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長崎「被爆体験者」救済は 「地域外でも黒い雨」 県・市が報告書 via朝日新聞

核といのちを考える 岡田真実、田井中雅人2022年8月5日 10時30分  長崎県と長崎市は7月、原爆投下後の長崎でも降ったという「黒い雨」について、「国が認める被爆地域外で雨が降った」とする報告書を厚生労働省に提出した。原爆に遭いながら、郊外にいたため被爆者と認められない「被爆体験者」の問題解決につながるか、注目されている。  報告書がまとめられたきっかけは、2021年7月の「黒い雨」をめぐる広島高裁判決にさかのぼる。判決では、援護対象区域外で放射性物質を含む黒い雨を浴びた住民ら84人を被爆者と認定するよう命じた。  判決のポイントは、「原爆の放射能による健康被害の可能性を否定できなければ被爆者にあたる」としたことだった。「被爆者の認定には、放射能の影響を受けた『科学的な証拠』が必要だ」とする国側の主張は退けられた。  菅義偉首相(当時)は、判決の約2週間後、上告断念を表明する「談話」を出した。「判決には過去の裁判例と整合しない点があり、政府としては本来は受け入れがたい」としながらも、「原告と『同じような事情』の人たちを被爆者と認め、早急に救済を検討する」とした。  長崎の被爆体験者らは、高裁判決と首相談話に光を見いだしていた。長崎でも、国が援護の対象とする被爆地域外で放射性物質を含んだ灰や雨を浴びたという証言があった。  長崎県と長崎市も一連の流れを歓迎した。長崎の被爆体験者も、黒い雨を浴びた広島の人と同様の事情にある――。県と長崎市は、広島県・広島市とともに、国と協議を始めた。  厚労省は昨年12月、黒い雨に遭った人を被爆者と認する新しい審査指針案を提示。被爆者と認めるには、「広島の原告と同じような場所や時間帯に黒い雨を浴びた可能性があること」などが必要とし、長崎は対象に含まれなかった。 どうして長崎は対象外になったのか。国が挙げた主な理由は、①長崎の被爆地域外では黒い雨が降ったとする客観的な記録がない②長崎の被爆体験者が被爆者健康手帳の交付を求めた過去の訴訟で敗訴し、最高裁判決が確定している――の二つだ。  長崎県・長崎市は「広島に限定される案は受け入れられない」とし、今年1月から、厚労省と新たな枠組みによる個別協議を開始。さらに、県は2月に専門家会議を設置し、国が指摘した二つの理由の検証を始めた。放射線医学や気象の専門家、過去の被爆体験者訴訟に関わっていない弁護士ら4人を委員に選んだ。 7月にまとめられた報告書は、国が長崎の被爆体験者を援護の対象としなかった二つの理由を真っ向から否定するものになった。  まず、①について、長崎市などが1999年度に実施した証言調査の証言集を再検証した。  調査は、被爆地域外に居住していた8700人を対象に実施。原爆投下から50年以上経った調査で、黒い雨に関する具体的な質問がなかったにもかかわらず、自由記述の欄で雨に関する証言が129件あった。  専門家会議は、この129件の降雨体験を一つずつ分析。雨について証言した人が特定の地域に集中していたことなどから、地域ごとに偶然ではない差が出ており、「地域に実際に降雨があったことを示していると解釈できる」と評価した。また、過去の気象観測に関する文献や、気象シミュレーション分析とも矛盾がないことから、証言集を「客観的な記録である」と結論づけた。  ②の主張についてはどうか。2017年の最高裁判決では、「爆心地から約5キロの範囲にいなかった人は、ただちに原爆の放射線により健康被害を生じる可能性があるといえない」としている。  報告書では、原審の事実認定を是認しただけで、最高裁が法的判断を示したものではないと主張。「判例に該当せず拘束力をもたない」とした。また、「黒い雨に遭ったこと」が健康被害を与える可能性があるかどうかについては判断していないと主張。「過去の被爆体験者訴訟判決と矛盾しない」と結論づけた。  さらに、報告書は、雨よりも降灰の証言が多かったことに触れ、「灰を含む雨であっても、灰そのものであっても、放射性物質を含んでいたことに違いはない。雨と切り分けずに取り扱うよう検討する必要がある」と、より広い範囲で被爆をとらえる可能性も示唆した。      ◇  長崎県原爆被爆者援護課の担当者は、「私たちの主張が裏付けられた」と評価する。報告書を提出した長崎市の田上富久市長は、記者会見で、「被爆体験者は高齢化し時間がない。広島と長崎が一緒の結論になるよう説明していきたい」と話した。  長崎被爆地域拡大協議会専門部会の大矢正人・長崎総合科学大名誉教授は「今回の県報告書は、広島高裁判決に基づいた非常に説得力のある内容であり、国は、県・市が被爆体験者に被爆者健康手帳を一刻も早く交付できるようにすべきだ」と話す。  大矢名誉教授によれば、今回の報告書は爆心地から12キロ以内に限って検証しているが、戦後まもなく米国のマンハッタン調査団などが行った残留放射線量測定は、爆心地から東に約50キロ離れた島原半島まで放射性降下物が広がっていたことを示していた。  さらに、06年の日本原子力研究開発機構の研究によれば、長崎原爆由来のプルトニウムは島原半島を越えて熊本県阿蘇市まで広がっており、今後、被爆地域の根本的見直しを迫られる可能性も示す。  「被爆体験者」の岩永千代子さん(86)は「これ以上ない報告書。本当に勇気をもらった」と評価する。  岩永さんら被爆体験者は07年に被爆者認定を求めて提訴。約400人の原告のうち、これまでに70人以上が亡くなったという。2度敗訴したが、44人が再提訴して被告の県・長崎市と係争中だ。  しかし、今回の報告書を受けて7月28日、「もはや、原告ら爆心地から12キロ以内の方がすべて被爆者であるということは、原告、被告ともに、証拠に基づく共通認識を持った争いようのない事実」として、和解を進めて早期救済を図るよう求める上申書を長崎地裁に提出した。  長崎原爆の日の9日、平和祈念式典に参列するため、岸田文雄首相は長崎を訪問する。その場で次につながる発言があるかどうか。関係者は注視している。岩永さんは「広島の裁判結果を長崎にも適用してほしい。民主国家として同等に扱ってほしい」と訴える。 原文

