被災地の美談記事の作り方、教えます 致命的に多様性が欠けている日本のメディア via JB Press

3月31日午前3時17分、この原稿を書いている。東日本大震災の発生以来、朝日、読売、毎日新聞を朝・夕と読み、インターネットで日本語と英語のサイト(報道機関だけでなく政府、NPOサイトも)を回り、テレビをつけてニュースを見る、という生活を送ってきた。

前回、「国難級のクライシスが3つ束になって襲いかかってきた、戦争と同等のこの非常事態に、日本の新聞・テレビなど既存報道は機能していないのも同然、それどころか有害にすらなりつつある」という話を書いた。それから2週間、私のその印象は日を追って強まり、確信に近づいている。

その問題点は、これから順を追って一つひとつ検証していこうと思う。今の時点で私が言えるのはこういうことだ。今、日本の既存型報道が見せている病弊の数々は、「生活習慣病」のように長期的なものだ。「3.11クライシス」のショックで急に「発作」に見舞われたわけではない。以前からずっと続いてきた構造的弱点が、そのままシビアな条件下で露呈しただけのことだ。

それは私が25年前に新聞社に入って記者になった当時からずっと指摘されていた問題であり、それがほとんど改善されないまま最悪のクライシスを迎えてしまった。それが私には分かる。

続きは 被災地の美談記事の作り方、教えます:致命的に多様性が欠けている日本のメディア

This entry was posted in *日本語 and tagged , . Bookmark the permalink.

Leave a Reply