Tag Archives: 農業

福島で基準値超え水産物多く via MSN産経ニュース

4月に食品中の放射性セシウムの新基準値が適用されて以降、5月17日までに全国の自治体などから計2万3657件の検査結果が厚生労働省に報告され、うち622件が新基準値を超過している。いずれも野菜や魚などの一般食品(同100ベクレル)だった。検査結果を食品群別で見ると、基準値超えが最も多いのは農産物で370件。水産物は245件だった。 続きは 福島で基準値超え水産物多く

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放射能汚染は生産者の暮らしをどう変えたか 漁師&農家が語る「原発事故」と「生産者のいま」 via Diamond online

――“見えない敵”と闘い続ける漁師×農家対談【前編】 まもなく、東日本大震災から1年が過ぎようとしている。あの日から失われた「職」と「食」の安定は、いまだ取り戻せないままだ。 農林水産省のホームページによると、震災関連の被害農地推定面積は2万3600ヘクタール、 農林水産関係の被害額は2兆3704億円に上る。福島第一原子力発電所の事故に伴う食品中の放射性物質に対する漠然とした不安は、今も消えない。時間が経 つにつれ、西と東の温度差は広がり、被災地から遠く離れた首都圏や北関東の生産者たちにも影響は広がり続けている。 今回は、特別企画としてベテランの漁師と農家に話を伺った。ご登場いただくのは、江戸時代か ら代々続く東京湾の漁師で船橋市漁業協同組合組合長でもある大野一敏さん(73歳)と、茨城県石岡市で約40年間に渡り有機農業を続けてきた魚住道郎さん (62歳)だ。今なお、”見えない敵”と闘い続ける生産者2人の声に、まずはじっくりと耳を傾けたい。 魚の買い控えに、農園サポーターの減少 原発事故がもたらしたこの1年の変化 東京都心から電車に揺られること約30分。JR船橋駅で下車し、15分ほど歩いた先に大野一敏さん率いる「大平丸」の事務所がある。 続きは放射能汚染は生産者の暮らしをどう変えたか 漁師&農家が語る「原発事故」と「生産者のいま」

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秋山豊寛 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ- via 六耀社

◆内容紹介 わたしたちとこどもたちの未来を考えるために 宇宙ステーション「ミール」から帰還後、 福島・阿武隈山系滝野町で有機農業栽培に従事していた著者は、 3・11東日本大震災と福島第一原発崩壊に見舞われ、 原発難民となった。 本書はその体験と、 農人としての生きざまを語った宇宙飛行士のリアルな警鐘である。 ◇秋山豊寛 1942年東京生まれ。1966年東京放送入社。 外信部、政治部記者を経てワシントン支局長。 1990年日本初の宇宙飛行士として旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗、 宇宙ステーション「ミール」から地球の模様を中継した。 1992年熱気球による世界初のベーリング海峡横断に成功。 1995年東京放送退社。翌年から福島県で有機農業に勤しむ。 目次、注文は 来世は野の花に -鍬と宇宙船Ⅱ-

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ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん via 毎日jp

日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲がどんどん伸びて、びっくりします」。ハウスではアスパラガスやカボチャ、ピーマンなどの野菜も栽培。避難先とはいえ、ようやく「農のある暮らし」を取り戻し、秋山さんもホッと一息という表情だ。 東京放送(TBS)記者だった秋山さんが、旧ソ連カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ったのは、90年12月2日のこと。生中継で東京のスタジオからの呼びかけに、「これ、本番ですか?」と聞き返したのが、宇宙からの第一声となった。その後、国際ニュースセンター長となったが「管理職になって、現場を離れるのは耐えられない」と95年に退社。福島・滝根に移り住み、自給自足を目指して有機農業を始めた。現在も月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動を続けている。 続きは ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん

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Carry On Fukushima 福島とともに生きる via Uncanny Terrain

This video was presented at the Institute for Strategic Leadership‘s “Carry On Fukushima” program in Tokyo on 7/21/11. It includes voices from food producers in the area around the still-leaking Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant: Continue reading at Carry On Fukushima

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