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公開講座「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」20210912

被爆問題、遺伝的影響の問題、そして被爆二世問題など、原爆と放射線被曝に関する最もコアなことを一気に解き明かした企画です。 被爆二世の森川聖詩さんの基調講演のあと、守田敏也(京都「被爆二世三世の会」)、島明美(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民生活環境を考える協議会代表)、小山美砂(毎日新聞広島支局記者)、木原省治(広島市原爆被害者の会二世三世部会)と熱い報告が続きました。

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核兵器禁止条約 草案の前文に「ヒバクシャ」via 毎日新聞

来月中旬に国連で始まる核兵器禁止条約制定に向けた第2回交渉会議を前に、議長国コスタリカのホワイト駐ジュネーブ国連機関大使は22日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で記者会見し、核兵器の使用や開発などを広く禁じる条約草案を発表した。前文に「ヒバクシャ」という言葉を盛り込み、人道に基づく条約であることを強調した。加盟国は7月7日までの条約の成立を目指す。  草案は、核兵器の使用、開発、製造、保有、貯蔵、移送などを禁止し、こうした禁止事項を行う個人や企業などを援助することも禁止する厳しい内容となっている。  米英仏露など核兵器保有国や、米国の「核の傘」の下にある北大西洋条約機構(NATO)加盟国や日本など約40カ国は禁止条約に反対し、交渉会議への参加を拒否している。  ホワイト議長は国連本部で3月27~31日に開かれた第1回交渉会議参加国の主張を集約して草案を作成し、条約賛成派の考えが強く反映された内容となった。  ヒバクシャへの言及は広島や長崎の被爆者や核実験の被害者が希望し、交渉会議を主導するオーストリアやNGOの核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などが積極的に支持した。草案は核爆発の被害者に対する医療や経済支援、環境の回復にも言及した。 […] 核兵器禁止条約の草案のポイント 1、広島、長崎の被爆者や核実験の被害者を含む「ヒバクシャ」の苦しみに言及 2、核兵器使用がもたらす人的被害を深く懸念し、どのような状況下でも核兵器が二度と使用されないようすべての努力をすることを目的とする 3、核の使用、開発、製造、保有、貯蔵、移送を禁止する 4、禁止事項を行う個人などへの援助を禁止する 5、ヒバクシャに対する医療、経済支援、核爆発の被害を受けた土地の環境回復に言及 全文は 核兵器禁止条約 草案の前文に「ヒバクシャ」

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日本の交渉不参加、被爆者「裏切られた」 核禁止条約 via 朝日新聞

