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「核と命」に向き合う 「原爆と原発は同じ」と訴え via 東京新聞

<評伝> 「わたくしは自分がモルモットになってもいいと思っています。死んだときは骨を砕いて調べてほしい」。突然の訃報に、そんな林京子さんの言葉を思い出した。十四歳で長崎で被爆した。その体験を克明につづった小説「祭りの場」は「自分のカルテ」だと語った。福島の原発事故後に話を聞いた時のことだ。

 ジーンズにブーツをすらりとはいて、美しい人だった。「被爆者は、核の時代のとば口に立たされた新しい人種なのだと思う。わたくしは原爆と原発は同じだと訴えてきたつもりでした」と、静かに語った。

 長崎の女学校時代の同級生は、三十~四十代で次々と亡くなった。自身も白血球減少などの原爆症の不安を抱え、長男を妊娠八カ月の時に「中絶しよう」とまで思い詰めた。夫にも「被爆していないあなたには分からない」と不安をぶつけ続け、後に別れた。

 身近な被爆者が、残留放射線や低線量の「内部被曝(ばく)」を認めない国に原爆症認定を却下されるのを見てきた。芸術選奨の新人賞は「国家の賞を受けられない」と辞退した。国への怒りは、福島の原発事故後に絶望に変わった。だが二〇一二年に東京で開かれた「さようなら原発集会」に参加し、「核を命の問題と考える人が大勢いる」と実感した。一三年には事故後の思いを短編にした「再びルイへ。」を発表した。

(略)

米国で核実験の跡地を訪れた時には、不毛の大地を見て「人間より先に自然が殺された」と涙があふれたという。そして「核の問題は、命の問題。全てをお金に置き換える悪い平和を変えたい」と語った。核の時代に生きる私たち一人一人に手渡された言葉だと思う。 (出田阿生)

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