Tag Archives: 広島・長崎

<米核態勢見直し>被爆地に衝撃 「無知」に危機感 via 毎日新聞

トランプ米政権が公表した「核態勢見直し(NPR)」。小型核兵器の導入など、核を使いやすくしかねない政策転換が掲げられ、広島や長崎の被爆者からは、核廃絶の流れが後退することへの懸念や落胆の声が上がった。 8歳の時に被爆した岡田恵美子さん(81)=広島市=は「これまでもトランプ大統領は核戦力の増強をちらつかせる発言をしてきたが、パフォーマンスだと思っていた。『核兵器なき世界』を掲げたオバマ前大統領とは真反対の方向に進んでいる」と肩を落とし、「オバマ氏の広島訪問や核兵器禁止条約の採択など核廃絶へ向かう機運に水を差すもので、絶対反対だし、考えられない」と語気を強めた。一方で「市民も人ごとではなく、危機感を持つべきだ。再び核兵器が使われないために被爆証言も続けていかなければ」と力を込めた。 同じく8歳の時に被爆し、体験を英語で証言している小倉桂子さん(80)=広島市=の元には、米国の新たな核戦略の指針の内容について事前に報道が出た頃から、米国で平和活動をしている知人らから「事態を憂慮している。皆で声を上げなければ」といったニュースメールが続々と届いたという。 小倉さんは米国で証言すると、多くの人に「核兵器の恐ろしさを知らなかった」と言われるといい、「無知や無関心が、核運用の拡大につながる。トランプ氏は核被害に無関心だ。広島に来て被爆者の話を聞き、人間性を何よりも大切にしてほしい」と注文した。 (略) ◇「世界に逆行」 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市(すえいち)事務局長(78)は「2010年にオバマ政権が打ち出した方針からの大転換だ。この8年間を振り返ると、昨年、核兵器禁止条約ができたように『核兵器のない世界』へと確かに向かっていた。それに真っ向から対決する姿勢で、本当に恐ろしい」と批判した。小型化の増強については「最初のボタンを押しやすくする危険を感じる」と危機感をあらわにした。 木戸さんは5歳の時、長崎で被爆。「核兵器を使わせない、二度と被爆者をつくらないため、『核兵器の使用は長崎を最後に』と私たちがいっそう声を上げなくてはいけない」と話した。【福島祥】 全文は<米核態勢見直し>被爆地に衝撃 「無知」に危機感 

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広島原爆 被爆3日後の少女、身元判明 本紙記者が撮影 via 毎日新聞

原爆投下から3日後の広島で、毎日新聞記者が撮影した少女の身元が73年を経て判明した。当時10歳の藤井幸子(ゆきこ)さん(1977年に42歳で死去)。遺族から提供された戦後の写真との比較鑑定で、東京歯科大の橋本正次教授(法歯学)が「同一人物である可能性が非常に高い」と結論づけ、幸子さんと少女の負傷部位が一致する証言も複数寄せられた。広島原爆資料館は「被爆直後に撮られた人物が特定できたのは極めて異例」とし、写真の常設展示を検討している。 息子が名乗り出「母親ではないか」  うつろな表情で原子野にたたずむ少女を捉えた1枚で、毎日新聞がニュースサイト内に設けた「広島原爆アーカイブ」で公開している。毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男記者(2009年に92歳で死去)が1945年8月9日、広島市内中心部での取材中に撮影した。国平元記者は戦後書いた記事に「おにぎりをあげると笑顔を見せた」との逸話を残しているが、少女の身元は分かっていなかった。  この写真をサイトで見た長男の会社員、藤井哲伸さん(57)=東京都調布市=が昨年8月、「母親ではないか」と名乗り出た。哲伸さんは戦後撮られた幸子さんの写真を所有しており、異なる2枚以上の写真を重ね合わせて同一人物か調べる「スーパーインポーズ法」の第一人者で知られる橋本教授に、毎日新聞が鑑定を依頼した。 (略) 哲伸さんや幼少期の幸子さんを知る広島市内の女性らによると、幸子さんは爆心地から東に約1.2キロ離れた市内の自宅で被爆。右肘付近まで重いやけどを負った。国平元記者による写真の少女も右手甲から肘にかけて包帯を巻いており、身元判明に至る決め手の一つとなった。哲伸さんは「当時の母を捉えた写真だと判明したことは奇跡に近く、国平元記者が健在ならばどんな状況だったのか聞きたかった」と話している。【山田尚弘、平川哲也】 全文は広島原爆 被爆3日後の少女、身元判明 本紙記者が撮影 

