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『とと姉ちゃん』反戦メッセージ封印の一方でモデル「暮しの手帖」編集部には「政治色が強すぎ」と批判が! via livedoor NEWS

先日、本サイトではNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』をめぐって、モデルになった雑誌「暮しの手帖」(暮しの手帖社)の元関係者や古い読者から「事実と全然違う」との声が上がっていることをお伝えした。  だが、これは細部の問題ではなく、背景に『とと姉ちゃん』が「暮しの手帖」の本質を避けて通ろうとしていることがある。「暮しの手帖」は同誌の名物編集長・花森安治氏と、一緒に同誌を立ち上げた、とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子氏の「戦争に反対しなくてはいけない」という思いから生まれた雑誌だ。暮らしを大切にすることと、戦争をしない世の中にしていくこと。暮らしを守ることはつまり平和を守ることだという考えが「暮しの手帖」の根幹にはある。  ところが、NHKは、番組プロデューサー・落合将氏がインタビューで「花森さんはわりと反権力的な方で、政治や政府にも一家言があったとされている。そこを朝ドラでストレートにやるにはなかなかハードルがある」と語っていたように、この反戦争、反権力的姿勢をドラマから排除してしまった。  かつての同誌を知る人たちが、この本質をないがしろにするドラマ化に怒るのは当然だろう。 […] さらに、松浦氏の姿勢が鮮明になったのが、福島原発事故への対応だった。東日本大震災の後、「暮らしを守る」という方針を掲げる同誌なら、原発事故や放射能の問題を独自の視点で記事にしてくれるだろう、と注目が集まっていたが、松浦編集長のもとで同誌が原発問題にふれることはなかった。  松浦氏の講演レポート(文化経済研究会2016年1月講演)によると、原発問題を取り上げなかったことで「凄いバッシングを受けました」と松浦氏は当時を振り返っている。だが、同時に松浦氏は原発事故や放射能の問題を取り上げなかったにもかかわらず部数が伸びたことをあげ、こうつづけている。 「僕自身びっくりして、被災地の仮設住宅を訪ねました。すると読者の方が皆さん言うんですが、テレビも雑誌もネットも、悲惨な話しかしない時に『暮しの手帖』だけはどこのページを見ても震災のことも、放射能のことも書かれていなかった。あの時皆さんは現実逃避するために『暮しの手帖』を選んでくれたんです。雑誌やメディアは真実を伝えるという役割もありますよ。でも現実逃避させるという役割もあるんです」 […] 花森安治氏は1970年発行の「暮しの手帖」で、同誌のスタンスをこのような文章にして掲載している。 〈さて ぼくらは もう一度  倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から  おしまげられたり ねじれたりして  錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め  しっかり 組みたてる  民主々義の〈民〉は 庶民の民だ  ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ  ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ  ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ  それが ほんとうの〈民主々義〉だ〉(「見よぼくら一銭五厘の旗」/『一戔五厘の旗』所収、暮しの手帖社) … Continue reading

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英ウィリアム王子 首相と福島視察 via NHKオンライン