米ニューヨークの国連本部で開かれている「核兵器禁止条約」の交渉会議で28日、カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)が演説し、日本の交渉不参加を痛烈に批判した。「自国に裏切られ、見捨てられ続けたという被爆者の思いを深めた」と述べ、参加国に対し、核兵器を違法化する条約の制定を求めた。 サーローさんは「広島に人々を招くことで、核軍縮で重要な役割を果たしていると日本政府は言うが、米国の『核の傘』に入り続けるのなら、空っぽでごまかしの行動だ」と非難した。 13歳で被爆したサーローさんは「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた、4歳だったおいの姿が脳裏に最初によみがえる」と証言。人類は二度と核兵器の苦しみを体験するべきでないとの確信から、生存者たちは核廃絶の運動を続けてきたと説明した。 さらに、各国の外交官に「将来世代だけでなく、広島や長崎の犠牲者の支持も感じながら」交渉に当たって欲しいと呼び掛け、核兵器の違法性の国際基準が確立されることを期待した。 全文は 日本の交渉不参加、被爆者「裏切られた」 核禁止条約 スピーチの映像 被爆者が日本政府批判 核兵器禁止条約会議 via Yahoo! Japan ニュース 当サイト関連記事 核禁止交渉、日本不参加 岸田外相「対立招く」via 中国新聞

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原爆症訴訟判決 裁判をしなくてもすむ制度にvia しんぶん赤旗

広島・長崎の被爆者が原爆症と国に認められなかった処分の取り消しを国に求めた「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」で、東京地裁は6月29日、被爆者の原告6人全員の病気について原爆症と認定する判決をだしました。昨年10月、被爆者17人全員が勝訴した同地裁判決に続く重い判決です。平均年齢80歳を超えた被爆者をいつまで司法で争わせるのか。国は控訴を断念し、速やかに認定すべきです。 国の「線引き」の転換迫る  原爆症認定制度は、原爆の放射線が原因とされる被爆者の病気やけがについて、医療を受ける必要があるときは、全額国の負担で医療の給付が受けられ、約14万円の医療特別手当を受給することができる仕組みです。  判断するのは厚生労働相ですが、被爆者健康手帳所持者約17万4000人のうち認定されたのは8500人余、5%未満です。爆心地からの被爆距離が近いほど浴びた放射線量が多く、病気が発症しやすいとの考え方にもとづいて、がんなら3・5キロメートル以内の被爆者を「積極的」に認定するという厳しい「線引き」があるからです。  訴訟の原告も、認定基準よりも遠くで被爆した人、基準では「積極的」に認定する病気から外されている人がほとんどでした。  東京地裁判決は、「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分解明されていない」として、被爆者の病気が原爆放射線によるものかどうかの判断(放射線起因性)についての基準は「いわば一般的な目安として定められたものにすぎない」から、「各数値を形式的に充足しないからといって、直ちに放射線起因性が認められないことにはならない」と断じました。  形式的な線引きを使い、病気に苦しむ被爆者を切り捨てる国の認定行政の転換を迫った判決です。  被爆者が浴びた原爆放射線量を軽く、小さく、狭いものとして、初期放射線の影響しか認めようとしない認定行政のあり方が改めて問われます。誘導放射線や放射性降下物からの残留放射線の影響を低く評価するやり方は非常に問題です。被爆者が71年前に浴びた放射線量は、多くが未解明です。  今回の地裁判決が指摘したように、放射線が人の健康に及ぼす危険も科学的に十分解明されていません。これまでの司法判断が示してきたように、被爆の状況やその後の健康状態の変化など、総合的に判断することこそ必要です。  2009年、国は被爆者との間で、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう解決を図る」ことを約束したはずです。これを反故(ほご)し続けることは、もはや許されません。 […] もっと読む。

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広島とオバマ大統領 守るべき一線 譲ったのか 神戸市外国語大准教授・繁沢敦子 via 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

