す見通しは立たない。町長は「住民が戻ることをあきらめた瞬間、町はなくなる」と語る。

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ログイン前の続き60年、福島県が原発誘致を表明。双葉町は、隣の大熊町と誘致を陳情した。78年に双葉町で第一原発5号機、79年に同6号機が稼働した。

農繁期が終わると住民の大半が出稼ぎに出る貧しい町は、東電からの巨額の固定資産税などで潤い、道路やハコモノ建設が進んだ。財政が厳しくなると、議会はさらなる原発を求め、増設決議を採択した。

町民の生活をつなぎとめていた原発。それが、町民をのこらず追い出した。

■「このままだと地図から双葉町が消える」

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事故直後、当時町長だった井戸川克隆(70)は「放射能から町民を守る」と訴え、住民約1200人を率いて埼玉県の「さいたまスーパーアリーナ」に役場ごと避難した。福島県内の自治体で、役場機能を県外に移したのは双葉町だけだ。

井戸川は「人が住めないところに住ませようとするのは犯罪だ」と述べ、住民の早期帰還をめざす国や、福島県内に役場を戻すべきだと主張する町議会と対立した。町政は混乱し、復興計画の策定は遅れた。

混乱は住民の分断も生んだ。メディアに注目された埼玉県の避難者に対し、福島県内にとどまった避難者からは「町に見捨てられた」との声も上がった。「このままだと地図上から双葉町が消える」。伊沢は危機感を抱いた。

過去の町長選で井戸川の選挙対策本部長を務めたこともある伊沢だが、2012年に井戸川に対する3度の不信任決議案が提出されると、賛成票を投じた。井戸川の辞職を受けた町長選に立候補し、13年に初当選。3カ月後、役場機能を福島県内に戻した。

当初の遅れはいまも尾を引き、昨年の双葉町の復興関連事業の数は、同じく第一原発が立つ、隣の大熊町の半分以下にとどまる。

■「また原発に頼るのか」と批判の声も

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15年1月、双葉町中間貯蔵施設の受け入れを正式に決めた。予定地は町面積の1割。「国策の原発に協力し、中間貯蔵施設に協力する。われわれが見捨てられていいわけがない」と伊沢。政府は福島県と2町に生活再建支援名目で約3千億円の交付を決め、双葉町には389億円が入った。

政府は双葉町と大熊町を中心とした帰還困難区域の一部を「復興拠点」と定め、近く本格的に除染を始める。除染にかかる見込みの数千億円は、東京電力ではなく国が負担する。

国の関与を引き出した伊沢だが、町民からは批判も浴びる。昨年10月の町政懇談会では、復興拠点について「そんな事業にお金をかけて、どれだけの人が住むのか。やめた方がいい」と町民から突き放された。

復興に向けて、廃炉研究などの原発関連の企業の誘致もめざしている。「町の存続のためには一番可能性の高い選択肢」と伊沢は言うが、「また原発に頼るのか」と批判する声もある。

不通が続くJR常磐線の双葉駅は、草木が立ち枯れたままだ。双葉町はこの周辺に復興拠点を整備する計画を立てている。

ただ、復興拠点の総面積は帰還困難区域の5%程度とみられ、住民の帰還は早くても5年後。戻る意向を示す町民は1割ほどだ。

全文は双葉町の復興へ、原発関連企業の誘致も目指す町長

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