安倍総理大臣は、日本を訪れているイギリス王室のウィリアム王子とともに福島県を訪れ、原発事故の影響で運動不足になりがちな子どもたちのために整備された施設を視察して、子どもたちと交流しました。 安倍総理大臣は、日本を訪れているイギリス王室のウィリアム王子とともに福島県を訪れ、28日午後、本宮市にある子ども向けの運動施設を視察しました。 この施設は、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で屋外で遊ぶ機会が減り、運動不足になりがちな子どもたちに、安全に楽しめる場所で思いきり体を動かしてもらおうと整備されたものです。 安倍総理大臣とウィリアム王子は、屋内の施設で子どもたちと一緒にボールを投げあって遊んだり、屋外のトランポリンで遊ぶ子どもたちに笑顔で話しかけたりしていました。 […] 福島県産の食材で夕食会 子ども向けの運動施設を視察したあと、安倍総理大臣とウィリアム王子は郡山市内の旅館に入り、浴衣に着替えて、福島県産の食材で作られた和食や地酒を味わいながら懇談しました。 安 倍総理大臣は冒頭、「殿下の訪問を政府を挙げて歓迎する。今回の殿下の福島への訪問は、福島県民だけでなく、東北に住む被災者の方々に大いなる勇気を与え ていただいた。福島の食材を味わっていただくことで、風評被害を払拭(ふっしょく)するうえで大きな力になる。浴衣も大変よく似合っている」と述べまし た。 これに対し、ウィリアム王子は「日本国民の皆様、政府の皆様に、これだけ友好的に温かく迎えていただいたことに心からお礼を申し上げたい。今回の伝統的な日本食の晩さん会は特筆すべき出来事だ」と述べました。 安倍総理大臣とウィリアム王子の会食は1時間半余りにわたり、被災地の復興支援の現状のほか、2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック・パラリンピックなどを巡って意見を交わしました。 なぜ被災地を訪問 王子の訪問先は、日本にあるイギリス大使館が提案したさまざまな候補地の中から選ばれました。 大使館では、フェイスブックやツイッターを利用し広く市民からの意見も募りました。 その結果、圧倒的に被災地に行ってもらいたいという声が多く、大使館の職員も被災地の訪問を強く薦めました。 震災直後、被災地でイギリス大使館が行った救援活動の指揮に当たったマイケル・シアラーさんは、やがてイギリスの王位に就くウィリアム王子の将来を見据えて、日本人の思いにいちばん近づける場所に行くべきだと考えたといいます。 シアラーさん「王子にとって初めての来日で、日本との関係をいかに築くかは非常に重要です。王子は、日本のことをできるかぎり学んで帰りたいと思っています。震災から4年という節目を前に被災地に行くのは、極めて自然なことでした」と話しています。 続きは 英ウィリアム王子 首相と福島視察

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【寄稿】ふくしまはいま、どんな状況なのか―若手世代が内側から見つめて  福島県いわき市民・伊藤江梨 via 47News