広島とオバマ大統領 守るべき一線 譲ったのか オバマ大統領の勇気ある決断を支持したい。一方で、その記念碑的な瞬間を前に手放しでは喜べないのも事実だ。 謝罪抜きの訪問だからではない。原爆を投下したことについて米国は謝罪すべきだと私は思う。しかし、これまでの背景をいくらか知る一人としては、公式謝罪は期待できないことを理解している。 問題は「被爆者は謝罪を求めていない」という言葉が一人歩きしていることだ。  それを根拠に、広島市長や政府要人が謝罪を求めないことを明らかにし、結果的にその言葉がオバマ氏訪問の交換条件として機能してしまった。「謝罪」を巡って米国側と議論にもならないまま、いや、むしろそれを避けるために、日本国内で一方的に言説がつくられた感がある。 米国との駆け引きというより、国内の世論操作を通じた米国への協力だったのではないかという印象さえ受ける。 確かに、謝罪は求めないと明言する被爆者もいる。恩讐(おんしゅう)を超えてそうした心境に達した人の言葉には感動を覚える。一方で、米国に過ちを認めてほしいとする声や謝罪を求める声も存在する。しかし、憎しみや恨みといった負の感情は表に出したくないというのが人間のさがだろう。最も個人的な部分の感情であり、一見の取材者に露呈できるような話でもない。 盛り上がるばかりの歓迎ムードに水を差すことはしにくい。過去にこだわることを「前に進めない」「乗り越えられない」ことと同等に捉える風潮もある。こうした繊細な事情が考慮されないまま、一つの言説が集団の総意として演出されてしまったのではないか。 その下地は少し前からつくられていた。「被爆者は謝罪を求めていない」という言葉は2008年ごろから聞かれるようになった。全米原爆展を開催していた時期で、投下を巡る問題よりも、核拡散や核廃絶の問題に米市民と協調して取り組むことが優先されたということもあろう。それゆえに、守るべき一線を譲ってしまったのではなかったか。今回の言説の伏線になったように思えてならない。 「原爆と検閲」の研究をしていると、軍や行政機関による検閲と、書き手や編集者による自己検閲の違いを問われることがある。制度にのっとって行われたか、誰が行ったかという点を除くと、両者を区別するのは難しいことも少なくない。自己検閲といっても裏では権力による圧力が働いていることが多いからだ。  検閲ではないにしても、今回の問題では同様の力が働いた可能性がある。一定の立場にある人物の発言には、それに反する趣旨の発言を封印するだけの力がある。 集団の威を借りるレトリックも用いられた。恐らくは周囲の数人が述べた言葉が「多くの人」が言ったことになり、次には「大多数の人」が言ったことになる。それを政府の要人が「私たち」という主語で語ることで「日本人の総意」になってしまうのだろう。 安倍晋三首相は14日、「原爆や戦争を恨まず、人の中に巣くう『争う心』と決別する」訪問にしたいと述べた。しかし、原爆や戦争を恨む心と争う心はまったく違う次元のものだ。原爆と戦争を恨む心が、次の世代に自分たちと同じ目に遭わせたくないという反戦反核運動を育んできた。オバマ氏も唱える「核兵器のない世界」に向けて先駆けて活動してきたのは、こうした人々であることを忘れてはならないだろう。 続きは 『今を読む』 神戸市外国語大准教授・繁沢敦子

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市立大平和研 専門2講師契約打ち切り 被爆者研究 広島の役割は… via 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

「存在意義揺らぐ」の声も 広島市立大広島平和研究所(安佐南区)が昨年来、安全保障の研究者らを防衛省など国から教授陣に招く一方、被爆者に関わりの深い研究に取り組んできた講師2人に相次いで契約の打ち切りを通告した。被爆地の研究機関としての役割をどう果たしていくのか、懸念する声が上がっている。(道面雅量、金崎由美) 2人は3年の任期付き講師で、再任しないと告げられた。昨年9月末で退職した講師(46)は、原爆被害に関する連合国軍総司令部(GHQ)による情報統制や世界の核被害者などについて研究。2008年には業績が評価され、日本平和学会の平和研究奨励賞を受賞している。原爆資料館(中区)の資料調査研究会の会員などを歴任、昨年夏に広島市内で開かれた同学会の研究大会では、受け入れ役を担った。 人事委が判断 3月末で任期が切れる講師(35)は、被爆者への聞き取りを基に広島・長崎の復興史などを研究。昨夏、平和研など主催の被爆70年の国際シンポジウムでは平和研を代表してパネリストを務めた。 2人を再任しない理由について、平和研は「大学の人事委員会が研究業績などを考えて判断した」としている。 「核兵器廃絶を目指して、広島の被爆体験を世界の人々に伝え、理解と共感を得るために新たな知的枠組みを構築していく」。こうした役割を掲げて設立した平和研だけに、被爆者関連の研究者がいなくなる今春以降を不安視する声も聞かれる。設立時の市長だった平岡敬さん(88)は「被爆地だからこそできる研究に力を入れないと、存在意義が揺らぐ」と危惧する。 続きは 市立大平和研 専門2講師契約打ち切り 被爆者研究 広島の役割は…