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こうの史代「夕凪の街 桜の国」がドラマ化、NHKで今夏放送 via コミックナタリー

こうの史代「夕凪の街 桜の国」のドラマ化が決定。NHK広島放送局開局90年ドラマとして、今夏NHK総合テレビで放送される。 「夕凪の街 桜の国」は原爆投下後の広島を、原爆の被害に苦しみながらもたくましく生きる家族の姿を通じて描いた作品。1955年の広島市を舞台とする「夕凪の街」と、1987年の東京都中野区を舞台とする「桜の国(一)」、2004年を舞台とする「桜の国(二)」の3話から構成される。 (略) 2007年には田中麗奈主演で映画化された。 ドラマでは舞台を2018年に置き換え、オリジナルストーリーを交えながら物語を展開。出版社で編集者として働く女性・石川七波は、認知症の疑いがある80歳の父・旭を追いかけて広島へと辿り着く。行き先も告げずに家を出た旭が訪ねていたのは、1955年に原爆症で亡くなった七海の伯母・皆実の足跡だった。 全文はこうの史代「夕凪の街 桜の国」がドラマ化、NHKで今夏放送

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長崎の被爆者と米・ハンフォード(長崎原爆・核兵器製造)の被ばく者を繋げよう!

長崎の被爆者と米・ハンフォード(長崎原爆・核兵器製造)の被ばく者を繋げよう! 2018年3月5日〜10日 米国ワシントン州のNPO法人(CORE: Consequences of Radiation Exposure = 放射線被曝がもたらすもの)は、長崎被爆者と、 ハンフォード核施設(長崎原爆のプルトニウムを製造の被ばく者との 歴史的出会いの場を計画しています。 長崎原爆 とハンフォードのプルトニウム製造から放出された放射能は、両地の住民にガンをはじめとする様々な健康被害をもたらしました。このたびの計画のため、私たちは長崎市、ワシントン州のウィットマン大学(Whitman College)から支援を受けていますが、目標額に達していません。そこで、皆様からのご寄付をお願いする次第です。 被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、 被爆者の方がハンフォードの被ばく者と出会う、こうした企画の実現はさらに難しくなるでしょう。このハンフォードは第二次世界大戦そして冷戦時代にプルトニウムを製造しつづけ、施設の作業員ならびに近隣住民、川下住民に健康被害をもたらした歴史を持っているのです。 ワシントン州ハンフォードの核施設。長崎原爆のプルトニウムはここで製造されました。 長崎の被ばく者が、ハンフォード地域の人々、地元の大学生たちと実際に顔を合わせ、互いの体験を共有することは、放射能被害がもたらす人的被害をアメリカの一般市民、そして大学生が学ぶ、またとない機会です。放射能被害が時間と空間を超えて、いまだに人々の体と心を蝕んでいることを知ることは、将来の核兵器廃絶に必要な第一歩でしょう。 長崎のカトリック浦上教会(通称:浦上天主堂)。多くの信者がここで亡くなった。 このプロジェクトの主要なイベントの一つは、 ハンフォードから約130キロ東南に位置し、放射能のホット・スポットが生じたワラワラ市(Walla Walla)に立地するウィットマン大学で、長崎被爆者がハンフォード被ばく者や地元の大学生達とが交流する、というものです。また、大学ではハンフォード核施設の写真や放射能障害を生きる人々のインタビューを含むグレナ・コール・アリー(Glenna Cole Allee)の作品展示と、鎌仲ひとみ監督が、湾岸戦争後に劣化ウラン弾の後遺症で苦しむイラク、そしてハンフォード、長崎、広島をつなげた2003年の映画、「ヒバクシャー世界の終わりに」の上映も予定しています。これらの様子は、ソーシャル・メディアを通してお伝えする予定です。 長崎市とウィットマン大学の支援により、長崎被爆者の方の長崎からシアトル経由で、シアトルからウィットマン大学のあるワラワラまでの旅費は捻出できました。しかしながら、被爆者の方の海外旅行保険料、宿泊費、同行者の長崎大学の大学生の旅費、在米同行者でハンフォードの被爆者でもある方の旅費、ボランティアの方々へのささやかな謝礼のため、一口千円からの寄付をお願いしています。 どうか、この歴史的なプロジェクトの為に皆様のお力添えをお願いできないでしょうか?もしご協力いただけるのであれば、こちらのサイトからお願いいたします。https://www.paypal.me/COREHanford. ペイパルの使い方につきましては(https://www.paypal.com/jp/webapps/mpp/personal/how-paypal-works) アメリカ在住で小切手が便利な方は、CORE宛てにお送りいただけると助かります。 CORE c/o 3711 47thPl NE, Seattle, WA 98105 また、この企画・募金の情報を広めていただけますよう、お願いいたします。ご質問のある方はどうぞ日本語でも、英語でも結構ですので、ノーマ・フィールドまでご連絡ください。norma.field@gmail.com トリシャ・プリティキン CORE代表、弁護士、ハンフォード被ばく者、今年出版予定のThe Plaintiffs:Hanford Downwind … Continue reading

