原発と決別、再生エネで再出発 推進標語を考案の大沼さん、太陽光発電所を開設 via 朝日新聞

東京電力福島第一原発から4キロの福島県双葉町で育った男性が、太陽光発電所を立ち上げた。小学生の時に考えた原発推進の標語は、双葉町の商店街入り口に掲げられた。「その考えは間違っていた」と、原発に頼らない電力のために自分ができることをしたいと考えた。

栃木県那須烏山市の住宅に囲まれた高台に、太陽光パネルがずらりと並ぶ。毎月1~2回、大沼勇治さん(39)と妻のせりなさん(40)は、パネルの表面についた砂やほこりを洗い流したり、草刈りをしたりする。強い日差しの中、勇治さんは「今日はたくさん発電してくれそうだね」。

大沼さん夫妻が運営する太陽光発電所だ。「再生可能明るい未来のエネルギー」と書かれた看板が立つ。昨年5月に栃木県さくら市に最初に開設。その後順次、同県内と茨城県内5カ所につくり、計236キロワット分を設置した。

原発事故まで住んでいた双葉町中心部にある商店街入り口には、太陽光発電所とは違う看板「原子力明るい未来のエネルギー」が掲げられている。標語は勇治さんが小学6年生の時に考え、町のコンクールに学校を通じて応募し選ばれた。勇治さんは「負の遺産」として看板を現場に残すことを望んでいるが、町は老朽化を理由に年内にも撤去し保管する方針だ。

大人になり、不動産会社に勤めながら看板のすぐ横と自宅横でオール電化の賃貸アパートを経営。原発で働く東電社員などが入居した。看板も誇らしかった。

原発事故愛知県安城市に避難した。看板をテレビや新聞で見るたびにうしろめたかった。2012年、茨城県古河市に住宅を建てようとして、工務店から太陽光発電を勧められた。再生可能エネルギー固定価格買い取り制度(FIT)が始まったためだ。

(略)

 「事故が起きるまでは原発と共存していると思っていた。すべてを失って共倒れになった」。今、太陽光発電所の電力は東電に売っている。勇治さんはいう。「電力会社とは切っても切れない人生。でも再生エネで再出発できた。原発事故前と正反対な人生です」

全文は原発と決別、再生エネで再出発 推進標語を考案の大沼さん、太陽光発電所を開設

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