福島とチェルノブイリ、事故5年目の比較/「除染して帰還」か「汚染地は放棄」か via Huffington Post

森林文化協会の発行する月刊『グリーン・パワー』は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。12月号の「環境ウォッチ」では、環境ジャーナリストの竹内敬二さんが、原発事故から5年後の福島とチェルノブイリを比較しています。

東京電力福島第一原発の周辺では放射能汚染を減らす除染作業が続き、いくつかの町ではすでに住民の帰還が始まった。福島原発事故から4年半が経つ。私はか つてチェルノブイリ原発事故から4年が過ぎた現地を取材したことがある。事故後の時間でいえば、ちょうど福島の今に当たる。「福島」と「チェルノブイリ」 の5年目を比べてみると、向かっている方向が大きく異なることに気付く。

福島の汚染地域は、汚染が比較的軽い「避難指示解除準備区域」(年間積算線量が20mSv以下)と「居住制限区域」(同20~50 mSv)、そして汚染の激しい「帰還困難区域」(同50 mSvを超える)に分けられている。

前二つの区域について、政府は2017年3月までに大規模な避難指示解除を目指す。10月に、その区域をバスに乗って回った。

(略)

住民は集団で移転した。森を切り開き、国が数十~100戸単位で新しい村を造った。国土が広く、当局が何でも決定できる政治体制だったからこそできた。

老人たちは新しい村や都会のアパートで望郷の思いを語りつつ、諦めて死んでいった。06年にも移転後の村を取材したが、老人が減り、故郷を懐かしがる人は極端に減っていた。

「経済合理性」の視点も

チェルノブイリでも畑を除染する試みはあったが、結局、畑や森を大々的に 除染する政策は取らなかった。理由は「経済合理性がないから」だ。取材の中で「土地を削った土をどこに持っていくのか」「お金がかかり過ぎるだろう」と いった説明を聞いた。もともとマツとシラカバの林の中に原発と畑があり、集落が点在する地域だった。「作物が売れる農業ができなければ、除染や帰還は意味 がない」とも言われた。

福島には、新しい町をそっくり造るような場所はない。何より町のインフラの蓄積がチェルノブイリに比べて膨大で、捨てるわけにはいかない。「元の状態に戻してほしい」という住民の気持ちもある。だから除染する……。

し かし、どこまでやるか。「山や森の除染をどうするのか?」という議論は続いている。そろそろ日本の社会全体で「経済合理性」を考える視点も必要だろう。 10月末に発表された復興庁による住民意向調査では「戻りたいと考えている」という世帯は富岡町で13.9%、大熊町で11.4%でしかない。富岡町の 50.8%、大熊町の63.5%は「戻らないと決めている」と答えた。あるレベルを超えた放射能汚染には、もはや住民の忌避感が強い。

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