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ICAN事務局長来日 安倍首相、なぜ会わぬ via 毎日新聞

菅官房長官「日程上、難しい」 被爆者「逃げ回っている」  昨年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)事務局長で来日中のベアトリス・フィン氏(35)が、安倍晋三首相との面会を政府に求めたが、日程を理由に断られた。ICANの尽力で実現した核兵器禁止条約に日本は参加していない。それでも、唯一の戦争被爆国トップとして会って話をすべきでは、との声が上がっている。【竹下理子、浅野孝仁、岸達也】 首相は東欧を歴訪中で17日に帰国の予定。12日に来日したフィン氏は16、17日と東京に滞在し、18日に日本を離れる。フィン氏は15日、広島市内で原爆資料館を見学後、報道陣に「他国の指導者たちとは面会できたこともあり大変残念。特に日本は(被爆という)独自の経験があり、首相や日本政府の方々と話をしたいと思っていた。次の機会に期待している」と語った。  一方、菅義偉官房長官は同日、記者会見で「日程の都合上難しいということで、それ以上でもそれ以下でもない」と語った。ICANはフィン氏が東京滞在中に首相と面会できるよう、内閣府へ昨年12月以降、文書で2度要請していた。  なお、安倍首相と海外のノーベル賞受賞者の面会は、2014年のポール・クルーグマン氏、15年のロバート・マートン氏、16年のジョセフ・スティグリッツ氏(いずれも経済学者)の例がある。  核兵器禁止条約は核兵器の使用、開発、実験、製造、保有や、核抑止力の根幹である威嚇を禁じ、国連で昨年7月、122カ国の賛成多数で採択された。米国の「核の傘」の下にいる日本は交渉に参加しなかった (略) 日本原水爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之代表理事(75)は「首相にはがっかりだ。政府は『核の傘』の下にいるのがベストだと思っているのか」と不信感を口にした。  長崎の被爆者で原水爆禁止日本国民会議の川野浩一議長(78)も「首相は条約に参加できない理由を自信を持って説明できないのではないか。被爆国として本来はノーベル平和賞への祝辞を述べるべきなのに、述べずに逃げ回っている」。同じく被爆者で日赤長崎原爆病院の朝長万左男(ともなが・まさお)名誉院長(74)も「日程上の都合なら仕方ないが、重要なのはフィン氏のメッセージを政府が受け止めるかどうかだ」と語った。 フィン事務局長「日本が核兵器禁止条約の議論主導を」  フィン氏は13日に長崎市内で、安倍首相に会えたら何を伝えるかとの記者の質問に、次のように答えた。         ◇  北朝鮮で核兵器が使われれば地理的に日本にも影響がある。核兵器の問題では米国の多数の同盟国の中でも特に日本にリーダーシップを発揮してほしい。日本こそ唯一の戦争被爆国で、実体験者はワシントンでもモスクワでもなく長崎、広島にいる。核兵器が使われるとどんな状況になるのか、皮膚がどのように溶け、どんな臭いがするのか分かっているのは日本人だけだ。日本が核兵器禁止条約に署名しても米国との固い同盟は保てる。2国間同盟は一方通行ではないはずだ。安倍首相のリーダーシップで、条約参加のために国民的な議論を開始してほしい。 全文はICAN事務局長来日 安倍首相、なぜ会わぬ 関連記事: ICANノーベル平和賞授賞式に広島、長崎の被爆者が出席も…安倍政権はその願いを無視し核廃絶を妨害 via Litera

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北朝鮮染色体異常 謎の「病」数年前から 核実験場近く via 毎日新聞

