4月7日、体調不良で入院していた東京電力の清水正孝社長が復帰した。しかし社内外では、社長不在の間に陣頭指揮を執っていた勝俣恒久会長が引き続き、事態収拾までリーダーシップを振るうとの見方が支配的だ。東電の社内政治を考えると、「指揮命令系統が1つになり動きやすい」(電力関係者)からだ。福島第1原発の事故処理でのもたつきが招いた危機は、皮肉にも同社の特殊な権力構図を浮き彫りにしている。
清水氏の08年の社長就任は東電の歴史から見て二つの点で異例だった。ひとつは出身大学。同氏は慶応大卒で、47年ぶりの東大以外の大学出身者だった。ふたつ目は東電の主流である企画、総務ではなく、資材部門の出身だったこと。明朗で人当たりの良い清水氏の業界内での評判は決して悪くなかった。原発などオールジャパンのインフラ輸出を側面支援するため、東電として海外の電力事業に積極的に進出する新機軸を打ち出そうとしていた。
続きは『原発事故が浮き彫りにした東電の権力構造』から。