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再稼働に反対、被爆者ら差し止め提訴へ 「子孫のためにも闘う」 /広島via 毎日新聞

提訴準備をしているのは、広島市などに住む被爆者と市民団体「広島市民の生存権を守るために伊方原発再稼働に反対する1万人委員会」のメンバーら。現在約10人が原告に名を連ねる予定で、今後も人数を増やしたいとしている。  裁判では、東京電力福島第1原発事故での甚大な被害を踏まえ、伊方原発が対岸の広島市から約100キロに位置し、もし事故が起きれば広島市内にも放射性物質が拡散し、自主避難が必要になると主張。海外の医学雑誌に掲載された論文のデータなどをもとに、通常運転でも市民は放射能の不安にさらされているなどとして、再稼働の差し止めを求める方針だという。  堀江さんは4歳の時、爆心地から約3キロの己斐上町(現西区)の当時の自宅近くで姉とともに被爆した。原爆の悲惨さを世界に伝えようと、定年退職後に英会話を始め、地元施設で外国人旅行者らに英語で被爆証言を続けている。15年ほど前にはチャリティーコンサートを企画するなど、チェルノブイリ原発事故で被ばくした子どもたちの支援活動にも取り組んできただけに、国内での原発をめぐる動きに「あれだけの大事故を起こしながら、再稼働を行う姿勢は世界の信頼を失う」と危機感を抱く。  […]   もっと読む。

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広島や長崎の被爆者から生まれた子、62年後の健康被害は確認されず、広島の放射線研究所 via MEDエッジ

 広島や長崎の原爆の被爆者の子どもについて調査を行ったところ、62年後に健康被害を示すものはなかったと報告されている。 被爆者7万人超の子を調査  広島市の放射線影響研究所の研究グループが、ランセット・オンコロジー誌2015年10月号で報告した。  研究グループによると、人が放射線を浴びたことでどの程度の遺伝的影響があるかは、明確な報告はなかったという。  妊娠前に大量の放射線を浴びた人の子どもが成長してからの死亡率を調査したものもないようだ。  研究グループは62年間の経過観察を行い、原爆生存者の子どもの死亡率を調べている。  約7万5000人の、広島と長崎の原爆生存者の子どもについて調査した。  1946年から1984年に生まれた人を対象に、2009年12月31日まで経過を追い、がんとがん以外の原因での死亡について調べた。 原爆の影響は見えず  経過観察を行った結果、5183人が病気により死亡した。 […]  結論として、広島・長崎の原爆の被爆者の子どもについては、62年後に有害な健康被害を示すものはなかったとまとめている。放射線の影響については、研究を進める方針という。 もっと読む。

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両陛下、被爆者慰問へ 戦後70年控え、きょう広島入り via 朝日新聞

天皇、皇后両陛下は3~4日、広島県を訪れ、原爆養護ホームで被爆者と懇談する。6月には沖縄県の戦没者墓苑に拝礼し、10月には長崎県の原爆落下中心地碑で供花した。太平洋戦争の激戦地パラオへの来春の訪問も検討されている。戦後70年を前に、慰霊の思いが込められた訪問が続く。 「元気なうちに一目お会いしたい、という入所者にとって幸せなこと」。両陛下が4日に訪れる広島原爆養護ホーム「矢野おりづる園」(広島市安芸区)で案内役を担う施設長、柿木田勇さん(69)は心待ちにしている。自身も被爆者だ。 広島市に原爆が投下された翌日の1945年8月7日、病院で働いていた姉を捜す母に背負われて市内に入り、被爆した。生後7カ月だった。敗戦直後の47年12月、昭和天皇の広島巡幸を家族で出迎えた。「当時は複雑な思いを抱く被爆者がいたかもしれない」 園では被爆者10人と懇談する。入所する被爆者100人の平均年齢は88歳。「私も『最も若い世代の被爆者』として、核廃絶や平和への願いをお伝えしたい」と柿木田さんは言う。広島市には原爆養護ホームが4カ所あるが、両陛下は今回ですべての施設の訪問を果たすことになる。 両陛下は国内外で犠牲になった戦没者に心を寄せ続け、戦後50年の95年に「慰霊の旅」として長崎、広島、沖縄を訪問。 続きは両陛下、被爆者慰問へ 戦後70年控え、きょう広島入り 

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