 頭痛や吐き気が続く。「もしかしたら」と受けた検査で「染色体異常がある」と診断された。北朝鮮の核実験場=咸鏡北道(ハムギョンプクド)吉州(キルジュ)郡豊渓里(プンゲリ)=から約20キロの集落から来た40代男性は、「核実験による放射線被ばくの疑い」という言葉に強い衝撃を受けた。地元では数年前から原因不明の体調不良が続出し、放射線の知識が乏しい住民らは「鬼神(クィシン)病(おばけ病)」と呼んだ。今も住民の多くが事情を知らされないまま、核実験場近くで生活を送る。「吉州郡の人たちが心配だ」。男性は故郷の今後を案じている。【ソウルで竹内麻子】 (略) この男性に限らず、吉州郡からの離脱住民(脱北者)が亡命先の韓国で体調不良を訴える例が相次いでいる。  SAND研究所の調査を受けた一人の50代女性は13年の核実験後に脱北した。数年前から頭痛に悩まされ、今も睡眠薬を飲まなければ夜も眠れない。「北朝鮮にいた時には、放射線に関する知識がなく、判断がつかなかった」。女性は韓国に亡命して初めて放射線の危険性を知った。「付近住民に何も知らせずに核実験を強行している」と北朝鮮当局に対する怒りをあらわにした。 (略) 一方、核実験場内での健康被害を語る脱北者も出てきた。豊渓里で約20年暮らし、10年ごろに脱北した金平岡(キムピョンガン)さん(50代)は、夫が核実験場の技官だった。20年近く働いた夫は皮膚がただれ、歯が全て抜けた。その後、起き上がれなくなり、00年代後半、50代で亡くなったという。  夫は家庭では核開発についてほとんど語らなかった。ただ、00年代初めに北朝鮮の核開発疑惑が浮上したころ、朝鮮中央テレビが疑惑を否定する見解を報道した際、夫は「俺が今(核兵器を)作っているのに。共和国(北朝鮮)はうそをついている」とつぶやいたという。「放射線を恐れながら働いていた」。そんな夫の姿が金さんの脳裏に焼き付いている。  核実験場の周辺住民の安全は確保されているのだろうか……。50代女性は13年の核実験で「波のような揺れ」を感じた。40代女性は昨年9月の6回目の核実験後、故郷の親族から「大きな揺れのため、豊渓里の南にある新洞里(シンドンリ)では、造りがもろい家屋はすべて倒壊し、住民は周辺にテントを張って暮らしている」と聞かされた。情報管理が厳しい北朝鮮からもたらされる情報は多くない。核実験に伴う被害の把握が遅々として進まない現状に脱北者らはいら立ちを感じている。 全文は北朝鮮染色体異常 謎の「病」数年前から 核実験場近く 当サイト既出関連記事: North Korean Defectors Show Signs of Possible Radiation Exposure via The New York Times North Korea nuclear tests are ‘leading to deformed babies and turning province into wasteland’ via … Continue reading

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伊方原発「死ぬまで反対」貫いた広野さんの資料、保存へvia 朝日新聞

伊方原発(愛媛県伊方町)の敷地に食い込むように、四国電力に売却されなかった「畑」がある。いまは森になった。地主の男性は2005年に92歳で亡くなるまで原発反対を訴え続け、千点を超える資料をのこした。原発の建設が地元に与えた影響を物語る貴重な記録として、研究者らが保存に乗り出した。 伊方1号機の原子炉建屋の南約800メートル。瀬戸内海に滑り落ちそうな斜面の中ほどに、敷地と隔てる柵で囲まれた約1600平方メートルの森がある。農家だった広野房一(ふさいち)さんが四電に売らなかった畑で、今は親族が受け継いでいる。 […] 広野さんは、大学ノートに売買をめぐる生々しい声を書きとめていた。売買契約がまとまる直前の70年3月22日夜、地主たちと原発反対派住民が話し合った。「強引に仮契約の調印を強要され……」「害がないからと云(い)ふ事で調印に応じた」などと、地主の名前と発言が並ぶ。広野さんは拒否を貫いたが、以降も地主の切り崩しは続き、一人またひとりと手放した。 広野さんのノートは、原発の建設計画判明時の「壱号」から計16冊。反対署名の数から集会用マイクの電池代まで、32年間の出来事が丁寧に記されている。 だが筆跡が乱れる時もあった。77年1月に伊方1号機が初臨界した後の3月25日の記述は怒りがにじむ。 人類消滅之(へ)の道をたどる一里塚 長崎 広島の原爆投下は一瞬の出来事であった 思い起せよ 同胞よ、伊方の住民よ 広野さんは広島原爆のキノコ雲を目撃した。その光景と「原子力の平和利用」は相いれなかった。近隣の反原発団体が合流した「伊方原発反対八西連絡協議会」や伊方1、2号機の設置許可取り消し訴訟原告団の中心的存在となっていく。 ノートの記録も忙しさを反映し、地元の集会や裁判の打ち合わせ、町長らとの面談内容、関連する新聞記事の書き写しなど多岐にわたる。視力が衰えてきても、濃い罫線(けいせん)を引いてまっすぐに文字を書き続けた。しかし01年、「総論」と題した強い筆圧の文章で唐突に終わる。前年12月、提訴から22年半後に出た伊方2号機をめぐる松山地裁判決は、安全審査時の活断層の判断の誤りを認めながら、設置許可を取り消さなかった。 全く驚きの一語につきる これが法治国家と云(い)えるだろうか 何(いず)れにしても原発絶対反対(司法愚政に属せど民意滅びず) 以上 全文