福島を語るという傲慢 福島を語ろうとすると、福島に根付いて人々の声を聞けば聞くほど「自分は福島の何を知っているというのか」という問いに直面する。地域 によっても、年齢や立場、置かれている境遇やもののとらえ方によっても大きく状況が異なる今の福島県を、一人で語り尽くすことはできず、一元的に福島を語 ろうとすればするほど、対立が起こっている。ふくしま会議に来て、そのことをあらためて認識した。 例えば、地域。私の暮らすいわき市は、県内では比較的空間放射線量が低いが、東京から近い沿岸部であるため、県外から多くの人が「被災 地視察」にやってくる。いわき市北部の久ノ浜地区などは、大きな津波被害で今も更地が広がっているが、それ以外の市民は日常の生活を営んでいる。日常に 戻った人たちは、立ち並ぶ仮設住宅や警戒区域内に向かう作業員の姿を横目で見ながら、「我々は被災者ではない。もっと苦しんでいる人がいる」と被災者とし ての当事者性に疑問を抱きつつ、被災者として見られることに違和感を持っていたりする。 放射線量が県内では比較的高い内陸部の郡山市でも、人々は日常の暮らしを営んでいる。放射線は目に見えるものではないし、それほど影響 を不安視していない人もいる。不安視していても日頃は不安だと言い出せずにいる人もいるが、日常の中で風化もする。公園に設置された線量表示板を見て「あ の数値はきっと実態よりも低いに違いない」と暗い気持ちになっている人も、ゼネコンが入って本格的にスタートしようとしている除染作業を見ながら効果に疑 問を抱いている人もいる。 茨城県や千葉県と放射線量がさほど変わらない会津地域は、大きな被災も生活への影響もないが「福島」という名前だけがついてまわる。震 災以後は、影響の大きかった他地域を支える役割を担ったが、沿岸部とは気候も産業も暮らしぶりも全く異なり、沿岸部からの避難者の「ここではとても暮らせ ない」という言葉に傷ついたりしている。 […] 一方で、警戒区域の避難者からの声があがることはなかった。着の身着のままで、行方不明の身内や家財道具一切合財を置いたまま避難し、 いまも家から何十キロも離れた土地で暮らし、これから帰るめども全く立たずにいる避難者。まだ1年8か月。その間には原発城下町として、又は、賠償金受給 者として、バッシングもたくさんあった。もしかしたら、整理のつかない混乱と喪失感とがまだ続いているのかもしれないが、それが語られることはまだ少な い。今も声を出せない人の声をまだ私は拾い切れていない。 更地のまま残る津波のあとを見たとしても、人の手の行き届かない警戒区域内を見たとしても、自分に何が分かるというのか。そこに暮らす 人の想いを語ることなどできるのか。そこに起こった事象を正確にとらえることができているのだろうか。誰かを傷つけてはいないだろうか。対立と分断の中で そう気づいた賢明な県民は安易に福島を語ることをしなくなり、本当の渦中にはない声の大きな者ばかりが雄弁に語る。私自身もその例外ではない。 踏み荒らされるふくしま、排他的になるふくしま […] 「福島バブル」が起こっている。急激な変化になれない田舎まち に、急激に起こる変化。日常に戻りつつある地元の人々の間に、「非日常」を求めて集まった人々が入り込んで、時にかき乱す。悪意も善意も入り乱れ、むしろ 100%の善意の押しつけこそが対話を難しくし、人を疲弊させ、絶望させる。 非日常を求める人々に日常をかき回された福島県民は、排外的になりつつあるように見える。 地元に戻ってきてすぐに、県外のNPOやボランティアを悪しざまに言う声を聞いた。「あまりいい人ばかりではない」。津波被害の大き かった地域でボランティア団体と地元の自治会が一緒に開催したイベントでは、ボランティアの人が「地元の人は本当にうるさくて嫌になる」とうんざりしてい た。 9月に福島県いわき市で強盗・婦女暴行事件が発生した際、「いわきではこんな事件はなかった。治安が悪くなった」「県外から来た人が やったのではないか」という噂話を聞いた。約1か月後に逮捕された容疑者は、神奈川県から東京電力広野火力発電所の作業に来ていた。「やっぱり県外の人 だった」という怒りの声を聞いた。 県外の人だけではない。人口約34万人だったいわき市には、原発周辺自治体などから2~3万人が流入したといわれる。1割近い人口の変動があれば対立も起こる。賠償金額の違いによるひがみから、ちょっとした変化や習慣の違いが、仮設住宅と近隣住民の間に隔たりを生む。 変わらないふくしま、変わらない市民 福島県に暮らす20~40代の有志が集まった「ふくしま会議青年部会」で議論した際、若者たちに共通していた認識は「福島には未だに多 くの問題が残っているが、どれも震災が起こったから生じた問題ではない。元々あった問題が震災を機に一気に噴出しているだけだ」ということだった。3・ 11以前、以後で時代を区切って、「大きな変化があった」と語る論者も多い中で、福島の若手の見ている世界は変わっていなかった。 … Continue reading

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アカデミズムがショック・ドクトリン?! via ake.note

被災地へ赴こうとしている学者・研究者のみなさん  学者・研究者へ対する被災地の当事者の感情は、もはや不信感から怒りへ変わりつつあることに気づいてください。「俺たちは、学者のモルモットじゃない」と語る被災地の人々の声があります。  大学教授がさも当然のように被災地へ来て、フィールドワークと称し、津波で全財産を失って先行き不透明な暮らしの中で、仮設住宅で暮らす人々を呼びつけて、同情然として話を聞き歩く。ひとつやふたつの大学、教授、研究者ではありません。たくさんの研究者に対しての声です。被災地を立ち上げる、寄り添う意志のない方は、来るべきではありません。研究者の「思いつき」が被災地の負担にさえなっています。1日フィールドワークして、聞いた話を簡単に研究報告にまとめる作業はべつのところでやってください。情けなさ過ぎます。 続きは アカデミズムがショック・ドクトリン?!

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