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高島彩、母になって核問題の捉え方に変化「答えが導き出せない」via マイナビニュース

フリーアナウンサーの高島彩が、フジテレビ系特番『池上彰緊急スペシャル! なぜ世界から核兵器がなくならないのか?』(7日19:30~22:24)の収録に参加。「子供が産まれてからニュースの捉え方が変わった」と心境を語った。 今回は、相次ぐ北朝鮮の核実験やミサイル発射実験を受け、日本もひとごとではない核兵器の問題について池上彰が解説。核誕生の歴史から、核兵器が外交カードになってしまったこと、その技術をビジネスにしようとしている国などを明らかにしながら、世界から核兵器がなくならない深い事情を伝えるほか、スタジオメンバーが衝撃を受けた核実験の記録映像も公開する。 高島は収録後「私自身、子供が産まれてからニュースの捉え方も変わりましたし、世界の色が変わった感じです」と語り、「平和について考えると『核は廃絶すべきだ!』と思いますが、国民や子供たちを守るために抑止力として核を保有するという選択肢もあるのだなと考えさせられました」と感想。 (略) その池上は、今回のテーマについて「核兵器のことを知ることで、これから核兵器を無くしていくという長い道のりの第一歩を踏み出すヒント、きっかけになるのではないか?と思い、選びました」と狙いをか語っている。 全文は高島彩、母になって核問題の捉え方に変化「答えが導き出せない」

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幼少被爆者、2・3世へ=新しい担い手、変わる運動-「核の残虐性、未来に伝える」via Jiji.com

核兵器禁止条約が採択され、「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」にノーベル平和賞が贈られた。2017年は核廃絶へ大きな前進の年となった一方、反核運動をリードしてきた被爆者の平均年齢は81歳を超える。そんな中、胎内にいた時や幼少時に被爆した「若い被爆者」や、被爆2・3世が運動を担う存在となってきた。 13歳のときに長崎で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員、田中煕巳さん(85)=埼玉県新座市=は、黒焦げになって亡くなった伯母らの姿をはっきりと覚えている。死者への賠償を重視し活動してきたが、最近は「なんで死んでしまった人のために動くのか」と疑問を投げ掛けられることも多くなった。 (略) そんな田中さんに誘われ共に運動するようになったのが、大学院生の林田光弘さん(25)=横浜市=だ。長崎出身の被爆3世で、16年から日本被団協を中心に核兵器禁止条約を推進する「ヒバクシャ国際署名」のキャンペーンリーダーとして活動する。 インターネット上で資金援助を呼び掛けるクラウドファンディングを活用した被爆者の海外渡航費捻出や、渋谷のライブハウスでの被爆証言など新しい形の運動を展開してきた。原動力は長崎や東京で関わってきた大勢の被爆者の存在という。「反原爆の意志を継ぎ、その運動を絶やしたくない」と力を込める。 全文は幼少被爆者、2・3世へ=新しい担い手、変わる運動-「核の残虐性、未来に伝える」

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ノーベル授賞式、大使欠席は「大人げない」 日本被団協 via 朝日新聞

ノルウェー・オスロで10日にある国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)へのノーベル平和賞授賞式と晩餐(ばんさん)会に招待された、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員(85)と藤森俊希(としき)事務局次長(73)が4日、渡欧を前に都内で会見した。2人は核廃絶の機運の高まりへの期待を話した。  ICANは7月の国連での核兵器禁止条約採択に貢献したことが評価された。条約の前文には「ヒバクシャ」の文言が盛り込まれている。長崎で被爆した田中さんは「日本被団協は核廃絶を60年言い続け、いま条約として実を結び始めている。(50カ国の批准で)確実に発効させ、核保有国も加盟せざるを得ないような国際世論をつくりたい」と今後の抱負を述べた。 広島で被爆した藤森さんは「条約に対して核兵器保有国がそっぽを向いている中でICANを選んだノーベル委員会の決意は相当なもの」と評価。ただ、保有国の米英仏の駐ノルウェー大使が授賞式に欠席の意向であることについて、「大人げない。出席してICANをたたえ、ともに核兵器のない世界をつくろうと言えばいいのに」と訴えた。 […]   全文

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